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Rabbit-foot  作者: 広井新
2. No penny, No pardon. ——古味山嗣乃——
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3

 シングルマザーという立場になり、全く新しい土地に越してきたストレスがあったのだろう。彼女は怒りっぽくなり、少しでも思い通りにいかないと叱責が飛んできた。昔は我慢強い人だったのに、私が八つ当たりの相手になった。

 角を固定していたガムテープが剥がれ、白い布がぐったりと垂れている。カーテンは高くて買えないからと、白い布とガムテープで代用するというみすぼらしい恰好になっていた。その隙間から空でも見えればまだ気持ちが晴れるのに。

 母が出て行くまで、膝を抱え畳を見ていた。目が合うと「不満でもあるの?」と突っかかってくる。乱暴にドアを閉め、車のエンジン音が聞こえなくなると、ようやくひと息つけるのだった。だけど、それも束の間。材料もお金も、彼女から与えられていない。

 お金が全くないというわけではないのだと思う。ドレッサーにはブランド物の化粧品が並んでいて、タンスに入りきれなかった服がはみ出している。そんな余裕があるならカーテンぐらい買ってほしかった。

 ギュルギュルと胃が絞めつけられる。

 ひとつ盗んでもバレないのではないか。

 空腹の限界が邪心を芽生えさせた。

 ドレッサーの二番目の引き出しにしまってある、ぴネイルポリッシュをひとつくすねた。まだ封がしてあるから売れば食費の足しになると思った。だけど、いざ売ろうとしてもどこへ行けばいいか分からず、とりあえずランドセルへしまうことにした。一日だけなら我慢できる。次の日が月曜日でよかった。給食がなければ、万引きを働くところだった。

 母は気づく気配がなかった。新しく買ったものはすぐに使わず、古いものを使いきってから手をつける。しかし、気に入ったものがあれば構わず買ってくるため、どんどんストックが増えていっている。ピンクのネイルポリッシュを使う頃には、他の色に興味が移っているだろう。私は高を括っていた。

 学校はとことん楽しくなかった。クラスはふたつしかない上に、仲良しグループは既に出来上がっていた。私の顔がもっと可愛かったらグループに入れてくれたかもしれない。そこに入る余地はなくなっていた。

 私の日課は、図書館で借りた本を開いて自分だけの世界に没頭すること。この日もいつも通り騒がしい室内の中、本を読んでいた。そうしないと、また余分なことを記憶し、後で不気味がられてしまうから。

 成長していくに連れ、自分は人より記憶力が良いということが、なんとなく分かってきた。きっかけは学校の花壇に咲いていた花の名前を当てたことだった。コスモスに似た、白くて丸い花。暇つぶしで読んでいた植物図鑑。そこに載っていた名前は「ガザニア」。花を管理している先生に訊くと、「よく知ってるね。よっぽど花が好きなんだね」と感心されたが、意識して覚えようとしたのではなかった。

 他にも、他人の会話内容も覚えてしまう。例えば、隣の席に座っている女の子。彼女は三人姉妹で、全員「み」の入る名前が付けられている。後ろの席で談笑している男子は毎週末家族と外食に行っている。サーモンが好きで甲殻類は苦手、などと言った具合に。それが当たり前だと思っていたから、「なんでそんなことまで知っているの」と不気味がられ、私を避けていった。

 孤独だった。工場と住宅街に囲まれたこの町は、閉鎖的で息苦しかった。早く大人になって、ろくでなしの母親の元を去り、都会で豊かな暮らしをしたいと夢見ることは贅沢なことではない。

 そして、ある登校日。夢を叶えたいという願望がさらに高まった。

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