51話 慟哭
セラフィナの首を締め上げる腕を見た瞬間から、リュカの身体は動けなくなっていた。
ほんの少しでも踏み込めば、男は迷わず力を込めるだろう。あの血走った目を見れば分かる。理性など残っていない。
そのせいで、ユリウスも動きを止めざるを得なかった。
その隙を狙われ、拳が振り下ろされる。殴られるたびに、ユリウスの身体がわずかに揺れるが反撃はしない。出来ない。
セラフィナが人質に取られている以上、軽率に動けば状況は悪化するだけだ。
リュカは歯を食いしばった。
――どうする。
このままではユリウスもいずれやられる。セラフィナも危ない。
何か、何か打開しなければならない。
気持ちばかりが焦るが、不用意な一手が取り返しのつかない結果を招くことも分かっていた。
突如空気が変わった。微かな違和感が、肌を撫でる。
次の瞬間、それがはっきりとした感覚へ変わった。
魔力だ。セラフィナの身体へ、膨大な魔力が集まり始めている。
この感覚を、リュカは知っている。忘れるはずがない。
あのダンジョンで、彼女が魔力暴走を起こした時と同じだった。背筋が冷たくなる。
「セラフィナ!!!」
名前を叫んだその瞬間だった。
セラフィナの身体から、抑えきれないほどの魔力が溢れ出すと、空気が震え、風が巻き上がる。
彼女の首を締めていた男の身体が圧力に耐えきれず弾き飛ばされた。暴れ出した魔力の奔流に押し出されるように吹き飛び、男の身体は背後の木に激突した。
その瞬間、リュカは迷わず手にしていた聖槍を全力で投げる。腕の筋肉が軋むほどの力を込めた一投。
一直線に飛んだ槍は、逃げる暇も与えず男の太ももを貫き、その勢いのまま背後の木へ深々と突き刺さる。
男の身体は聖槍ごと木へ縫い止められた。
悲鳴が上がるがリュカはもうそちらを見ていなかった。
槍を投げた瞬間から、身体はセラフィナの元へ向かって地面を蹴る。
周囲では魔力の嵐が吹き荒れていた。
強烈な魔力が空気を揺らし、木々を軋ませる。普通なら近づくことさえ出来ないほどの圧力だった。
リュカは身体の周囲に淡い緑色の魔力を纏い、暴れ狂う魔力の流れを押し分けるようにしてセラフィナの元へ駆け寄った。
「セラフィナ!!」
声をかけるが反応がない。
彼女の瞳はどこか焦点が合っておらず、意識が遠くへ行ってしまっているようだった。
リュカはすぐに手をかざす。
淡い緑色の魔力が、金色を帯びながらセラフィナを包み込むと、魔力が静かに流れ込んでいく。
暴走した魔力の流れを落ち着かせるための力。
しかし今回は違った。威力は確かに弱まっているのになかなか収まらず、魔力はまだ荒れ狂っている。
リュカの胸に焦りが広がった。
「セラフィナ!もう大丈夫だから!しっかりしろ!」
声を張り何度も呼びかける。
その声が届いたのか、わずかな変化があった。
セラフィナの瞳に、少しずつ光が戻っていく。
ぼんやりと揺れていた視線が、ゆっくりとリュカの顔を捉えた。
次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。驚きと、信じられないという感情が混ざった表情だった。
「リュカ……」
小さく名を呟くとその直後、セラフィナは顔を顰め、赤い瞳から涙が溢れる。
そして次の瞬間、セラフィナは勢いよくリュカの胸へ飛び込んできた。服を掴み、必死にしがみつく。
「うわあぁあああぁあああ」
堰を切ったように泣き出した。声が震え、嗚咽が止まらない。腹の底から溢れるような慟哭だった。
リュカは魔力を流し続けていた。だが周囲の魔力の嵐は、まだ完全には収まっていない。
セラフィナの様子を見て別の感情が浮かんでいた。今までの彼女なら、こんな風に誰かに縋りついて泣くことはなかった。
いつも静かに、感情を強く表に出すことは少ない。
それが今、子供のように泣きじゃくっている。
何かがあった。
そう感じた。
リュカは一瞬だけ躊躇するが、すぐにその迷いを振り払った。
セラフィナの身体を、そっと抱きしめる。
暴れる魔力を抑え込むように、魔力を流し続けながら、幼い子供をあやすように、一定のリズムで背中を優しく叩いた。
「大丈夫……落ちつこうな……」
穏やかな声で、何度も、何度も繰り返す。
その声に呼吸を合わせるように、セラフィナの嗚咽が少しずつ弱くなっていく。
荒れていた魔力の流れも、次第に穏やかになっていった。吹き荒れていた風が弱まり、揺れていた木々も静かになっていく。
やがて、嵐は止んだ。
セラフィナの肩の震えが落ち着いてきたのを確認してから、リュカはゆっくりと顔を上げ、視線をユリウスの方へ向ける。
その途中で、異様な光景が目に入った。
ルシアンが地面に蹲っている。左足には剣が深く突き刺さっていた。
――――
ユリウスは、リュカがセラフィナの元へ駆け出した瞬間を見逃さなかった。
