52話 傷
ユリウスが事情を説明し終える頃には、森の空気はすっかり落ち着きを取り戻していた。
セラフィナはまだリュカの胸元に寄りかかったままだったが、呼吸は整い始めている。涙も少しずつ引いてきていた。
その様子を横目に、ライラは腕を組んだまま黙って話を聞いていた。
最初は真剣な顔だった。
だが話が進むにつれて、表情がゆっくり変わっていく。目の奥の光が消え、代わりにどこか冷たい空気が流れてくる。
話が終わった瞬間、ライラは転がされている男たちを見た。
「……ほーん…で、うちの子を人質に取ったのはどいつよ」
その声に、リュカは思わず眉をひそめる。
ライラの目が据わっていた。完全に怒っている時の顔だと、すぐに分かった。
「……ライラ、落ち着け、マジで」
リュカが警戒を込めて言うが、ライラは振り向きもしなかった。
「落ち着ける訳ないでしょーが!許せん!!処す!!」
次の瞬間、男たちの方へ一直線に歩き出す。
その勢いに、ユリウスが慌てて後ろから抱き止めた。羽交い締めにして動きを止める。
「いやいやいや、まだ聞かないといけない事もあるんだ!まだ処すな!落ち着け!!」
「はーなーせーー!!」
ライラがじたばたと足をばたつかせ、腕を振り回し、本気で振りほどこうとしていた。
その勢いがあまりにも凄まじくて、リュカは思わず目を瞬かせた。そしてふと視線を落とすと、胸元のセラフィナが、顔を上げてライラを見ていた。
まだ目元は潤んでいるが、さっきまでの混乱は少し落ち着いているようだった。
「……ライラ」
小さく名前を呼ぶと、ライラの身体がぴたりと止まった。
次の瞬間にはユリウスの腕を振りほどき、一直線にセラフィナの元へ飛んでくる。
「セラフィナ!!怖かったよね!遅くなってごめんね!」
顔を覗き込みながら、魔法鞄からタオルを取り出すと、涙で濡れた目元を、優しく拭いた。
セラフィナは少し困ったように笑う。
「…全然遅くないよ…あの子達は大丈夫だった?」
その問いに、ライラがはっとした顔になる。
「はっ!!そうだったわね!……あの子達は師匠に預けてきたから安心よ。リュカ、後で力貸して欲しいって師匠から伝言」
「了解」
「もう少ししたら、師匠がボードウェルの自警団を引き連れてくるはずだから、それまで待機ね」
四人は転がっている男たちの周囲に集まり、それぞれ作業を始める。
ユリウスとライラ、セラフィナは持ち物の確認、リュカは男たちの状態確認だった。
まず荷物を調べていたユリウスが、小さく声を漏らす。
「……あったぞ」
取り出したのは黒い宝石がはめ込まれた十字架だった。見覚えのある形だ。
「やはり持っていたか」
「こっちにもあったわ」
ライラが別の荷物から同じ物を取り出していた。
「……子供達も洗脳状態だったからね…」
「これで3つも洗脳の魔道具が出てきたな」
さらに荷物を漁ると、別の物も出てきた。
前回見つけたものと同じ、ガルディア連合国の地図だった。そこにも印と数字が書き込まれていた。
三人が荷物を調べている間、リュカは男たちの状態を順番に確認していく。
致命傷はないがどれも軽傷とは言い難かった。
脚を貫通している傷、肘から先を失った腕、異様なほど腫れ上がった顎、曲がった鼻。
どれもまともに動ける状態ではない。
リュカは腕を組んで少し考える。
「……とりあえず今は治すと逃亡するかもしれないからな…治癒魔法は使わず、失血死する前に傷だけ塞ぐわ」
そう言って魔法鞄を開くと、中から取り出したのは外科手術用の道具だった。
針、糸、消毒用の薬液。
三人が揃って目を瞬かせる。
リュカは浄化魔法を軽くかけながら、手早く傷口を処置していく。
開いた傷に糸を通し、素早く閉じていくと、そこに下級ポーションを少量かけて止血し、布を当て、包帯を巻く。
その動きに一切迷いがない。あまりの手際の良さに、三人は思わず顔を見合わせた。
「医術の心得もあるのか?」
ユリウスが聞くとリュカは手を止めないまま答えた。
「医療班に入ったばかりの時はこういう事ばっかしてたからな。治癒魔法覚えてからはあまりやらなくなったけど」
糸を結び、次の傷へ移る。淡々と処置を続けながら、最後に小さく呟いた。
「正直言うとこいつらに手当なんてしたくないけどな。今死んでも困る」
最後の包帯を巻き終えるとリュカは立ち上がり、軽く手を払った。
――――
ファイフの到着を待つ間、四人は森の中の開けた場所に腰を下ろしていた。
縛り上げられた男たちは少し離れた場所に転がされている。応急処置だけは済ませてあるため、命に関わる心配はない。森の風が枝葉を揺らし、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かだった。
その静けさの中で、セラフィナの話を聞くことになった。
