素朴な味ってどんな味? 痛くないパンってどんなパン?
20話になります。
寂しいなら寂しいと言ってほしかった。
誰よりも独りを嫌うこどもを悲しませた。
2度と悲しませないと誓ったのに──。
温かなスープが冷めたとしても。
みんなが一緒でなければ、それは本当に温かいとは呼べないから──。
素朴な味ってどんな味だと思う?
素朴な味は、優しい味がする──。
「スープ、冷めちまう」
「体が冷えてしまいますよ」
背後から胸元に腕をまわしてきたのはティアルだった。
ラナの顔を横からのぞき込んでいるのはロシュタムだ。
「なんで」
「すばしっこいから、つかまえ損ないましたよ」
「急にいなくなったら心配するだろう」
4つの瞳が柔和な眼差しでラナを愛でていた。
偽りではない本心からの言葉に、
「話はもういいの?」
声が震えそうになる。
もっと時間がかかると思っていた。
ラナがいなくなれば話も弾むと信じていた。
邪魔者は退散するにかぎると席を外した。
そのはずなのに。
2人はラナの側にいる。
「ああいった輩はね、適当にあしらえばいいんですよ。ラナと過ごす貴重な時間が削られてしまいました」
不機嫌そうにティアルが愚痴る。
「ティアルが正しいな。2人と過ごしている時間にわりこんでくる奴は、相手にしなくて構わない。邪険にしすぎると角が立つからな」
ロシュタムは、
「寂しい思いをさせたな」
ラナの頭を、ぽんぽんとたたく。
大きな手が優しくラナを労る。
「本当にすみませんでした。わたしも寂しかったですが、あなたに寂しい思いをさせてしまいましたね」
ティアルはラナを抱きしめている腕にさらに力をこめた。
「スープは温かいうちにな」
ロシュタムはラナの頭から手を離して、
「戻ろう」
明るく笑った。
楽しそうにしていたと思ったが、使聖や使聖徒に気をつかっていたのだと苦笑する。
「ティアルの愛想が壊滅的だからな、直ぐに走り出したぞ」
「あなたがわたしより先に動こうとしたからてわすよ」
あの後、ロシュタムは直ぐに集まっていた使聖に「ラナを追うから悪い」と断りを入れて立ち上がり、ティアルにいたっては、「ラナ!」と叫んで立ち上がったロシュタムを押しつけて扉から走り出た。
集っていた使聖や使聖徒は、ラティナ様に謝っておいてくださいと頭をさげた。
「ありがとう」
ラナが礼をのべると、ロシュタムはラナを小脇に抱えた。
「ロシュ?」
ティアルの前では決してしなかった抱え方に、ラナが戸惑う。
「わたしが抱えます」
「走るからこれが1番なんだ」
ロシュタムは回廊を飛び越えて最短ルートでラナを小脇に抱えて走る。
「まったく」
ティアルも仕方がないとロシュタムに続いた。
なんだかよくわからないけど、走ってるなあ、とラナだけが、わけもわからず揺られて食堂に連れ戻された。
──あれ、ロシュって言っちゃったかな。
ティアルはなにも言わなかった。
ラナは勘違いかと直ぐに考えることをやめた。
過ぎ去ってしまったから。
過ぎ去った日々を考えることは──ラナにはまだ辛かった。
元の席には先程まで賑わっていた使聖や使聖徒の姿はなかった。食事は手つかずのまま3人分残されていた。
ラナの中で苦い想いが弾ける。
心の奥で謝罪を繰り返す。
ラナは、
「ティアルやロシュタムはどんなパンがすき?」
ずっときいてみたかったことを、ついに口にした。
大聖堂で出される食事は常に温かい。
パンも焼きたてだ。
バターや香辛料をしっかりと惜しげもなく使い、美味しく食べられるように工夫されている。
「具が詰まったパン? 柔らかめ? 硬め?」
ラナの質問に、ロシュタムとティアルは顔を見合わせる。
「ぼくは素朴な味がするパンが好きだよ」
俯きながら、ラナははっきりと言った。
「混ぜ物や香辛料で騙すのではなく、純粋に小麦でつくられたパンのことでしょうか?」
ティアルが訊ねる。
「素朴なパンは、優しい味がする」
ラナは、顔をあげて幸せそうに笑った。
「優しい味、ですか」
ラナはうなずき、目の前で使聖用に焼かれた小麦とバターがふんだんに使われた贅沢なパンを見つめた。
「素朴で優しい味と感じたのはいつでしたか?」
「痛くないパンをもらえたときかな」
ティアルとロシュタムはラナを凝視した。
「投げつけられるパンは痛かった。たくさんのカビが生えていた。硬くて噛みちぎれなかった。それでもぼくは、痛くて硬いパンが毎日の中であたりまえになっていた」
ラナが額を無意識に触る。
流れた血の量と痣やコブになった回数が両手の数をこえた。ラナは大聖堂にくるまで知識を学んでいない。数は両手のぶんだけしかわからなかった。
どこからか片手が5で、もつ片手が5。
両方で10よと幼子に計算を教える優しい声がした。足の指は? と幼子が訊ねると母親は、そうね、足も片方が5つずつだから、あなたは今日で20のを数えられるようになったわ天才ねと幸せな家庭の声がした。
ラナには無縁のものだ。
橋の下で寒さと戦いながら、傷だらけの指を見つめる。手当などされない。自然治癒をまつだけが生き残る方法だ。
ラナは今日も残飯の中から拾ってきた食べらパンを川の水に浸すために立ち上がった。
ガラスが混入されたものは、さすがに食べられないからとつぶやいて。
「パンは痛くないもので柔らかいことをしったときはびっくりした。本当にね、毎日食べられなくて、ようやく見つけたパンも石よりかたくて。口の中にいれても無理だったから、水に長くつけておいたら、時間がかかっても食べられるようになった」
ラナは毎日が戦いだった。
現在は魔物と戦っている。
飢えはなくなったが、寂しさは消えない。
「素朴なパンは、誰かにもらったのですか?」
「うん」
ラナがまだ何者でもなかった頃。
1度だけ害するパン以外を差し出されたことがあった。シワとシミだらけの骨ばった手が、ラナの両手をつかみ、
「魔物に襲われて亡くなられた娘さんを思いだすって」
生い先が長くないことはすぐにわかった。
ラナは大切に受け取り、頭を下げて直ぐに立ち去った。ラナと一緒にいれば、寿命より早くに亡くなってしまう。だからラナは急いでその場を離れた。
「いまならわかるよ。おばあさんの娘さんを襲った魔物は、審臨外に棲まうことさえ拒否された低級で悪質な魔物だ」
審臨外に棲まう魔物の中でも、審臨の側で暮らせない魔物がいる。凶悪で見境なく襲いかかってくる低級の魔物だ。
「ごめん、変な話をしたね」
ラナは席につき、柔らかな焼きたてのパンを頬張った。
「2人とも早く食べ、わわっ」
ロシュタムの両腕が伸ばされ、ラナの頭を包みこんだ。
めずらしくティアルは止めに入らない。
ラナは2人の様子を黙って見ていた。
(第1審臨が昔からわたしは苦手だった)
ラナとロシュタムの微笑ましいやり取りを見ながら、ティアルは第1審臨のことを考える。
ラナの寂しさと飢餓を、違う形でティアルはある晩つきつけられた。
──第1審臨にラナが立ち入った。
不安がティアルの中でふくらんでいく。
ティアルは、
──飢餓と寂しさが蝕んでいく。
ラナの孤独に呼応するように【あの日の夜】の出来事を鮮明に思い出した。
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