49話 衝突
ルシアンは、聖槍の穂先を向けられているというのに逃げようともしなかった。むしろ、その状況を理解できていないようだった。
リュカから向けられる明確な敵意を前にして、男はゆっくりと頭を抱えた。指を髪に食い込ませ、視線を地面へ落とす。
「あぁリュカ様、一体何を怒っていらっしゃるのですか………」
声は震えている。だがそれは恐怖ではなく、困惑の色だった。
「分からない……分からねば……私はリュカ様の信徒なのだから」
ブツブツと呟くその言葉はまるで祈りのようだった。
しかし響きはどこか歪んでいる。目の前の現実と、男の中にある信仰が完全に食い違っているのが分かった。
リュカはその様子を見て、わずかに息を吐いた。
「ユリウス、セラフィナ」
ほんの一瞬だけ、視線を横へ向ける。それだけで十分だった。
三人は同時に動いた。
リュカとユリウスは正面からルシアンへ向かって踏み込む。まっすぐ突き進むその動きに、周囲の男たちは一瞬で警戒の姿勢を取った。
だが次の瞬間、二人の軌道が鋭く変わる。狙いはルシアンではなかった。
麻袋を抱えていた男たちへ、左右から一気に距離を詰める。あまりにも突然の動きに男たちの反応は明らかに遅れた。聖槍が閃いた一瞬の光の後、空気がわずかに震えた。
麻袋を抱えていた腕が、肘から先ごと切り落とされる。男たちの体がぐらりと傾いた。
麻袋が地面に落ちるよりも早く、リュカとユリウスがそれを掴む。そしてほとんど同時に後方へ放り投げた。
「セラフィナ!」
名前を呼ぶ声と同時だった。
セラフィナの周囲で風が静かに巻き起こる。二つの麻袋は空中でふわりと減速し、柔らかな風に受け止められた。衝撃を吸収されたまま、ゆっくりとセラフィナの方へ引き寄せられる。
セラフィナはすぐに風を広げ、麻袋ごと子供たちの体を浮かせる。同時に自分の身体も風に乗せた。足が地面から離れ静かに高度を上げると、枝が複雑に絡み合う高い場所まで一気に上昇した。葉の影の奥へと身を隠す。
その一連の動きを、ルシアンはギラギラした目でじっと見ていた。呟きも止まり、顔を上げている。そしてゆっくりと口角を持ち上げた。
「あくまで排除ではなく救出……畜生にも慈悲深いとは」
その声音には、侮蔑と興味が混ざりあっているようだった。
セラフィナが辿り着いた木の上、そこから二本隣の枝にライラが待機していた。
葉の影に溶け込むように潜み、気配はほとんど感じられない。
セラフィナが枝に足を下ろすと、ライラはすぐに静かに近づいた。
麻袋の口を開き、中の子供たちを確認する。二人とも目は開いているが焦点が合っていない。洗脳状態だった。
ライラは素早く袋から子供たちを引き出し、セラフィナへ小声で言った。
「……手筈通りこのまま私は子供達連れて町へ行く。セラフィナはどうする?」
「……二人の援護に」
ライラは小さく頷く。
「了解……無茶するんじゃないわよ。……半刻で戻ってくる」
セラフィナも小さく頷いた。
ライラは子供たちをそれぞれ両脇に抱え込む。体勢を整えると、枝から枝へと静かに移動し始めた。
そのまま気配を消すように、町の方向へ離脱していった。
地上では、片腕を失った男たちが地面に膝をついていた。
切断面に慌ててポーションを振りかけ、何とか出血だけは止めている。
だが痛みと衝撃で身体は思うように動かない。その場に蹲りながら、二人はリュカとユリウスを睨みつけていた。
憎しみと恐怖が混ざった目だった。
その様子を、ルシアンは冷めた目で見下ろしていた。
「まったく……情けない。神に仕置されたお前はまだしも、冒険者ごときにやられるとは」
次の瞬間、ルシアンが足を振り上げた。ユリウスに腕を切られた男の顔面へ、そのまま蹴りを叩き込む。
男の身体が大きく弾き飛ばされた。地面を転がり、近くの木の幹にぶつかるとそこで動かなくなった。
完全に気を失ったようだった。
その光景を見て、リュカとユリウスは思わず言葉を失った。リュカが眉をひそめる。
「……何やってんだよお前。部下なんじゃないのか」
ルシアンはゆっくりと足を下ろした。何事もなかったような顔で答える。
「あぁ、良いのですよ。使えないものは処分しなければ」
その言葉には、迷いも躊躇も一切含まれていなかった。
ルシアンは倒れた男のもとへゆっくりと歩み寄っていった。
地面に転がり、意識を失っている部下を見下ろす。その顔には、仲間を気遣う様子など一切なかった。ただ、壊れた道具でも確かめるような視線を落としている。
魔法鞄へ手を入れ、取り出したのは細長い注射器だった。透明な筒の中で、どろりと濁った液体がわずかに揺れている。
ルシアンはしゃがみ込み、男の首元へそれを向けた。針先が皮膚に触れようとした瞬間だった。
鋭い音とともに、上から土塊が弾丸のように飛び込んできて、注射器が弾かれる。
細いガラスは衝撃に耐えられず、その場で砕け散った。濁った液体が地面に飛び散り、土へ吸い込まれていく。
