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ただならぬ高揚感に手が震える。マリアさんと取引した時も、こんな感じだった。自転車の鍵を解除するのに手間取ったが、全力で逃げれば完全にやり過ごせる。早く、早くここから出ないと。
自転車を後ろへ引き、ペダルに足をかけた瞬間、突然後ろへ引っ張られた。
「ひゃっ!」
転ばないようにブレーキを握りしめた。振り向いた先にいたのは、シワだらけのスーツを着た背の高い中年男性。
「な、何ですか⁉」
「暴れない方が君のためだ」
彼は私にだけ聞こえるような小さな声で言った。怒るでも笑うでもなく、無表情のまま。益々怖くなり必死で手を振りほどこうとした。すると、またも小さな声で最悪の事態を口にした。
「君、何したか分かってる?」
「え……? あ……えっと……」
まさか、念入りに確認したはずなのに、目撃者がいたなんて。私は池から顔を出してエサを求める鯉みたいに口をパクパクさせた。一気に追い詰められてしまった。服装からして警備員ではない。もし私服警官だったらもう終わりだ。だけど、悪運は私の味方をしてくれた。
「見逃してあげる」
「……は?」
「だから、見逃してあげる。その代わり……。言わなくても分かるよね? 君って僕のタイプなんだ」
初めて男性の表情がにこやかになった。この人は何を言っているんだ。この状況を楽しんでいるのか。
「今、見逃すって……」
「あぁ、言ったよ」
潔い返事は逆に私を安心させた。この人の言っていることは本心だ。欲求を満たせればいいだけなんだ。
「……本当に約束してくれますか?」
「約束するよ」
腕から男性の手が離れる。
体を差し出すくらい、なんてことない。先輩に犯された時のように、私だったら耐えられる自覚があった。黙って頷き、大人しく男性の指示に従うことにした。
「歩いて行けるから」と、自転車を引き、距離を空けてついていく。場所は高級そうなマンションだった。ひとり暮らしなのか、衣類は乱雑に積まれ、ビールの缶は片付けないまま流しに放置されていた。そのせいで、どこにいてもアルコール臭がついてきた。
「緊張しなくていいからね」
ベッドに座らされ、手慣れた手つきで胸部をまさぐる。あの時と違って、力ずくでもなく愛でるわけでもなく、だけどしっかり避妊はして行為はあっけなく終わった。
「はい、これ」
別れ際、男性はテーブルの引き出しから茶封筒を取り出し、渡してきた。
「え? これって……」
中身を確認する。そこには万札が数枚入っていた。
「口止め料……ですか?」
「それもあるけど、まぁ、お礼かな。楽しませてもらったからね」
万引きを脅しに使えばいいのに、わざわざお金を払うなんて。流石に怖くなり拒否したいという気持ちはありつつ、封筒を返す素振りすらできなかった。誘惑に負けてしまった。こんな簡単に金が手に入るなんて、と。それに、彼にとってこれは日常的なことで、事前に用意していたものだと考えれば、素直に受け取っても罰は当たらないはずだ。
「じゃぁ、遠慮なく……」
茶封筒をスクールバッグの内ポケットにしまった。
もらったお金で化粧品を買い揃え、メイクを覚えた。自分自身を商品として売るために。あと必要なのは情報だ。スマートフォンは高くて買えなかったから、ネットカフェがある町まで自転車を漕いでいった。一番の収穫は「パパ活」というビジネスが存在するということ。試しにSNSアカウントを作り、パパ活をしているアカウントのマネをしてみた。思いのほか反応は早く、通知を見るたび胸が高まった。鬱屈していた毎日がこんな楽しくなるなんて。興味を示した男性へ総当たりでアプローチをかけると、ひとりの男性と会うことができた。最初はお茶を飲んで話し相手になるだけ。次第に会う頻度が増え、最終的に数万円を手にすることができた。私の武器は記憶力。相手の好みや趣味を記憶し、また会いたいと思えるような女性を演じてみせた。地獄の沙汰も金次第。マリアさんに二千円でネイルポリッシュを売った時も、母が百万円で私を追い出した時も、そして今も。馬鹿みたいだけど、これが天職なのだと思えてきた。




