4
自分の席でランドセルの中を整理していた時、机が揺れ、蓋の開いた状態のランドセルが落下してしまった。真横を通った生徒の体が端に当たったのだ。なのに、その生徒は一瞥しただけで何も言わず離れて行った。イラつきながらランドセルを持ち上げ散乱した教科書を拾う。すると、突如誰かの声が降ってきた。
「これ、古味山さんの? いいなぁー、ブランド品じゃん!」
素早く顔を上げる。ピンクのネイルポリッシュを片手に、前の席に座るマリアさんが挑戦的な笑みをたたえていた。
しまった——。
このままでは先生にチクられ没収される。都合の良い言い訳に思考を巡らせていたが、彼女は予想外のことを言い出した。
「これ、譲ってくれない? この色欲しかったんだよね」
澄んだ瞳が私を見る。
「え?」
着せ替え人形を連想させる整った容姿。マリアさんは学年一の美少女で、彼女の周りには絶えず友だちがいた。
こうなってしまえば、ネイルポリッシュを譲って彼女に媚を売ろうか。だけど、それだと現金がもらえずお腹を満たすことができない。
またもや返事に窮していると「だったらこうしない?」とマリアさんから提案してきた。
「二千円でどう?」
顔を寄せ声を潜める。細くて艶やかな髪がさらりと揺れる。
「え……、お金くれるの……?」
「どうする? 五百円プラスしてもいいけど、それ以上は出せない」
マリアさんが言う。願ってもないチャンスだった。
「えっと……。二千円でいいよ……。でも、すぐ出せないでしょ?」
「大丈夫、ちゃんと持ってるから。明日必ず持ってくるね」
ドクンと心臓が動いた。冷静に考えれば、今が初めて会話を交わした時で、マリアさんを信用できる人なのか分からなかった。だけど、断ったら二度とチャンスは訪れない。私は焦っていた。
「そう……。じゃあ、現金と引き換えに」
「決まりだね!」
彼女は笑って、ネイルポリッシュを私の掌に乗せて握らせた。
高揚感が収まらなかった。遠い存在だと思っていたマリアさんと繋がることができた。孤独感から解放されるだけでなく現金も手に入る。高揚感を抑えろという方が難しかった。
手に入れた二千円は計画的に使った。本当は満腹になるまで食べたかったけど、母に怪しまれるのが怖くてやらなかった。だから、彼女の前では小袋に入っている菓子をちまちま食べていた。それでも、今まで感じた事のない余裕が生まれていることは実感した。
お金が欲しい。お金さえあれば何にでもなれる。マリアさんは育ちが良くて、誰からも愛され、小学生ながら二千円を差し出せるほどのお小遣いをもらっている。将来は絶対にマリアさんのような人になる。私だったらなれるはずだ。
ネイルポリッシュをマリアさんに売ってから一か月後。学校が休みのため、ひとりスーパーで値引きされていたお握りを食べながら、次は何を盗ろうか考えた。バレてしまった時どのように母を誤魔化すかも。価値のあるものがどれなのか分からないから、手当たり次第試すしかない。母は早朝から昼の仕事へ出かけていて夕方まで帰ってこないはずだ。その間に目星を付けておかなければ。
しかし、物事はそう上手く進まなかった。ドレッサーの引き出しの中を物色していたその時、鍵の開く音が聞こえたと思ったら、部屋に突風が入ってきた。
驚きのあまり、手に持っていたネイルポリッシュが音を立て散乱する。母は大股で、固まって動けなくなっている私の前までやってきた。そして、冷たい視線で見下ろし、静かに問う。




