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「私のネイル、盗んだでしょ?」
「え……。いや……、私じゃないよ……」
震える声で応えた。用意していた言葉が出てこない。
「だったら誰が盗んだって言うの! アンタしかいないでしょ!」
母は金切り声を上げ、叱咤した。見えない空気の波が私を後ろへ退かせた。あまりの剣幕に全てを白状した。
「このバカ!」
パンッ! と渇いた音がこだました。
母が頬を叩いたのだ。
「アンタを育てるために、私がどれだけ苦労しているか分かってんの? 我慢してるのは、アンタだけじゃない!」
「ごめん……ごめんなさい……」
母がここまで怒りを露わにすることなど、今までなかった。人のものを盗み勝手に売るなど、絶対にやってはいけないことだった。私は土下座をするような格好で泣きながらひたすら謝った。
すると、母は私の上半身を起こし、抱きよせた。
「ごめんね……。叩いちゃって、痛かったでしょう……。ごめんね」
今度は母も涙を流し謝り始めた。叩かれた頬はジンジンと痛いまま。だけど、母から伝わる温もりは心地よかった。
この瞬間、彼女は自分の母親なのだと確信を持てた。
それ以来、マリアさんから他にブランド品を持っていないか訊かれることがあったが、持ってないと答え続けた。どれだけせがまれても母の私物を盗むことはしなかった。もう私がブランド品を持っていないことを察すると、マリアさんはすぐに交流を止めた。
やがて中学校へ進学するも、変わらず質素な生活は続いていく。一時期軟化していた母の態度はすっかり元に戻っていた。高校は自由に選ぶことができるのだろうか。現状、受験できるかどうかすら危うい気がする。高校に進学できないとなれば最悪、父を頼ることにしよう。背に腹は代えられない。
その矢先、私の不安は歪な形で実現した。部活から帰るとアパートの駐車場付近にひとりの男性が立っていた。日はとっくに暮れていて、母はこの時間帯夜勤に出ている。誰かを待ち伏せているようで怖かったが、前を通らないと部屋に行くことができない。
顔を伏せて早足で通り過ぎようとしたら、「ねぇ、ちょっと」と私を呼び止めた。聞いたことがある声。振り向くと、その男性は近づき言った。
「やっぱ嗣乃だったか。忘れたのか? お前の父親だよ」
アパートの外灯が父の顔を照らした。白髪交じりのボサボサの髪にエラの張った輪郭。そういえばこんな容姿をしていた。
「お父さん……。覚えてるよ。少しぐらいは」
無意識にスクールバッグの取っ手を強く握る。また一緒に暮らしたいから、お前の母親を説得させてくれ、とでも言うつもりか。
「そんな警戒しなくたっていい。お前の母親に用があって来たんだ。だけどいないみたいだな」
「うん。夜勤に出てるから。……で、何の用?」
「そうか、夜勤か。ところで、お前、明日部活か?」
「そうだけど、だったら何?」
「冷たいなぁ。反抗期ってやつか。難しい年ごろだものな、中学生は」
「早く本題に入って!」
のらりくらり躱す態度に本気でイラついた。
「カリカリするなよ。お前さ、明日の部活休め。大事な話がある」
「え……。急に困る」
「仕方ないだろ、お前の母親が電話に出ないんだから。文句があるならあいつに言え」
「……」
「それに、お前にとっても悪い話じゃない。この貧乏生活から抜け出せるんだからな」
「どういうこと?」
「明日になれば分かる。じゃ、明日休めよ」
そう曖昧な返事を残して父は去っていった。
学校のルールで、生徒は基本、部活に入らなければいけない。私は陸上部に所属しているが、上下関係はかなり厳しく、ズル休みだとバレれば面倒なことになる。明日休みたいとは言いづらい。ただ、進路に関わることなら無視できない。
悩んだ結果、その日の深夜に顧問へ休みの連絡を入れた。
翌朝、帰宅した母は薄手のコートをハンガーに掛けながら、まだ布団の中にいる私へ訊いた。
「部活はどうしたの?」
「休むことにした」
「何で?」




