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第71話 決裁 ー 潜航の決定

会議室の空気は張り詰めていた。


スピーカーから官邸の担当者の声が流れる。


『……お待たせしました。

 深海潜航について、官房長官の決裁が下りました』


高木が息を呑む。

誠は無意識に拳を握った。


『潜航を――許可します』


室内に、静かな安堵の息が広がった。


榊原室長が短く答える。


「ありがとうございます。

 ただちに準備に入ります」


通信が切れた。


三枝主任が誠たちを見渡す。


「……決まった。

 《しおなぎ》は本日中に出せる。

 南雲さん、高木さん、――準備を。

 高科君、よろしく頼む」


誠は深く息を吸った。


(行くしかない)



ブリーフィングルーム。


三枝主任、榊原室長、白石医師、そして乗員3名が揃った。


榊原が資料を開く。


「まず、潜航中の護衛について説明する。

 昨日の外力――おそらくAUVによる接触だが、所属も目的も特定できていない。

 深海では“何かがいた”以上の情報は得られない」


高科が頷く。


「深海ではソナーも限定的です。

 AUVの種類や数を識別するのは難しい」


榊原は続けた。


「そこで、防衛省として潜水艦の派遣を検討した」


誠と高木が顔を上げる。


「しかし――今回は見送られた」


三枝主任が理由を問う。


「距離か?」


「それが一つだ。

 南鳥島は日本の潜水艦基地から最も遠い。

 出港準備を含めれば、到達まで最低二日はかかる」


高科が小さく息を呑む。


「……間に合わない」


「それだけではない」


榊原は資料をめくる。


「南鳥島周辺は水深六千。潜水艦の活動限界を大きく超えている。

 AUVのような小型目標を探知するのも難しい。

 護衛としての効果は期待できない」


誠は静かに理解した。


(……潜水艦を出しても、深海では役に立たない)


榊原はさらに言葉を重ねた。


「そしてもう一つの理由は――国際問題化のリスクだ。

 敵AUVの所属は特定できていない。

 この段階で潜水艦を派遣すれば、日本が軍事行動に踏み切ったと誤解されかねない」


高木が息を呑む。


「……だから、出せないんですね」


「そうだ。

 潜水艦は“出したくても出せない”というのが現実だ」


榊原は資料を閉じ、乗員三人を見た。


「だが、何もしないわけではない。

 《あまぎ》の警備体制は強化する。

 陸自の警備班を追加し、海自の護衛艦を外周に配置する。

 船上の安全は我々が責任を持つ」


誠は深く頷いた。


「……ありがとうございます」


三枝主任がまとめる。


「南雲さんたちは深海に集中してくれ。

 戻ってくる場所は、我々が守る」



格納庫。


《しおなぎ》は最終点検を終え、静かに待っていた。

整備員たちが最後の締め付けを確認し、工具を片付けていく。


高科が誠に声をかける。


「生命維持系、通信系、姿勢制御……全部問題なし。

 深度六千、行けます」


誠は頷いた。


「頼む」


高木が端末を抱えて近づいてきた。


「誠さん。

 “線”の補助データ、全部まとめました。

 潜航中は私がモニターします」


誠は高木の目を見る。


「由理さん……本当に大丈夫か?」


高木は小さく笑った。


「怖いです。でも、覚悟は決めました。

 誠さんを一人で行かせるわけにはいきません」


誠は言葉を失い、ただ頷いた。



午後四時。


《しおなぎ》のハッチが開き、内部のライトが白く灯る。


高科が先に乗り込み、操縦席に座る。


「二人とも、準備できてるか?」


誠は頷き、ハッチの縁に手をかけた。


高木が隣に立つ。

その手はわずかに震えていたが、目はまっすぐだった。


「誠さん……行きましょう」


誠は深海の“線”を感じようと目を閉じた。


(……揺れが強い。

 時間はない)


目を開け、言った。


「行こう」


二人は《しおなぎ》の内部へ足を踏み入れた。


ハッチがゆっくりと閉まり、金属音が格納庫に響く。


外では三枝主任と榊原室長、そして追加派遣された陸自の警備班が見守っていた。


榊原が静かに言う。


「――必ず戻ってこい」


格納庫の照明が落ち、潜水艇の外殻がわずかに振動する。


《しおなぎ》は、深海へ向かう準備を整えていた。


潜航開始は、次の瞬間に迫っている。



お読みいただきありがとうございました。

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