第69話 異常信号 ー 処理データの混線
医務室に運ばれた誠は、ベッドに腰を下ろした瞬間、深く息を吐いた。
(……視界が揺れる)
深海の“線”が細かく震え、焦点が合わない。
胸の奥のざらつきも消えず、呼吸が浅い。
高木が心配そうに覗き込む。
「誠さん……本当に大丈夫ですか?」
「……少し、変なんだ。線が……ぶれる」
白石医師が脈を測り、ライトで瞳孔を確認した。
「南雲さん、いつからその症状が?」
「張力が跳ね上がったあたりから……急に」
高木が補足する。
「さっき、視界が二重に見えるって……」
白石は表情を引き締めた。
「なるほど。では、少し検査します」
◆
簡易スキャン装置が誠の頭部を読み取り、モニターに波形が映し出される。
白石はしばらく画面を見つめ、静かに息を吐いた。
「……やはり、そうか」
高木が不安げに尋ねる。
「先生……何かわかったんですか?」
白石は誠に向き直った。
「南雲さん。今回あまりにも能力を使いすぎ、限界を超えたと思われます。
あなたの脳が処理している“深海の情報”と“地上の情報”が――干渉し始めています」
誠は眉を寄せた。
「干渉……?」
白石は画面を指した。
「あなたの能力は、深海の位置情報や圧力の変化を“線”として読み取る特殊な処理をしています。
本来なら、地上の感覚とは完全に別系統で扱われるはずです」
波形の一部が重なり合い、乱れていた。
「ですが今、その二つが混ざり始めている。
これは――“混線”ですね」
高木が息を呑む。
「混線……」
白石は頷いた。
「このまま作業を続ければ、脳が処理しきれず、情報が崩壊します。
最悪の場合、能力の喪失だけでは済みません」
誠は拳を握った。
(……そんな)
「じゃあ……どうすればいいんですか?」
白石は深く息をついた。
「混線を解消するには――
“深海で、誤差ゼロの位置で再設定を行う”必要があります」
高木が震える声で言う。
「深海……六千メートルで……?」
「はい。
あなたの脳が読み取った深海データと、実際の深海の位置情報を完全に一致させ、脳の処理システムを一度リセットしなければなりません。
それをしない限り、混線は進行し続けます」
誠は目を閉じた。
(……深海に行くしかないのか)
高木が小さく息を呑む。
白石は静かに言った。
「必要なのは“深海六千メートルでの再設定”。
方法は、現場の判断に委ねます」
誠はゆっくりと頷いた。
(……行くしかない。
どういう形であれ)
◆
しばらく休んで医務室を出ると、三枝主任と榊原室長が待っていた。
榊原が静かに言う。
「白石先生から話は聞きました。
深海での再設定が必要だと」
誠は頷いた。
「はい。……六千メートルで」
三枝主任が腕を組む。
「深海潜水艇を使うしかないが……
勝手に動かせるものではない。政府の許可が必要だ」
榊原が続ける。
「潜航は国家レベルの決裁事項だ。
官邸に状況を説明し、許可を求める」
誠は息を整えた。
「お願いします」
榊原は頷いた。
「許可が下りるまでに、こちらで準備を進めておく。
《しおなぎ》の点検、パイロットの招集、航路の確保……
時間はかかるが、急ぐ」
三枝主任が誠を見た。
「南雲さん。あなたは休んでください。
潜航が決まれば、あなたの負荷は大きい」
誠は小さく頷いた。
(……準備が整えば、深海へ行く)
その決意の奥で、深海の“線”が微かに揺れていた。
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