閑話 ライラの実家訪問③
不意に、店内へ静かなピアノの音が響いた。
その一音だけで、それまで賑やかだった空気がぴたりと止まる。
酒を飲み交わしていた客達も、談笑していた声を自然と潜め、皆一斉に舞台へ視線を向けていた。
ゆっくりと幕が上がる。
そこにいたのは、ピアノの前へ腰掛けたラグナだった。昼間とは雰囲気がまるで違う。
騎士を思わせるような黒を基調とした衣装に、ベルベットの黒いマント。
スラリとした体躯と、整った顔立ちも相まって、まるで舞台劇の主人公のようだった。
ラグナが静かに鍵盤へ指を置く。
次の瞬間、空気が変わった。
流れ出した音は力強いのに、どこまでも繊細で、まるで心の奥へ直接触れてくるようだった。一音一音が鮮烈で、自然と耳を奪われる。
セラフィナは知らず息を呑んでいた。ラグナはただ演奏しているだけなのに、その音には不思議な熱があった。感情を、そのまま旋律へ変えているみたいだった。
やがて、ピアノの音が少し柔らかく静まると、舞台袖から今度はラークが現れた。
ラグナと色違いの衣装に白いマントを羽織り、手にはヴァイオリンによく似た弦楽器。
ラークが弓を滑らせた瞬間、ピアノへ新しい音色が重なり、二人の演奏は、驚くほど綺麗に溶け合っていた。
繊細なのに力強く、どこか胸を締め付けるような音。客席を見れば、静かに涙を拭っている人までいる。店の空気そのものが、二人の音楽へ呑み込まれていた。
そしてその時、再び幕の奥から一人の女性が姿を現す。
真紅の薔薇を思わせるドレスに長い金髪を揺らしながら、舞台中央へ歩み出たアリアは、真っ直ぐ前を見据えた。
その瞬間、ラグナとラークの演奏がぴたりと止まる。
数拍の静寂に張り詰めた空気の中、アリアがゆっくり口を開いた。
伴奏の無い、アカペラ。
歌い始めたのは、誰もが知っている故郷の唄だった。
旅人も、冒険者も、子供も、大人も、世界中のどこかで、一度は耳にする歌。
なのにアリアの歌声はまるで別物で、胸へ響くというより、魂を直接震わせるようだった。
懐かしさも、寂しさも、温かさも、全部を優しく掬い上げるような歌声。
気付けば、店内の誰一人として言葉を発していなかった。
ただ静かに聴き入っている。セラフィナも、目を離せなかった。
次に始まったのは、母の愛を歌った曲だった。
そこから再びラグナとラークの演奏が重なる。優しく包み込むような旋律。アリアの感情をそのまま乗せた歌声。
それらが混ざり合い、胸の奥へじわりと沁み込んでくる。
セラフィナは気付かないうちに涙を流していた。悲しい訳ではないのに涙が止まらない。胸の奥がぎゅっと締め付けられて、でも温かい。
数曲の演奏が終わり、最後の音が静かに消える。アリアが客席に向かって頭を下げると、一瞬だけ店内が静まり返った。
そして次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が響き渡る。
涙を流しながら叫ぶ者、口笛を鳴らす者、黄色い歓声まで飛び交い、店中が熱気に包まれていた。
「凄いね。彼女に比べたら、グレイスロウの劇場に立ってる俳優なんて足元にも及ばないよ」
感心したように拍手を送るレンティスの向かいでは、部下二人が顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「うっ……母さんの歌やば……」
「これ生で聴けるとか反則でしょ……」
そんな中、舞台袖から降りてきたラークが、真っ先にライラへ飛びついた。
「姉さん!!この男たちなに!?」
後ろからライラの腰へ抱きつきながら、ラークがレンティス達を警戒するように睨みつける。
「悪い虫なわけ!?この水色の人はちょっと僕らより顔が良いからって調子に乗んなよ!」
さらに反対側からは、ラグナがライラの首元へ抱きついていた。
「姉さんに変な事したら許さないからね……」
「いや誰も何もしてないんだけど!?」
レンティスが即座に突っ込む。
ライラは完全に呆れ切った顔で、小さく頭を下げた。
「……ホントすみません……」
その謝罪を、レンティスはじっと見ていたが、何かに気付いたように、ぱちりと瞬きをした。
「あっライラちゃん、そういう事?」
その問いに、ライラは観念したように小さく頷いた。
「ふぅん、そっかぁ。うん、分かった」
レンティスはにっこり笑う。
そして次の瞬間、あまりにも自然な動きでライラの身体がレンティスの腕の中へ収まっていた。
「は?」
「え?」
何が起きたのか理解できず、ラグナとラークは固まる。
抱き寄せられたライラと、満面の笑みを浮かべるレンティスを、二人は交互に見比べていた。
