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四階に行くまで階段を使う。エレベーターは備え付けられているが、なるべく人と会うリスクを回避したかった。部屋の前まで来てもすぐに鍵を開けない。侵入者の有無を確かめるために挟んでおいた白い紙切れはドアに挟まったままだ。しゃがんで人差し指を床に着け垂直に立てる。大丈夫、高さは変わっていない。そこまで確認してようやく鍵を開けた。宙に紙きれがひらりと舞う。再度紙切れを同じ高さにセットして最後にドアガードを掛ける。何事も用心に越したことはない。
荷物を置き、革製の黒いデスクチェアに深々と座った。火照った体が冷気に晒された革の温度へゆっくりと馴染んでいく。頭をヘッドレストに預けている内に眠ってしまいそうだった。
三十秒か、一分か。目を閉じている間、意識が飛びそうになった。両手で自分の頬を軽く叩き、ノートパソコンを立ち上げた。
最優先で確かめなければいけないことは、ひき逃げ犯を特定したという動画の存在の真偽だ。
彼が活動している配信プラットフォームの検索欄に「熊猫パンダ ひき逃げ 特定」と入力、エンターキーを押す。光の速さで表示されたのは例によって黒地で黄色い文字だけの『速報・ついに特定! P市死亡ひき逃げ事件の犯人は女子大生⁉ 二年越しの解決なるか?』。
本当だった。
動画を開いてさらに詳しく見る。配信開始まで、あと二日。コメント機能はオフになっていた。
再びデスクチェアにもたれかかり、指先を交互に擦る。部屋の中の空気が徐々に冷えてきた。電気ストーブのスイッチを入れる。ピッという音が鳴るやいなや、すぐに僕の体を温め始めた。
同期四人に送るメッセージを頭の中で整理する。犯人を特定したと主張する配信者がいること。しかし彼は、現段階で僕たちのところへ辿りつけていないのではないか、ということ。そして、それ以外は明言できない、ということ。
メッセージアプリを開く。送る相手は伊吹個人。
——お疲れ。ちょっと訊きたいことがあるんだ。ふたりだけで話がしたいから、みんなには連絡しないでほしい。
返信を待つ間、熊猫氏が上げたひき逃げに関する動画を見ることにした。最も古い日付は約一年半前。颯から送られてきた動画だ。当時は全国ニュースで報道されていなかったはず。なのに、彼は早い段階で動き出していたのか。
「はい。えー、私は今、ひき逃げ事件が起きた現場にいます。ここはP県内で最も小さく人口も少ない市であります。この通り、周りには海と山と廃墟になった旅館や飲食店があります。住宅は高台に密集しているようです」
過去の動画をひとつ開くと、本人の顔が映し出された。彼の特徴である、体当たりで関係者に取材をする趣旨のものだ。鋭い眼差しはニュースにあった写真と相違ない。語りはリポーターのようなはっきりとした口調で、無駄のない編集だった。ひとりで撮影しているのか、画面を揺らしながら自分のいる場所を示している。
「一週間前から張り込んで偵察したところ、現場の道路は通勤ラッシュ以外ほとんど車が通らないということが分かりました。発生日時は金曜日の深夜でしたので、県外から訪れた旅行者の可能性も大いにあります。しかし、車種や車の特徴が分からない限り、捕まえようがありません。ニュースでは目撃者がいないと報じられましたが、本当でしょうか? にわかに信じがたいので、近くの住民へ聞き込み調査を行っていきたいと思います」
観る人によっては本物のジャーナリストと勘違いしてしまうのではないだろうか。噂だけ聞くと「自分だけの正義を振りかざす快楽主義者」であるが、彼の行動力や精神力は安易に軽蔑できなくなってきた。




