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第76話 圧壊限界 ー 逃げ場がない

水深五千八百メートル。


《しおなぎ》は深海の闇を降下し続けていた。


四つの敵影。

その包囲はすでに完成している。


追跡してきた二機が上方。

海底で待ち伏せていた二機が下方。

《しおなぎ》は上下から挟み込まれ、逃げ場を失いつつあった。


「来る!」


誠が叫ぶ。


高科が即座に操縦桿を倒す。

《しおなぎ》が左へ滑った。

その直後。

右舷を、巨大な水の刃が紙一重でかすめた。

艇全体が激しく震える。


しかし敵の攻撃は終わらない。


「下です!」


由理が叫んだ。


ほぼ同時に、下方からもう一撃。

高科が艇の姿勢を変える。

艇の腹をかすめるように高圧水流が突き抜けた。


「厄介だな……!」


高科が低く唸る。


敵は完全に連携していた。

一機が攻撃すれば、その回避先を狙って別の一機が仕掛ける。

さらに別方向から追い込む。


単なる数の暴力ではない。

明らかにシステム化された包囲攻撃だった。


「右後方!」


「了解!」


「上から来る!」


「見えてる!」


高科の操縦は冴えていた。

艇が深海の中を滑る。


攻撃をかわす。

またかわす。

普通なら不可能な回避だった。


だが、それでも敵との距離は少しずつ縮まっていく。


誠は歯を食いしばった。


(……まだ行ける……)


頭の奥が痛む。

嫌な痛みだった。

混線。

ここへ来るまで抑え込んでいた症状が確実に悪化している。

敵の動きを読み続けるほど負荷が増していく。


情報が増える。

処理が追い付かない。


海底地形。

海流。

敵影。

様々な情報が頭の中で絡まり始めていた。


敵が動く。


誠は意識を集中した。


 「下へ!回避後右!」


高科が操縦桿をたたくように操作する。

躱した。次も躱した。

だが。三つめが来る。


「左下!」


高科が操縦桿を切る。

ほんのわずか遅れた。


―――ドンッ!


艇の腹を、真下から殴り上げられる。


床が消える。

由理の体が浮き、シートベルトが肩に食い込む。


「外殻、歪み!」


誠の視界が揺れる。


(……今、見えてた……はずだ)


だが次の瞬間、さらに圧が来る。


「右――、違う、左!」


声がぶれる。

“線”がずれる。

混線が、視界を白く塗りつぶしていく。


「外殻応力上昇!」


由理が叫ぶ。


「右舷に損傷発生!」


《しおなぎ》が揺れる。

敵は位置を変え、角度を変え、

逃げ道を削っていく。


高科が歯を食いしばる。


次の圧が来る。

躱す。

だが、その直後に来たもう一撃が、

船体を横からたたきつけた。


――ドンッ! 


艇が傾く。姿勢が崩れる。

由理の声が裂ける。


深海では一秒にも満たない遅れが命取りになる。

高科が短く言う。


「誠さん」


責める声ではなかった。

状況確認の声だった。

誠は小さくうなずく。


「少し……遅れる」


「そうか」


高科はそれ以上何も言わなかった。


海底が近づく。


誠の喉が鳴る。

“線”が増える。交差する。混ざる。

見えていたはずの世界が溶けていく。


四つの影が動いた。

位置が揃う。

角度が揃う。


誠の背筋が冷たくなる。


(……来る)


逃げ場がない。


お読みいただきありがとうございました。

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