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第64話 出航 ー 深海探査船 《あまぎ》

 横須賀港。

夕暮れの埠頭に、白い船体が静かに横たわっていた。


JAMSTIK深海調査船 《あまぎ》。


巨大な船体はすでに灯りを落とし、

出港前の静けさの中にあった。

その姿はまるで“深海へ降りるための塔”のようだった。


高木が小さく息を呑む。


「……大きいですね」


「以前の《あかつき》よりも、さらに深海仕様だ」


誠は船体を見上げながら言った。


(ここから、また深海へ向かう)


タラップの下で、白衣の男が二人に気づいて足を止める。


「……南雲さん」


白石医師だった。

一瞬だけ表情が和らぎ、すぐに医師の顔に戻る。


「沖縄以来ですね。

無事そうで何よりです」


「おかげさまで」


誠が短く答えると、白石は静かに頷いた。


「詳しい診察はあとで。

今夜はもう、無理をしないでください」


機材デッキでは、作業員と数名の技術者が最終固定を進めていた。

長大なホースはすでに所定位置に収まり、

自走式吸引ユニット 《DS-01》はクレードルの中で動かずに眠っている。


当直責任者が二人に近づいてきた。


「南雲さん、高木さん。

合流、確認しました。

明朝出港です。

作業内容については、海域到達後に判断します」


高木が尋ねる。


「三枝主任は?」

責任者は首を振った。


「別動です。出航までには合流するとのことです」


誠は《DS-01》を見上げた。

沖縄で使った装備よりも、さらに深い場所を想定している。


夜。


船内は静まり返り、

低い機関音だけが遠くで響いていた。


医務室で、白石医師が端末を操作し、短く頷く。


「数値は安定しています。

短時間なら、問題ありません」


誠は小さく息を吐いた。


「……ありがとうございます」


「明日は様子を見るだけです」


白石ははっきりと言った。


「違和感があれば、すぐやめます。無理をする段階ではありません」


「了解しました」


作業室では、高木が端末を閉じたところだった。


「《DS-01》の初動プログラム、確認しました。

最初はかなり抑えた設定にしています」


「慎重だな」


「ええ。誠さんの負荷を読むための“一手目”です」


高木は画面を示したまま続ける。


「明日は誘導ができるかどうかの確認だけ。

採取は……順調なら、その先です」


誠は頷いた。


「それでいい」


消灯後。

与えられた個室で、誠は天井を見つめていた。


胸の奥は静かだ。

沖縄で感じた白いノイズも、ざらつきもない。

ただ、深い場所へ向かう前の、

張りつめた沈黙だけがあった。


(……明日だな)


目を閉じると、

遠くで波が船体を叩く音が、かすかに聞こえた。



翌朝。

冬の薄い光の中、《あまぎ》はゆっくりと岸壁を離れた。


タグボートの水音が消え、

港の輪郭が少しずつ遠ざかっていく。


甲板に立つ誠の横で、高木が静かに言った。


「南鳥島まで、三日ですね」


「ああ」


《あまぎ》は何事もないかのように南へ針路を取る。


その動きを、

まだ――誰も、妨げてはいなかった。


機材デッキ。


金属の匂いと、わずかな油の香りが漂う。


中央には、長大なホースと、その先端に取り付けられた自走式ユニット 《DS-01》が固定されていた。


誠は思わず足を止めた。


三枝主任が近づいてきた。


「南雲さん、高木さん、実物を見るのは初めてですね」


《DS-01》は、丸みを帯びた筐体に複数のセンサーを備え、

海底を“這う”ように進むための脚部ユニットが折りたたまれている。


高木が慎重に観察しながら言った。


「センサーは多いですが……泥が舞えば、ほとんど役に立たないですね」


「その通りです。

だからこそ、南雲さんの誘導が必要なんです」


三枝主任は誠を見た。


「沖縄の時より環境はずっと安定しています。

ただし、深度は桁違いです。

負荷は……読めません」


誠は《DS-01》に手を触れず、ただ見つめた。


(……深海の“線”を読む。

それだけだ)


「やってみますよ」


誠の声は静かだった。


三枝主任は短く頷いた。


夕暮れ。


甲板に立つ誠の横で、高木が海を見つめていた。


「誠さん」


「ん?」


「……今回は、技術的な確認が多くなりそうです。

DS-01のデータも、まだ不確定要素が多いので」


誠は横顔を見た。


高木の表情は、冷静な技術者のそれだった。


「頼りにしてるよ、由理さん」


高木はわずかに頷いた。


《あまぎ》はゆっくりと沿岸を離れ、太平洋へと進んでいった。


冬の海は穏やかで、波は低く、船体はほとんど揺れない。

だが、その静けさの奥に、これから向かう深海の気配がわずかに潜んでいるように感じられた。


誠は甲板に立ち、遠ざかる陸地を見つめていた。


(……ここから先は、海しかない)


高木が隣に立ち、海風に髪を揺らした。


「誠さん、寒くないですか?」


「大丈夫だよ。

北海道に比べたら、むしろ暖かいくらいだ」


高木は小さく笑い、視線を海へ戻した。


二人の間に静かな時間が流れた。



お読みいただきありがとうございました。

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