第65話 南鳥島海域 ー 敵の準備
三日目の朝。
《あまぎ》の船体がわずかに揺れ、
誠は目を覚ました。
窓の外には、どこまでも続く青い海が広がっている。
(……着いたな)
高木がノックし、扉を開けた。
「誠さん、海域に入りました。
三枝主任がブリッジで待っています」
「わかった」
誠は深呼吸し、視界の安定を確かめてから部屋を出た。
ブリッジ。
航海士が短く報告する。
「予定地点に到達。船位、安定しています」
三枝主任が誠と高木に振り返った。
「ここからが本番です。
細かい説明はもう不要でしょう。
準備に入りましょう」
主任の声は落ち着いていたが、
その奥にある緊張は隠せていなかった。
高木が端末を確認しながら言う。
「《DS-01》の事前データ、
すべて読み込み済みです。
誠さん、初動の確認だけお願いします」
誠は頷いた。
(……身体は軽い。問題ない)
機材デッキ。
《DS-01》がクレーンに固定され、
作業員たちが最終チェックを進めていた。
金属の締め付け具が鳴り、ホースがわずかに揺れる。
三枝主任が短く説明する。
「今日の作業は“初動”がすべてです。
最初の数分で、
《DS-01》がどれだけ安定して動けるかが決まる」
高木が端末を見ながら言った。
「誠さん、
初動のデータは私が逐次読みます。
何かあればすぐ伝えます」
誠は《DS-01》を見つめた。
(……こいつを“感じる”だけだ)
「わかった。任せるよ、由理さん」
高木は小さく頷いた。
昼前。
白石医師が誠の脈を測り、軽く頷く。
「問題なし。
深海の残響は完全に抜けています」
「ありがとうございます」
白石は誠の肩に手を置いた。
「あなたの状態が安定しているのは大きい。
今日は慎重にいきましょう」
誠は静かに頷いた。
高木が横で端末を確認しながら言う。
「誠さん、《DS-01》の準備は整っています。
主任からの最終許可が出れば、いつでも投入できます」
「了解」
午後。
《あまぎ》は作業海域の真上に停止し、
エンジン音が低く響いていた。
クレーンが動き、
《DS-01》がゆっくりと海面へ移動する。
ホースがわずかに軋み、金属の音が甲板に響いた。
誠は手すりに寄りかかり、深呼吸した。
(……ここから先は、海の底だ)
高木が隣に立つ。
「誠さん、投入の準備が整いました」
「わかった」
三枝主任がインカム越しに声をかける。
『南雲さん、高木さん。
初動は慎重にいきます。
こちらの合図で投入します』
誠は短く答えた。
「了解です」
海は静かだった。
風も弱く、波も低い。
だが、その静けさの奥に、
これから始まる深海作業の重さが確かに潜んでいた。
(……行く準備はできている)
誠は目を閉じ、意識を静かに沈めていった。
――DS-01は、ほどなく投入されようとしていた。
◆
南鳥島沖の外縁。
“環境調査船”を名乗る白い船体が、
静かな海に溶け込むように停泊していた。
オブシディア作戦部所属 《ノルデン》。
その船橋で、ハンス・グレーバーは海図を広げたまま動かなかった。
無駄のない体躯。
短く刈られた金髪。
表情はほとんど変わらない。
通信士が報告する。
「日本側の調査船 《あまぎ》、
作業海域に到達。
潜行ユニットの投入準備に入ったようです」
ハンスは視線を海図から外さず、短く答えた。
「距離は?」
「六キロ。こちらの存在には気づいていません」
「当然だ」
ハンスは淡々と言った。
「我々は“環境調査船”だ。
少なくとも、表向きはな」
通信士は無表情のまま頷いた。
作戦室。
壁には深海地形図と、
八機のAUVのシルエットが並んでいた。
- **S-01〜S-04:監視型(小型)**
- **S-05〜S-08:妨害型(中型)**
黒いケースが並び、技術員たちが静かに作業を進めている。
技術員が報告する。
「監視型AUV《S-01》《S-02》、起動準備完了。
《S-03》《S-04》も待機状態です」
ハンスは頷いた。
「まずはS-01とS-02だけでいい。
日本側の“初動”を観察する」
技術員が続ける。
「妨害型S-05〜S-08は、
いつでも投入可能です。
モジュールも正常に作動しています」
ハンスは妨害装置の黒い筐体を一瞥した。
「深海での事故は珍しくない。
ユニットが迷走し、ホースが絡まり、
船が回収不能になる――よくある話だ」
技術員が静かに言う。
「……つまり、我々が手を出したと悟られないように?」
「そうだ」
ハンスは淡々と答えた。
「日本の深海作業は、ここで止める。
“事故”として処理される形でな」
通信士が尋ねる。
「妨害のタイミングは?」
ハンスは短く息を吐いた。
「深海は、こちらに時間をくれる。
まずは日本側の“癖”を見る。
どれだけ慎重に動くか、どれだけ余裕があるか」
「……了解」
ハンスは海図を折り、作戦室の窓から海を見た。
南鳥島の海は静かだった。
風も弱く、波も低い。
だが、その静けさは“深海の静けさ”とは違う。
深海は――
何かを隠すために静かである。
ハンスは低く呟いた。
「深海は、我々の味方だ。
動くのは……日本の作業のタイミングを見てからだ」
その頃、《ノルデン》下層デッキ。
監視型AUV《S-01》《S-02》が静かに起動音を立てた。
赤いランプが点灯し、
深海へ向かう準備を整えていく。
技術員が端末を確認しながら言う。
「S-01、S-02、システム正常。
投入位置まで牽引します」
ハンスの声がインカム越しに返ってきた。
『よし。
まずは“観察”だ。
日本側の動きを見極める。
妨害は――その後だ』
AUVの赤いランプが、
深海の闇を待つように静かに点滅していた。
お読みいただきありがとうございました。
「続きが気になる!」「誠頑張れ!」と思ってくださった方は、ページ下部にある「ブックマーク登録」と「評価の☆☆☆☆☆」をポチッと押して応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いします。




