第78話 光の構造 ー 浮上
世界は光で満たされていた。
海も。
潜水艇も。
敵も。
すべてが無数の光の線となって誠の視界に広がっている。
それは色ではなかった。
情報だった。
構造だった。
存在そのものだった。
誠は息を呑んだ。
艇内に響いていた警告音が遠く感じる。
圧壊寸前の《しおなぎ》。
今、その船体がどういう状態にあるのかが手に取るように分かった。
外殻を構成する金属と強化ガラス。
そこを流れる応力。
限界を超えかけている箇所。
ひび割れ寸前の部分。
すべてが光の線となって見えている。
「誠さん……?」
由理が息を呑む。
誠は答えなかった。
視線は一点に向けられている。
艇の前方。
圧力によって限界まで歪められた部分。
あと一撃受ければ破断する箇所。
そこへ意識を伸ばした。
誠には分かった。
構造が。
配列が。
分子同士の結び付きが。
手に取るように理解できた。
崩れかけていた均衡を整える。
歪みを分散させる。
わずかに配置を変える。
ただそれだけ。
ほんのわずかな再構成。
船体の軋みが止まった。
「……え?」
由理が目を見開く。
モニターを確認する。
「応力低下……?」
信じられないという表情だった。
数値が目に見えて変化していく。
「外殻が……回復しています……!」
高科も計器を見た。
そして小さく息を吐く。
「冗談だろ……」
だが現実だった。
圧壊寸前だった艇は、再び安定を取り戻していた。
誠は静かに呟く。
「大丈夫です」
その声は驚くほど落ち着いていた。
「もう壊れません」
由理が誠を見る。
その表情に驚きと安堵が入り混じる。
しかし誠の意識はすでに別の場所へ向いていた。
敵だ。
四機のAUV。
今も《しおなぎ》を取り囲んでいる。
だが。
今の誠には見えていた。
外側だけではない。
内部まで。
装甲の中。
機械の中。
動力の流れ。
回転する軸。
すべてが光となって見える。
「……そういうことか」
誠は小さく呟いた。
敵を破壊する必要はない。
もっと簡単な方法がある。
「……止める」
その声は、静かだった。
「どうやって?」
高科の問いに誠は答えず、
最初の一機へ意識を向ける。
内部。
動力を駆動系へ伝達する結合部。
ほんの数センチの部品。
そこへ意識を集中する。
触れる。
そして。
外す。
コト。
そんな音が聞こえた気がした。
敵影が止まった。
由理が叫ぶ。
「一機停止!」
高科が目を見開く。
「何をした?」
誠は答えない。
もう次を見ていた。
二機目。
三機目。
四機目。
光の構造を読む。
最小限の部分だけに干渉する。
動力は生きている。
だが伝わらない。
それだけだった。
一機。
また一機。
敵影が沈黙していく。
まるで最初から動いていなかったかのように。
「停止!」
「二機目停止!」
「三機目!」
由理の声が震える。
そして。
「四機目も停止しました!」
船内に静寂が訪れた。
長い戦いのあとに訪れた本当の静けさだった。
誠は深く息を吐く。
深海の闇の中で、四機のAUVはただ漂っている。
もう脅威ではない。
戦いは終わったのだ。
高科は操縦桿を握ったまま、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……全部、止めたのか」
「……動けなくしただけです。
でも、もう大丈夫です」
高科が一瞬だけ目を閉じ、そして、開く。
「了解、帰投しよう」
その言葉に、ようやく現実感が戻る。
由理の肩から力が抜けた。
目の端に涙がにじむ。
しかし笑おうとしていた。
「本当に……終わったんですね……」
誠は小さくうなずく。
「ああ」
短い言葉だった。
だが、その一言にすべてが込められていた。
高科が操縦桿を握る。
「《しおなぎ》、浮上する」
艇がゆっくりと向きを変える。
上へ。
深海の底から離れていく。
六千メートル。
五千五百メートル。
五千メートル。
ゆっくりと。
確実に。
生還への距離が縮まっていく。
誰も大きな声を出さない。
助かった。
その事実をまだ完全には実感できなかった。
やがて。
由理が突然顔を上げた。
「通信……!」
モニターを見る。
目が大きく開く。
「通信が回復します!」
ノイズ混じりの音声が船内へ響いた。
『……こちら《あまぎ》……』
全員の動きが止まる。
『《しおなぎ》、応答せよ……!』
由理の目から涙がこぼれた。
「こちら《しおなぎ》!」
声が震える。
「全員無事です!」
誠が続けた。
「再設定は無事完了。
……帰投します」
しばらく沈黙があり。
その後。通信機の向こうから歓声が聞こえた。
誰かが叫んでいる。
喜んでいる。
待っていてくれたのだ。
その声を聞いた瞬間。
由理はとうとう泣き出した。
誠も思わず笑う。
高科は黙ったまま前を向いていたが、口元は緩んでいた。
さらに浮上を続ける。
二千。
千。
五百
窓の外の闇が少しずつ薄れていく。
そして。
水深百メートル。
遠くに光が見えた。
柔らかな光だった。
人工の光ではない。
太陽の光だ。
誠はその光を見つめた。
長い戦いだった。
混線。
追跡。
包囲。
圧壊の危機。
すべてが脳裏をよぎる。
だが終わったのだ。
由理も窓の外を見つめていた。
光が少しずつ近づいてくる。
その姿を見ていると、ようやく実感が湧いてきた。
帰れる。
本当に帰れるのだ。
高科が言う。
「……もうすぐだ。水面に出るぞ」
由理は、そっと手を伸ばす。
誠の手を握る。
「誠さん……」
言葉が続かない。
誠は小さく笑った。
「由理さん」
「はい?」
由理が誠の顔をまっすぐに見る。
「戻ったら……ギターを聴かせてよ」
由理の目が潤む。
だがすぐに、その表情が柔らかくほどけた。
「はい……必ず」
声が少しだけ明るくなる。
誠はうなずいた。
それだけで十分だった。
二人の間に、それ以上の言葉はいらなかった。
《しおなぎ》は静かに浮上する。
深海の闇を後ろに残して。
上へ。
光へ。
新しい未来へ向かって。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
物語はあとエピローグを残すのみとなりました。
この2ヶ月間、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
お読みいただきありがとうございました。
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