ライラはセラフィナのすぐ隣に座っていた。いや、隣というよりほとんど寄り添うように身体を寄せ、腕までしっかり組んでいた。
まるで少しでも距離を空ければ、また何かが起こるのではないかと警戒しているようだった。
それを見て、ユリウスは木にもたれながら苦笑する。
「……セラフィナ、嫌なことは嫌って言って良いんだぞ?」
「ちゃんと許可もらったからいいんですー!」
ぷいっと顔を背ける。頬を少し膨らませている様子は、普段の彼女そのものだった。
セラフィナはそのやり取りを見て、小さく笑う。
「大丈夫だよ…」
声はまだ少しかすれていたが、先ほどより落ち着いている。
リュカは二人の前にしゃがみ、セラフィナの顔をそっと覗き込んだ。
赤く腫れた目元。泣き疲れた痕跡がはっきり残っている。それでも、怯えたような色はもう浮かんでいなかった。
「多分、言うのもしんどいと思うんだけど…何があったか教えて貰えるか?」
できるだけ穏やかな声で尋ねると、セラフィナは少しだけ目を伏せた。沈黙が数秒流れ、そして小さく頷いた。
「……うん……」
それから、ぽつりぽつりと言葉が落ちていく。
十年前、故郷のリーヴェル村で起きた出来事。
静かな村が突然襲われたこと、暴力を振るわれ、父母を殺され、更に村の人々が殺されていく光景、燃やされた家、精霊の力が暴れ出したあの瞬間。
語られる内容は断片的だったが、その断片だけで十分だった。
三人は誰も口を挟まず、ただ黙って聞いていた。
セラフィナの言葉が進むにつれ、胸の奥に重たいものが積み上がっていく。想像するだけでも苦しい光景だった。
やがて、セラフィナの言葉が途中で詰まり、唇が震え始めた。
「その時…の村を壊し、た人達が…着てた服装が…あれと同じ、だったの…」
視線は地面に落ちたままだった。握られた指先が小さく震えている。そして、さらに言葉を続けようと目をきつく閉じた。
「……お父さ…や……お母さん…を殺したの…は…あいつらでも…みんな……みんな、壊しちゃったのは……わた」
そこまで言った瞬間だった。
ライラが突然、セラフィナの言葉を遮るように、ぎゅっと、強く抱きしめた。
セラフィナの身体が小さく揺れる。
「……そんな訳ないじゃない……」
ライラの声は震え、目にも涙が浮かんでいた。
「全部、あいつらが悪いのよ」
言葉の最後がかすれる。セラフィナの肩に顔を埋めた。
「だって、あいつらがリーヴェル村に来なかったら、セラフィナも、精霊ともっと早く仲良くなれてたかもしれない」
抱きしめる腕に力がこもる。
「もっと穏やかに、ご両親と笑って……こんな…こんなしんどい思いしなくたって生きていけた!」
途中から怒りと、悲しみが混じる声になっていった。
セラフィナはその腕の中で、呆然としたように瞬きをする。そして、小さく震える唇を開いた。
「わ…たし、…生きてちゃ……いけないんじゃないか、って…どっかで思ってた……」
言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「でも……自分じゃ死ねなくて……死にたくなくて……」
その声は弱々しく、どこか罪を告白するような響きさえある。ライラはすぐに首を横に振った。
「そんなの当たり前よ…」
その瞬間、ライラの瞳から堪えきれなくなったように涙が溢れ、ぽろぽろと零れ落ちていく。
ライラは泣きながらセラフィナの頭を撫でた。
「本当に……よく頑張ったわね……」
何度も、何度も、労わるように、幼子に愛しさを伝えるように。
「凄いよ…えらいね………生きていてくれてありがとね……」
その言葉を聞いた瞬間だった。
セラフィナの目からも涙が溢れ出し、堪えていたものが一気に崩れてしまった。
「本当は…ずっと、ずっと、寂しかった!」
声が震える。
「みんないなくなっちゃって、なんにも無くなっちゃって……寂しかったの!」
「うん」
「ずっと、誰か助けてって言いたかった!」
「うん」
「ずっと、怖かったの!」
「うん」
「また、壊しちゃいそうで怖かったの……」
セラフィナはライラに縋るようにしがみつきながら泣いた。
心の奥から溢れ出した叫びだった。
長い間、ずっと押し殺してきた、言葉にもできなかった感情。
それらが堰を切ったように涙となって溢れて止まらなかった。
リュカはその様子を見て、静かに手を伸ばす。ライラに抱きしめられているセラフィナの背中に、そっと手を当てた。
何も言わず、ただそこにいることを示すように。
ユリウスはもたれていた木を離れ、セラフィナとライラの傍に寄ると魔法鞄を開き、綺麗なハンカチを二枚取り出すと、無言で二人の前に差し出した。
泣き声だけが、しばらく森の中に静かに響いていた。
10年間独りで生きてきたセラフィナ。
誰かにずっと言って欲しかった言葉と、幼い頃言えなかった事をようやく言えて、小さな彼女も救われました。




