44話 殉教者を追って
昼の一の刻を過ぎた頃、四人は拠点として借りている家へと戻ってきた。
川沿いの風が窓の隙間から入り込み、昼間の賑やかな空気を静かに洗い流していく。リビングに集まると、それぞれが椅子や長椅子に腰を下ろした。
最初に口を開いたのはリュカだった。北門と東門で調べた記帳の内容、門番から聞いた話、そしてグランヴェル帝国側へ向かったという殉教者達の足取り。順を追って説明していくと、向かいの椅子に座ったライラが腕を組み、軽く肩をすくめる。
「ふぅん。なるほどねー。そいつは確かに怪しいわね」
あっさりとした口調だったが、その金色の瞳はしっかりと細められている。
隣で静かに話を聞いていたユリウスが、顎に手を当てたままリュカに視線を向ける。
「自警団の話はどうだ?何か聞けたか?」
「うん。やっぱり他所者は目立つみたいで、結構覚えてる人がいたよ」
リュカは思い出すように視線を少し上に向けながら言葉を続けた。
「殉教者は四人組で、この町ではほとんど素通りに近い感じだったらしい。フェンリス方面じゃなくて、そのまま集落の方へ向かったって」
ユリウスが小さく頷く。リュカはさらに続けた。
「白っぽいローブでほぼ全身を被ってたから、どんな格好かはよく分からなかったみたいだけど……」
リュカは自分の足元を指さしながら続ける。
「全員、ブーツの足首あたりに小さく教団のシンボルマークみたいなのがあったって。同じ紋様だったから覚えてたらしい」
「詳しくは分かるか?」
「……逆十字に、左右に正十字」
ユリウスの問いに、リュカは少しだけ視線を落とした。そう言った瞬間、胸の奥に嫌な感触が広がる。
「聖神教のシンボルマークなんだけど……」
そこで言葉が自然と止まった。ユリウスが首を傾げる。
「何か気になることがあるのか?」
リュカはすぐに言葉が出てこなかった。代わりに、眉間に深い皺を寄せ、膝の上に置いた手を組み、その指をぎゅっと握りしめる。
沈黙が数秒落ちた。やがて低く、重い声が漏れる。
「…………アストレアの、軍で支給されるブーツと同じ物なんだ」
その言葉に、ユリウスの目がはっきりと見開かれた。
「アストレアの?聖白騎士団か?」
「いや、軍全体の支給品だな」
リュカはゆっくりと首を振る。
「……教団の信者なら、祈りのために十字架のネックレスをかけているはずだ」
聖神教の信徒であれば、日常的に祈りの象徴を身に着ける。それは信仰というより、ほとんど習慣に近いものだった。
だが門番の証言には、その話が出てこなかった。
「……殉教者の皮を被った軍関係者ということか……」
「おそらくな……」
部屋の空気がわずかに重くなる。ライラが背もたれに体を預け、足を組み替えた。
「……一気に怪しくなったわね。そいつら」
「目的が全く分からないけど……各国を巡って、何かをしているんだろうな……」
その言葉に、ユリウスの表情も自然と引き締まる。
「……俺達だけでは対処が出来なくなる可能性も出てきたな」
「実際は分からないけどな。本当にただの殉教者って事もあるし」
その可能性を完全に捨てることは出来ない。だが胸の奥に残る違和感は、どうしても消えなかった。
ライラが小さく頷き口を開いた。
「……一応、師匠には連絡しておくわ」
「……俺も実家に伝えておく。もし何かアストレア関連の情報があれば、ついでにもらっておこう」
「……お兄さん達、そんな遠い国の事まで把握してるのか?」
リュカの素朴な疑問に、ユリウスの表情が露骨に歪み、ものすごく渋い顔になる。
「…………兄達は絶対敵に回さない方がいいぞ」
数秒の沈黙のあと、ぽつりと真剣な声音でそう言った。
リュカは思わず肩をすくめる。
「怖っ……」
重くなりかけた空気が、少しだけ和らいだ。
ユリウスが軽く咳払いをして話を戻す。
「ひとまずは殉教者達を探す事、だな。そのついでに何か他にも見つかれば御の字だ」
「またスレイプニルに乗ってく?」
ライラの問いに、ユリウスはすぐに首を横に振った。
「あれは目立ちすぎるからな……」
確かに八本脚の巨大な馬など、どこへ行っても視線を集めてしまう。
そこで、これまで静かに話を聞いていたセラフィナが遠慮がちに口を開いた。
「……ここから近くの集落に荷物運ぶ便が一日一回出てるって……自警団のおじさんが言ってた」
三人の視線が一斉に向く。
「よし、ならそれに便乗しよう」
ユリウスが小さく頷いた。
「今日はもう出てしまっているだろうから、集落へ向かうのは明日にして、ウィンデルの町の周囲を調査だな」
その言葉に、三人も頷いた。
椅子が静かに引かれ、四人は同時に立ち上がった。
