第4話 海上救助 ー 能力の発現
海の匂いがした。
意識が浮上した瞬間、南條は波に揺られていた。
視界いっぱいに広がる青。
頬を打つ冷たい海水だけが、自分が生きていることを教えてくれる。
(……俺は、落ちたのか?)
ゆっくりと息を吸う。
胸は痛まない。
骨も折れていない。
それが逆に不自然だった。
パラシュートは海面に広がり、身体は救命具に支えられて漂っている。
だが――着水の衝撃の記憶がない。
高度も速度も考えれば、意識を失ったまま落ちれば即死して当然だ。
なのに、感覚が妙に軽い。
皮膚の外側に一枚薄い膜が張りついているような……そんな奇妙な違和感。
(最後に覚えてるのは……白い光)
あの光に包まれた刹那、世界が消えた。
ミサイルの接近音も、爆散の風圧もなかった。
ただ“声”だけが耳の奥に残っている。
――お前は選ばれた。
海風が吹いた。
本来なら肌を刺すはずの冷たさが、どこか遠い。
そのとき。
低くうなるローター音が空気を震わせた。
救難ヘリだ。
「南條! 聞こえるか!」
拡声器の声が波間に響く。
南條はゆっくりと腕を上げた。
救難員が海へ飛び込み、手際よく彼の身体を引き寄せる。
「無事でよかった……! 撃墜されたって聞いて、全員青ざめてたぞ!」
「……俺も焦ったよ」
本気で死んだと思った――その言葉は飲み込んだ。
ヘリに引き上げられた瞬間、身体が急に重くなった。
毛布をかけられた肩に、微細な震えが走る。
(……震えてる? いや、これは……)
震えにしては規則的すぎる。
心臓ではない別の場所で、何かが“脈動”している。
「痛むところは?」
「特には……」
嘘ではない。
ただ、説明できる痛みがないだけだ。
救難員は怪訝な表情を浮かべながらも頷いた。
「奇跡だな。あの高度と角度で無傷なんて、普通ありえねぇよ」
南條は黙った。
“奇跡”では片付けられないことを知っていた。
◆
基地へ戻ると、即座に医務室へ運ばれた。
白い蛍光灯がやけに眩しく、匂いの薄い空気が肌にまとわりつく。
軍医がライトを目に当てる。
「南條二尉、意識ははっきりしているな?」
「ええ」
「頭痛や吐き気は?」
「……少しだけ」
本当は“頭痛”ではない。
脳の奥に、白い残光がぼんやり滲んでいるような違和感だ。
軍医はカルテに記入しながら言った。
「身体的に異常は見られん。むしろ健康そのものだ。撃墜された者には見えんが……」
「……そうですか」
「念のため一晩はここで休んでもらう」
軍医が離れると、医務室は静寂に包まれた。
機械の電子音すら聞こえない異常な静けさ。
南條は天井を見つめ、呼吸を整えた。
(あの声……)
極限状態の幻覚と言い切れるだろうか。
だが、確かに“呼ばれた”感覚がある。
――選ばれた。
その瞬間、机の上のボールペンが視界に入った。
不意に、胸の奥がひやりと冷たくなる。
……やめろ。
視線をそらそうとした瞬間。
ボールペンの位置が――変わっていた。
落ちたわけでもない。
転がる音も、動く気配もない。
ただ、
「数センチ右へずれている」。
(……今、何が……)
思考が止まる。
息も忘れる。
世界の輪郭が一瞬ぼやけた。
南條は震える手で毛布を握りしめ、ゆっくりと呼吸を整えた。
――何かが起きている。
――俺の身体に、明らかに“異変”が。
白い光の残滓が、視界の端でふわりと揺れた気がした。
南條は目を閉じた。
胸の奥で、あの言葉が再び静かに反響する。
――選ばれた。
その声だけが、今の自分を形づくる“唯一の真実”のように思えた。
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