突然レンティスの腕の中へ収められたライラは、一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに小さくため息を吐いた。
一方、ラグナとラークは完全に固まっている。
そんな二人を横目に、レンティスはライラへこっそり耳打ちした。
「つい助けちゃったけど良かったの?」
「大丈夫です……」
「弟君達、再起不能になるかも?」
「姉離れさせないとなんで……」
「あぁ、まぁ、うん。そうだね」
妙に納得したように頷いた後、今度はライラが小声で聞き返す。
「そっちこそこんな事して大丈夫なんですか?」
「あぁ、僕は大丈夫。むしろライラちゃんだし……役得?」
あまりにも軽い調子で言われ、ライラは思わず吹き出した。
「ちょっ……ふふっ……!」
肩を震わせるライラを見て、レンティスは満足そうに笑う。
そして、そのまま未だ硬直している弟二人へ視線を向けた。
「なにって言われたらなぁ。僕にとってライラちゃんは(ユリウスの仲間だし)大切な人って所かな?」
「は?」
ラグナの口から間抜けな声が漏れる。
レンティスは気にした様子もなく続けた。
「悪い虫ではなくて、(色んな意味で)ライラちゃんを(物理的にも政治的にも)守れるからね、僕」
「えっ……」
ラグナの耳がぴんと立つ。
「ま、まさか……ホントに、この男がライラ姉ちゃんの……?」
言葉がうまく出てこないらしく、口をぱくぱくさせている。
「こ……こ……こい……えっ?」
「やだ!! いくら顔が良くったって僕は認めないからね!!」
二人揃って盛大に取り乱し始めた。
ライラは頭を抱えるように額へ手を当てる。
「もう、いい加減にしなさいよ二人共。レンティスさんに(一応貴族だし)失礼な事しないで」
「大丈夫だよ、気にしないから僕」
「そういう訳にも……」
「だって、(ユリウスの仲間って事は)もううちの大事な人って事だから」
にこにこと笑うレンティス。
その言葉に、ラグナとラークの顔色がさらに変わる。
「うち……?」
「大事な人……!?」
混乱が加速していく弟達を前に、レンティスは楽しそうに目を細めた。
「お姉ちゃん大好きなのは分かるんだけどさ、ライラちゃんは今、僕の (手元にいるだけだけど) だから。ごめんね?」
そう言って、さらに自然な動作でライラを抱き寄せる。
「は……」
「……ぁ……」
ラグナとラークはその場で崩れ落ちた。
魂が抜けたように床へ膝をつき、そのまま動かなくなると完全に意識がどこかへ飛んでいた。
その光景を見下ろしたレンティスは、少し困ったように苦笑した。
「あぁー、なんかちょっと罪悪感……ホントに良かったの?」
「大丈夫です。多分すぐ復活するんで……」
「ならいっか」
レンティスは軽く肩を竦める。
そしてふと、思い出したようにライラから少し身体を離した。
「あ、そういえばごめんね。いくらなんでもちょっと距離近すぎた」
「いえ、綺麗なご尊顔を近くで見れて役得でした」
ライラが真顔でそう返すと、レンティスは一拍置いてから盛大に吹き出した。
「あっはっはっはっ!!ライラちゃんマジで最高!!」
「いや本音なんですけど」
「そこが面白いんだって!」
笑いながら目尻を拭ったレンティスは、ようやく落ち着いたように息を吐く。
「もう少しボードウェルに滞在するし、また歌姫の唄、聴きに来るよ。ライラちゃんも明日いるよね?」
そう言いながら、あまりにも自然な動作でライラの手を取った。
白く長い指が、ライラの手を軽く持ち上げる。
そして次の瞬間、その手の甲へそっと口付けを落とした。
それを間近で見たセラフィナは思わず目を見開いた。
「じゃあまた明日!ほらお前らも帰るよー」
何事も無かったかのように軽やかに立ち去っていくレンティス。部下二人も慌てて後を追いながら、ライラへ同情の視線を向けた。
「あ、了解っす。……ライラさんドンマイ」
「……ライラさん、頑張ってください」
困惑するライラを残し、三人はそのまま店を出て行く。
静かになった席で、ライラはしばらく固まっていた。
「……えっ?今あの人何した?」
「……ライラの手に口付けた」
「は?えっ?なんで?」
「……なんでだろ……」
「えっ、また明日って言ってた?えっ?」
ライラは口付けられた手をぎゅっと握り締める。
普段なら余裕そうに笑って返しそうなのに、今は珍しく動揺していた。
耳まで真っ赤に染まったライラを見て、セラフィナは思わず小さく笑ってしまう。
どうやら、あの自由人の騎士は、ライラの調子まで狂わせてしまったらしかった。
ロックリード家は音楽一家。
そしてレンティスーーーー!!
ライラの何かが彼に刺さった模様。




