7話 安全地帯にて
――三十一階層の安全地帯。
簡易テントの設営を終えた四人は、中央に起こした焚き火を囲んでいた。
夜のダンジョンは静かで、揺れる炎だけが薄暗い空間を柔らかく照らしている。
鍋から取り分けた温かい食事を口に運びながら、自然と明日の話題へと移っていった。
「ここからは、少しずつ調査を進めていこう」
ユリウスが落ち着いた声で言う。
「二十九階層の異変もある。小さなことでもいい、少しでも違和感があれば必ず共有してくれ」
視線を順に三人へ向ける。
ライラが軽く手を挙げた。
「了解。変な気配は見逃さないようにするよ」
「俺も気をつけておく」
リュカも頷く。
セラフィナも小さく首を縦に振った。
それで話は一度区切りとなり、しばらくは他愛のない雑談が続く。
今日の進行の速さのことや、浅い階層の魔物のこと。焚き火を囲む空気は、どこか穏やかだった。
その時リュカの視線がふとセラフィナの手元に止まる。焚き火の光に照らされた指先がかすかに震えていた。
「セラフィナ、どうした?」
声をかけると、彼女は一瞬だけ目を伏せた。
「………………なんでもない」
そう言ってローブの袖で手を隠す。その仕草を見逃さなかったのは、ライラだった。
「体調悪いの?」
すぐに身を乗り出す。ユリウスも静かに口を開いた。
「不調なら言ってくれ」
三人の視線が集まる。セラフィナはわずかに首を振った。
「……大丈夫……だから」
そう言い残し立ち上がる。
「いや、大丈夫じゃないでしょ。ちょっと待って」
そのまま自分のテントへ向かおうとしたセラフィナの腕をライラが反射的に掴んだ。
次の瞬間。
「触らないで!!」
鋭い声が夜の空気を裂いた。セラフィナはライラの手を振り払う。
焚き火の炎が揺れる。それ以外の音は何もなかった。
セラフィナの顔は青ざめていた。驚きと、怯えと、そして後悔のような感情が混ざった表情。身体も震えており、今にも泣き出しそうにも見える。沈黙が落ちていった。
その空気を引き裂く様に、一拍、リュカが軽く手を叩いた。
「はい、そこまで」
三人の視線が彼へ向く。
「そんな顔色悪い子を、ほっとくわけにもいかないだろ」
いつもの調子で言いながら、リュカはセラフィナへ視線を向けた。
「セラフィナ、座って。ライラも」
そして、少しだけ優しく続ける。
「大丈夫、触れないから。ちょっと見せて」
セラフィナは迷うように立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと焚き火の前に座った。
リュカが手をかざす。薄い緑色の魔力が静かに彼女を包み込んだ。やわらかな光が揺れる。
「……魔力が少し乱れてるね」
リュカは穏やかな声で言う。
「治しておくよ」
次の瞬間、金色の光が緑の魔力の中に混ざった。それは一瞬だけ強く輝き、すぐに静かに消えていく。やがて光は完全に消えた。
「はい、終わり」
リュカは手を下ろし、セラフィナの顔を覗き込む。
「もう大丈夫でしょ?」
セラフィナはゆっくりと自分の手を見る。さっきまでの震えは、もうなかった。
「……うん……ありがと……」
小さく呟く。それから、そっとライラの方を見た。
「……スカウトさん……さっきは……ごめん……」
声はまだ少し震えていた。ライラは一瞬だけ驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。
「いいって!急に掴んだらびっくりするよね」
その言葉に、セラフィナは少しだけ視線を下げた。
「……触られるの……苦手で……」
「うんうん、大丈夫よ。次から気をつけるわね」
ライラは軽く頷き、優しく笑った。
「……落ち着いたな」
ユリウスが静かに声をかけ、焚き火の横に置いていたカップを手に取るとセラフィナへ差し出す。
「茶を入れてあるぞ」
焚き火の前に四人が座り、湯気の立つ茶をゆっくりと口に運ぶ。
先ほどまで張りつめていた空気は、いつの間にか柔らいでいた。しばらくの沈黙のあと、ユリウスが口を開く。
