第62話 帰宿 ー 大臣からの呼び出し
由理の呼吸が落ち着くまで、
ふたりはしばらく同じ場所に立っていた。
風が雪を揺らし、白樺の枝がかすかに鳴る。
「……戻りましょうか」
由理が小さく言った。
下山の道は、登りよりもずっと穏やかだった。
由理はときどき深く息を吸い、
吐くたびに肩の力が抜けていくようだった。
誠は必要以上に近づかず、
しかし離れすぎない距離で歩いた。
白樺の林に戻ると、
光が幹に反射して淡く揺れていた。
由理は立ち止まり、見上げた。
「……さっきは、景色が目に入らなかったんですけど」
誠は横に立った。
「今は?」
「きれいです。……ちゃんと見えます」
登山道の入口が見えてくると、
由理はふっと息をついた。
「無事に戻れましたね」
「当たり前だよ」
由理は少しだけ照れたように笑った。
宿舎に戻ると、
ストーブの温かい空気がふたりを包んだ。
「今日は……すごく疲れました」
「そりゃそうだよ。よく頑張った」
由理は静かに微笑んだ。
「南雲さんがいたから、歩けました。
南雲さん。これから“誠さん”と呼んでもいいですか?」
「もちろん。……うれしいよ」
夜。
誠は窓を開け、冷たい空気を吸い込んだ。
(……落ちる感覚、か)
由理の言葉が、
誠の胸の奥のざわつきと重なった。
深海のことを思い出すと、そのざわつきがかすかに揺れる。
誠はゆっくり息を吐いた。
(……まだ、続きがあるかもしれない)
雪が静かに降り始めていた。
◆
次の日も静かな朝だった。
窓の外には薄い雲が流れ、雪解けの匂いがかすかに漂っている。
誠は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
(……白いノイズは、もうない)
視界の端に跳ねていた白い粒は完全に消え、
胸の奥のざらつきもほとんど感じなかった。
由理が湯気の立つカップを置きながら言った。
「誠さん、今日も安定してますね」
「うん。だいぶ戻ったよ。
昨日はありがとう。
由理さんが頑張り屋な訳がわかったよ」
「私の力が足りないせいで何かを守れないというのは、絶対にいやなんです」
そのとき、テーブルの端末が短く震えた。
由理が画面を確認し、表情を引き締める。
「……官邸から。至急、とのことです」
誠は息を整え、頷いた。
(来たか)
誠は由理と向き合い、手を差し出した。
「行こう」
由理はその手を握り返す。
次の瞬間、視界が白く跳ねた。
◆
防衛省・中庭。
東京も冬の空気が冷たく、芝生の上には薄い霜が残っていた。
誠は周囲を見渡し、小さく笑った。
「……懐かしいな」
「ここに来たの、久しぶりですね」
だが、すぐに制服姿の職員が駆け寄る。
「南雲さん、高木さん。会議室へどうぞ」
誠は頷き、歩き出した。
胸の奥に、静かな緊張が戻ってくる。
(……次の任務だ)
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