第56話 二回目の中止 ー 能力の限界
深度千六百。
《しらぬい》は、二回目の抽出に向けて静かに待機していた。
一回目の成功から、
極端に時間を空けてはいない。
だが、周囲の“張り”は、はっきりと変わっている。
誠は、意識を沈めた。
(……重い)
地形そのものは変わっていない。
だが、噴出の脈が乱れ、流れの交差点が定まらない。
“揃う瞬間”が、前回よりもはるかに短い。
高木由理が負荷計を見つめながら言った。
「南雲さん、反応速度が落ちています。
一回目より、状態はよくありません」
誠は短く応じる。
「……わかってる。大丈夫だ」
嘘ではなかった。
だが、意識の奥で、戻りが遅れているのも事実だった。
三枝主任がブリッジに声を通す。
「二回目抽出、位置を微調整します」
ソナー画面には粒子帯が映っている。
しかし、その輪郭は定まらず、揺らいでいた。
誠は口を開くまでに、ほんの一拍遅れた。
(……ずれる)
「……少し、待ってください」
三枝は即座に応じる。
「待機」
一瞬、噴出が強まり、次の瞬間には崩れる。
誠の視界の端で、ノイズが太く揺れた。
(……前が、読めない)
由理が負荷計を見て言う。
「南雲さん、反応が追いついていません。
このまま続けた場合——」
「わかってる」
誠は深く息を吸い、意識を沈め直す。
だが、流れと地形が、噛み合わない。
そのとき、ソナーの縞が連続して跳ねた。
若手が声を上げる。
「流れ、乱れ始めています!」
ベテランが画面をにらんだ。
「……噴出の周期が崩れてる」
誠の内側に、はっきりと重い圧がかかった。
一拍遅れるたびに、白いノイズが太くなる。
(……ここじゃない)
誠が言葉にする前に、由理が判断した。
「中止です。
南雲さんの負荷が限界に近い」
主任は一切躊躇せず、指示を飛ばす。
「抽出中止!
アーム停止、引き上げ!」
《しらぬい》が姿勢を保ったまま、アームを収納する。
直後、深海が明確に荒れた。
噴出が不規則に強まり、
粒子帯は一気に拡散していく。
若手が息を呑んだ。
「……このタイミングで入ってたら……」
ベテランが低く言う。
「姿勢、持っていかれてたな」
由理が結論を出す。
「環境が変わりました。
噛み合う瞬間が、もうありません」
誠は椅子の背にもたれ、
ゆっくりと呼吸を整えた。
(……間に合わなかった)
判断を誤ったわけではない。
環境が、先に変わったのだ。
《しらぬいは、安全距離を取った位置で待機している。
三枝主任が全体を見渡して言った。
「この状態では、
三回目以降も成立しない」
由理が頷く。
「はい。
これ以上は、作業そのものが危険です」
短い沈黙。
三枝主任が静かに言った。
「……ミッションを、切り上げよう」
誰も異を唱えなかった。
◆
同じ頃。
沖縄トラフ外縁、監視船
分析員が報告する。
「日本側、二回目抽出を中止。
探査艇、上昇に入っています」
ゲイル・レンドルフは画面を見つめ、短く頷いた。
「……引いたか」
「AUVはどうしますか?」
「戻せ。
今は仕掛ける意味がない」
「了解。AUV二機、帰投開始」
画面の端で、深海に待機していた二つの影が、
静かに進路を変えた。
◆
日本側。
《しらぬい》は乱流帯を離れ、上昇を続けている。
若手がぽつりと呟いた。
「……一回目で、止めておいて正解でしたね」
ベテランが応じる。
「ああ。“取れた”ところで終わってる」
由理はログを確認したまま言う。
「今日の判断は、すべて正しいです」
誠は目を閉じた。
身体の内側から、力が抜けていく。
(……深海は、こちらの都合を待たない)
《しらぬい》は、予定どおり回収された。
作業区画には、成功でも失敗でもない、
納得に近い空気が残っている。
主任がまとめた。
「今回の任務は、ここまでとする。
理由は明確だ。
……これ以上は、成立しない」
誰もが、その言葉を理解していた。
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