「休む前に決めておきたいことがある」
三人の視線が自然と彼に集まった。
「今日の見張り番だ。安全地帯とはいえ、二十九階層の異変もある」
その言葉に、リュカが小さく頷く。
「……安地が安地じゃなくなってる可能性か」
「そうだ。万が一ということもある。ここは慎重を期すべきだろう」
異論は出なかった。
「二人ずつ見張りに立とう。四刻交代だ」
そう言って順に視線を巡らせる。
「前半組が起きたら朝食、各自片付けが終わり次第、出発だ」
三人は静かに頷いた。
やがてテントへ入る者と、焚き火の前に残る者に分かれる。前半の見張りは、リュカとセラフィナだった。ライラとユリウスは既に就寝中だ。
ダンジョンの夜は静かで、焚き火の揺れる光だけが周囲を照らしていた。しばらく言葉はなかった。
沈黙が続いたあと、リュカがふと思い出したように口を開く。
「……なんか話しない?」
セラフィナはちらりと彼を見る。
「なんでもいいんだけどさ」
リュカは火を見つめたまま続けた。
「例えばだけど、好きな食べ物の話とか」
「…………?………………なんで?」
セラフィナが小さく尋ねる。リュカは肩をすくめた。
「せっかくパーティ組んでるんだし、仲良くしときたいじゃん?」
焚き火の炎が静かに揺れる。セラフィナは少しだけ俯いた。
何かを考えるように、しばらく黙っている。そして、ぽつりと呟いた。
「……りんごのパイ……」
一瞬、リュカは目を瞬かせた。すぐに顔がぱっと明るくなる。
「そっか。甘酸っぱくて美味いよな」
嬉しそうに笑う。
「俺も時々食べるよ。俺はなぁ……屋台で売ってる焼き鳥かな」
焚き火に小さく薪をくべる。
「塩でもタレでもうまいんだよ、あれ」
それからは、ぽつりぽつりと会話が続いた。食べ物の話や、街で見かけた店の話。どれも取るに足らない話題だったが、二人の間の空気はどこか温かかった。
やがて会話がふと途切れる。焚き火を見つめながら、セラフィナがゆっくりと口を開いた。
「…………ヒーラーさんの魔力は……あたたかいね」
リュカは少し驚いた顔をする。
「え?」
セラフィナは視線を落とした。
「……私は……壊すことしかできないから……」
声は小さく、どこか沈んでいた。リュカは首を傾げる。
「いや、そんなことないだろ」
思わず言い返す。セラフィナは驚いたように顔を上げた。リュカは焚き火の向こうから真っ直ぐ彼女を見ていた。
「ここ二日間、一緒に行動して思ったよ。セラフィナの魔法ってすごいって」
どこか安心させるような穏やかな声で続ける。
「すごい繊細な魔力操作だろ。四属性どれも手足みたいに使ってる。……どんだけ頑張ってきたんだろうなって思った」
少し笑顔になり、指を折るように言葉を続けた。
「十一階層の群れ、あれ全部セラフィナが片付けただろ」
「二十階層でも、いいタイミングで援護してくれたし」
「今日の三十階層だってセラフィナがミノタウロスの武器を破壊してくれたから速攻終わったようなもんだろ」
「正直、かなり助けられてる」
ひとつひとつ思い出すように言う。セラフィナは黙って聞いていた。
「だからさ」
リュカはまっすぐセラフィナの眼を見て言った。
「壊すことしかできない、なんて思わなくていい」
焚き火が静かに揺れる。
セラフィナは何も言わず、フードを深く被った。顔は見えない。けれど、その奥から小さな声が落ちた。
「…………ありがと……」
夜の静けさの中で、その言葉はとても小さかったが、それでも、リュカにははっきり聞こえていた。
少し不穏な気配...
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※グレイスロウ大ダンジョンについて②
各階層に安全地帯(通称:安地)と呼ばれる場所がある。
入口まで戻る転送陣があり、一定の広さでモンスターが一切寄ってこないため、冒険者の休憩所となっている。
・転送陣
入口へ戻る一方通行なので、同階層にはもう一度最初から潜って来ないとならない。