ルシアンの動きが止まり、ゆっくりと立ち上がると舌打ちをした。
「ちっ……チョロチョロと神の周りを飛ぶ虫の分際で……」
その目がゆっくりと上を向く。枝葉の奥、高い木の上。そこに潜むセラフィナを見据えるように、視線が突き刺さった。
低く呟く声は、先ほどまでの恍惚とは違う冷たさを帯びていた。
その瞬間、地面を蹴る音が響いた。
「お前の相手は俺がしてやるよ!」
リュカが踏み込み、聖槍を振るう。鋭い軌道で突き出された穂先がルシアンの肩へ迫った。
だがルシアンの反応も速かった。腰の剣を抜き放ち、斜めから振り上げる。
金属同士が激しくぶつかり、衝撃が空気を震わせた。
刃と穂先が押し合い、火花が散る。
二人はそのまま間合いを詰め、激しく打ち合い始めた。
その少し離れた場所では、ユリウスが残った四人のローブの男たちを相手にしていた。
数では不利だったが、ユリウスの動きに乱れはない。手にしているのは大剣ではなく、取り回しの利く片手剣だった。
男たちが包囲するように迫る。剣が振り下ろされ、横からも刃が迫る。
だがユリウスは一歩引き、体を捻り、刃の軌道を紙一重でかわしていく。力で押し返すのではなく、流すように受け流していた。
男の一人が背後から踏み込んだ。死角からの一撃。その瞬間、男の身体が大きく揺れた。
横から飛んできた土弾が脇腹を打ち抜いたのだ。セラフィナの援護だった。
ユリウスはその変化を見逃さず、軸足で身体を回転させる。
遠心力を乗せた裏拳が男の顎を打ち抜いた。男の身体が大きく弾かれ、そのまま地面に倒れ込む。
戦況は確実にこちらへ傾き始めていた。
リュカとルシアンの打ち合いでも、徐々にリュカが押し始めていた。
刃がかすめるたび、リュカの身体に細かな傷が増えていく。だがその傷は、ほとんど間を置かずに淡い光とともに塞がっていく。
ルシアンはその様子を見ながら、ずっと同じ表情を浮かべていた。
まるで奇跡を目の当たりにしている信徒のように、恍惚とし目を輝かせている。
その視線があまりにも不気味だった。
「ほんとに!!気持ち悪いんだよお前!!」
リュカの背筋に嫌悪感が走り、怒りと苛立ちが声に滲んだ。
槍が振り抜かれ、剣がそれを受け止める。激しい衝突音が夜の森に響いた。
大きな金属音とともに、二人の間に距離が生まれる。互いに数歩下がり、再び間合いを測った。
その頃、セラフィナは枝の上から戦況を見下ろしていた。
ユリウスの戦いは、もうすぐ決着がつきそうだった。残る男たちも動きが鈍くなっている。
リュカも押している。
勝てる、と。
その認識が、ほんのわずかに気を緩めさせていた。
気づけば、セラフィナは思っていたよりも低い位置まで降りてきていた。
援護のため、視界を確保するために枝を移動しているうちに、高度が下がっていたのだ。
突然、背後から腕が回された。
首を強く締め上げられ、息が詰まり視界が揺れる。振りほどこうとするより早く、身体が完全に拘束されていた。
背後から押し付けられる体温に荒い呼吸。振り返る余裕もなく、セラフィナの顔が青ざめ、無意識に身体が震えた。
さっき、ルシアンに蹴り飛ばされて気絶していた男だった。片腕は肘から先がなく、残った腕で、セラフィナの首を羽交い締めにしていた。
「セラフィナ!!」
遠くで焦りが滲むリュカの声が聞こえた。
「動くなよ!!」
男が怒鳴る。血走った目が狂気のように見開かれていた。
「この女の首へし折るぞ!!」
その声に、ユリウスの動きが止まった。
すぐ横にいた男が、その機会を逃さなかった。拳が振り抜かれ、ユリウスの顔を強く殴りつける。衝撃にユリウスの身体がわずかに揺れた。更にもう一人、フラフラと起き上がり、ユリウスの腹を殴りつけた。その後も二人がかりでユリウスに暴力を振るい続ける。
その光景を見たセラフィナが目を見開く。
息が苦しい。首を締め上げる力が強くなった。
男の怒鳴り声が耳の奥で響く。
目の前で仲間が暴力を振るわれている。
その瞬間、セラフィナの意識の奥で何かが弾けた。閉じ込めていた記憶が、唐突に浮かび上がる。
優しかった母の笑顔。仕事帰りに頭を撫でてくれた父の手。
家の前で声をかけてくれた近所のおばさん。畑の手伝いをするとサクサクのお菓子をくれたおじさん。収穫祭の日に一緒に笑っていた幼なじみ。
みんな、笑っていた。あの頃は、当たり前にそこにいた。
でも、もういない。
みんな、みんな、死んでしまった。
私の魔力暴走のせいで。
――本当に?
ふと、違和感がよぎる。
記憶の奥に、何かが引っかかっている。
何か、大事なことを忘れている気……が……
人懐っこいリュカが嫌悪感を抱く程、ルシアンの行動が理解出来ないという。
次回今まで人を避けてきたセラフィナの過去に触れます。
投稿を始めて2ヶ月経ってようやく書きたかった所に辿り着きました。