人質を取っていた男が吹き飛ばされ、状況が崩れたその一瞬で動けずにいた身体をすぐに解放する。
目の前の男たちは、セラフィナから噴き出した魔力に圧倒され、完全に動きを止めていた。
先ほどまで嬉々として拳を振るっていた顔が、今は引き攣っている。
ユリウスは最初に顔面を殴ってきた男へ、一歩で距離を詰めて迫る。
反応する間も与えず、拳を下から振り上げた。顎を正確に捉えた一撃に男の身体が大きく跳ね上がり、そのまま力なく崩れ落ちる。意識が飛んだのは見て取れた。
次の瞬間、横から拳が飛んでくるが、ユリウスは男の腕を軽くいなすと、そのまま身体を後ろへ半回転させた。
遠心力を乗せた脚が振り抜かれ、上段蹴りがこめかみに叩き込まれた。男の身体が大きく横へ弾かれ、地面を転がって止まる。
周囲の空気がまだざわめいている。セラフィナの魔力の余波が、森の空気を揺らしていた。
ユリウスは口の中に溜まった血を吐き出すが、鉄の味が舌に残った。
足元に転がっていた剣が目に入り、軽く蹴り上げると空中に浮いた柄を、そのまま掴み取る。
視界の端にルシアンの姿が見えた。
男は状況を理解しているはずなのに、なぜか笑っていた。
視線の先にはリュカがいる。セラフィナの魔力暴走を抑える為、金色混じりの魔力を纏うその姿を見て、口元を歪めていた。
その表情に、全身が粟立つような感覚になる。
ユリウスは躊躇なく腕を振り、握っていた剣を力いっぱい投げた。
一直線に飛んだ刃が空気を裂き、ルシアンの左脚を貫いた。
ふくらはぎの辺りを深く貫通する。
「!!あぁぁああ!」
遅れて悲鳴が上がった。ルシアンは足を押さえ、その場に蹲る。
森の空気が少しずつ落ち着いていく。セラフィナの魔力暴走も、どうやら収まりつつあるようだった。
視線を向けると、リュカがセラフィナを抱き寄せていた。彼女はその胸元に顔を埋め、肩を震わせている。泣いているのが遠目でも分かった。
次の瞬間リュカがゆっくり顔を上げ、ユリウスに向かって手をかざすと、淡い緑色の魔力が流れてくる。
瞬時に殴られた頬の痛みが消え、腹の鈍い痛みもすぐに引いていく。
ユリウスは思わず苦笑した。
「相変わらず規格外だな」
戦闘の空気は、ほぼ収まっていた。
――――
ユリウスは意識の無い神殿騎士たちを順に縛り上げていき、男たちは地面に転がされていった。
木に縫い止められていた男からも武器を取り上げ、縄を回す。
最後に、足に突き刺さっていた聖槍を引き抜いた。
重量のある槍を軽く肩に担ぎ、そのままリュカの元へ歩いていく。
「悪いなユリウス。大丈夫だったか?」
聖槍を受け取り、リュカがユリウスに声をかける。
「あぁ、問題ない。それよりセラフィナはどうだ?」
「……魔力暴走はもう大丈夫なんだけど……」
リュカは腕の中の彼女へ視線を落とす。セラフィナはまだリュカの服を掴んだままだった。
涙が次々と落ちている。呼吸もまだ乱れていた。
その時、彼女の唇が小さく動いた。
「……だ……た」
かすかな声が聞こえ、リュカが顔を近づける。
「どうした?」
「……同じ……だったの……」
「同じ?」
言葉が途切れ途切れになる。セラフィナは震えながら言葉を絞り出した。
「お父さ…んとお母さんを…殺されたときにいた…人と……服が……」
そこで声が詰まる。胸が大きく揺れ、耐えきれなくなったように再び声を上げて泣き出した。
「うあぁああ……」
リュカとユリウスは、思わず顔を見合わせる。驚きが同時に浮かんだ。
「それって……」
「セラフィナの、故郷が無くなったという話か……?」
背後で何かが動く気配がした。
振り向くと、縛って地面に転がしていたはずのルシアンが立ち上がろうとしていた。
いつの間にか拘束を解いて、足を引きずりながら、森の奥へ逃げ出そうとしている。
その時、ルシアンの前に上から影が落ちた。
次の瞬間それは飛び上がり、きれいな膝蹴りがルシアンの顔面へ叩き込まれると、ルシアンはそのまま後ろ向きに倒れこみ、身体が地面に落ちるとそのまま完全に動かなくなった。
膝蹴りを決めた人物が、軽く着地する。
「このクソ野郎、どうやって拘束解いたんだか」
吐き捨てるような声にユリウスが口元を緩めた。
「早かったな、ライラ」
その言葉に、ライラがこちらを振り向く。そしてユリウスの姿を見た瞬間、目を丸くした。
「えっ!?ユリウスなんでそんな汚れてんの!?」
次に視線がリュカへ移る。その腕の中で泣いているセラフィナに気づき、さらに慌てた。
「ってかセラフィナが泣いてる!?なんで!!?」
ライラは落ち着かない様子で、二人の周りを行ったり来たりする。どうしていいか分からない様子だった。
ユリウスは小さく息を吐き、ライラの肩に手を置いた。
「落ち着け、説明する」
記憶を取り戻し、混乱するセラフィナ。
リュカとユリウスは必〇仕事人並に役割分担して敵を無力化しました。




