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Rabbit-foot  作者: 広井新
1. No pain, No gain. ——耳塚伊吹——
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 ここから会話が広がるとは思っていなかったし、そうするつもりもなかった。ただ、淡々と仕事をこなす自分とみんなを比べ、安心したかった。

 室内が陰った。ノック音に返事をすると「ごめん、遅れた」と佐環と嗣乃が入ってきた。

 髪が伸びたものの、佐環はすぐに本人だと分かった。一番変化があったのは、嗣乃だ。いい給料をもらえているのか、ブランドのバッグに小振りの宝石がついたネックレスを身につけている。大学時代の彼女は派手なつけ爪をしていなかった。

「久しぶり」とひと言挨拶を交わした後、世間話を一切挟まず簡単に情報共有を済ませた。そして、議題を沈黙を貫くか否かに切り替えると、隣の部屋から流れてくるぎこちなくハモった歌声だけが留まった。

 あの事は、安易に判断できる問題ではなくなっていた。時間と共に風化していくと思いきやますます注目を浴びることとなっている。被害者の巴海沙が、P駅無差別殺傷事件の加害者であったという事実が露見したからだ。

 きっかけを作ったのは、有名動画配信者の熊猫パンダという人物。彼が大手動画配信サービスにて『巴海沙は元少年Aだった⁉ 犯人は被害者遺族の可能性も……?』といった、センセーショナルなタイトルの動画をアップロード。案の定、SNSを中心に爆発的に広まった。

「俺はこのまま黙認した方がいいと思ってる。熊猫の動画見たか? 面倒なことに巻き込まれることが決まっている。反対意見の人いる? いたら、正直に言おう。足並みを揃えるために集まったんだから」

 こういう時、真っ先に発言してくれるのが颯だ。俺は彼の意見に同意する旨を伝える。

「え、えっと、俺も賛成だ。あの動画を観てると、ひき逃げ犯が捕まるのも時間の問題なんじゃないかって思ってる」

 熊猫は動画内で、巴が元少年犯罪者であったことはほぼ確実と断言。独自調査によって得られた、巴海沙についての人物像に触れている。

 彼のやり方は強引で、時には修羅場まで発展することもあった。そのためフォロワーと同じくらいアンチが存在する。彼を一躍有名にしたのは、危険運転などを受けた被害者から調査依頼を受け入れ、加害者の家を特定し突撃する動画だった。パトカーが出動するなど大騒ぎになったが、結果的に再生回数は未だに一番多い。

「だけど、私たちが証言しないせいで、無実の人が巻き込まれているのだとしたら……」

 佐環が言う。再び沈黙が訪れるかと思いきや、意外にも反発したのは嗣乃だった。

「無実の人ね……。この世に完全無実の人なんているのか疑問だけど」

「あぁもう。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

「まぁ、まぁ。颯、そんな強く言わなくても」

 俺は彼を宥めた。付け爪を眺めながら他人事のように言い放った態度が気にくわなかったのだろう。

「とりあえず、嗣乃は賛成ってことでいい? てことは、多数決で黙認するに決定で」

 勝矢が割り込んだ。

 嗣乃はこれ以上の議論は必要ないと言わんばかりに、立ち上がりドアを出て行った。それを見た佐環は急いで追いかけた。

「完全無実の人がって、どういう意味だったんだ?」

 俺の独り言のような疑問に、颯は鼻を鳴らした。

「もしかしたら、やつに同情してるのかもな」

「どういうこと?」

「動画にあっただろ。巴海沙の生い立ちが」

「あぁ。母親は定職に就いていなくて、交際相手の家を転々としながら過ごしていたってことは覚えてる」

 誰から聞き出したのか、熊猫は動画内で詳細に語っていた。彼曰く、良好とは言えない家庭環境で育ち学校も不登校気味で、中学生になってからはタバコや酒にも手を出していた。そんな中「人を傷つけたいと思った」という理由から、P駅無差別殺傷事件を決行。少年院へ送致され、退院して以降、高卒認定試験に合格。P市にある工場で真面目に働くと同時にプロボクサーを目指していたという。

 嗣乃も同じような経験をしていて、だから佐環にやつ当たりしたのでは、と颯は言いたいようだ。

「女性同士の友情なんて、男には理解できないよ」

 俺の疑問を見透かしたように勝矢は言った。

「それもそうだな。んじゃ、また二年後に」

「分かってる」

「うん」

 結局、俺と颯以外意見が曖昧なまま今日は解散した。

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