ウィンデルの町の周囲を半日ほどかけて調べたものの、結局それらしい痕跡は何一つ見つからなかった。
街道沿いの林、山道の脇、町へ続く分かれ道。人が通れそうな場所は可能な限り当たってみたが、踏み荒らされた草も、不自然な足跡もない。山肌の細い獣道にまで目を向けてみたが、人が頻繁に通ったような形跡はなく、どの方向も空振りに終わった。
結局、その日は日が沈む頃に拠点へ戻ることになった。
そして翌日、四人はウィンデルを出発し、町から荷物を運ぶ馬車に便乗して近隣の集落へ向かっていた。木箱や麻袋が積まれた荷台の端に腰を下ろし、ゆっくりと揺れる荷馬車に身を任せる。
御者の話では、最初の集落までは一の刻半ほどの距離らしい。
やがて辿り着いた場所は、想像していた通りの小さな集落だった。緩やかな丘の麓に、数十軒ほどの家屋が寄り添うように並んでいる。人の行き来も多くないのか、馬車が止まるとすぐに何人かの住人が興味深そうにこちらへ視線を向けてきた。
冒険者の姿が珍しいのだろう。
ライラが気さくに声をかけて回ると、住人たちは警戒する様子もなく話を聞かせてくれた。中には四人の装備を興味津々で眺めながら質問をしてくる者もいる。
その中で、ひとりの老人がぽつりと思い出したように口を開いた。
「そういや一ヶ月くらい前かねぇ。白いローブの連中を見た気がするな」
リュカとユリウスが顔を見合わせる。
殉教者だ。
詳しく話を聞くと、やはり四人組で、村にはほとんど立ち寄らずそのまま奥の集落方面へと向かっていったらしい。
情報を礼と共に受け取ると、四人は再び荷馬車へ乗り込み、さらに奥へ進んだ。
次の集落へも、同じく一の刻半ほどの距離だった。
そこもまた小さな集落だったが、やはり冒険者の来訪は珍しいようで、住人たちは気軽に話をしてくれた。雑談の流れで殉教者のことを尋ねると、年配の男が腕を組んで頷く。
「あぁ、あの宗教の連中か」
どこか懐かしむような声音だった。
「なんでも昔はこの辺でも信仰してる人がいたみたいだけどなぁ」
男は遠くを見るように小さく頷いている。
「でもまぁ、だんだんとそういうの信じる人が減っちまってな。だんだん廃れちまったんだ。あの殉教者達が来たときもな、誰も相手にしとらんかったよ」
リュカは少し考え、慎重に問いかけた。
「……この辺でそういう信仰があったって事は、教会とかそういう場所ってどこかにありませんか?」
男は一瞬考えるように眉を寄せ、それから山の方を指差した。
「教会……あぁ、あの廃墟になってる場所かなぁ」
指先の先、山の中腹あたりに赤茶色のものがわずかに見える。
「ほら、あの山の途中。レンガ見えるだろ?あれあれ」
リュカは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
情報を得ると、四人はそのまま山へ向かうことにした。
ユリウスが視線の先にある崩れかけた建物の影を見据えながら口を開いた。
「聖神教の廃教会か……。殉教者なら、立ち寄っていてもおかしくないかもしれん」
リュカも頷く。
「……行ってみよう」
山の斜面は思っていたよりも急だった。細い獣道のような道を辿りながら、四人は慎重に登っていく。
先頭を歩くライラが、周囲へ鋭い視線を巡らせながら呟いた。
「……地元の人はこっち、ほとんど立ち入らないみたいね。斜面も急だし」
足場を確かめながら進んでいたその時、ライラがふと足を止めた。
「……でも……最近、誰か来てるみたい」
辺りを見渡し、確信があるような声色でそう言った。
その言葉に、空気が一気に張り詰める。三人の視線が自然と周囲を探るように動いた。
それからは慎重な索敵と探索を繰り返しながら進むことになった。靴の跡、折れた枝、踏み荒らされた草。小さな違和感を一つずつ拾いながら、山道を進んでいく。
そうして三時間ほど登り続けた頃、ようやく山の中腹にそれは姿を現した。
日もすでに傾き始め、周囲は薄暗くなりつつある。
そこにあったのは、先程集落から見上げた時に見えた崩れかけたレンガの壁だった。天井はほとんど落ち、壁も半分ほどが崩れ落ちている。辛うじて形を保っている中央部分に、傾いた十字架のオブジェが残っていることで、かつて教会だった場所だと分かる程度の廃墟だった。
四人は周囲を警戒しながら、慎重に敷地の中へ入る。
崩れた床の上を調べていくと、いくつかの靴跡が見つかった。しかしどれも新しいものではなく、土も乾ききっている。
ライラが軽く肩をすくめる。
「……マジで廃墟ね。廃れて随分経ってるみたい」
ユリウスも周囲を見回した。
「今は人がいる気配はしないな……」
リュカも同じ結論に至る。
「立ち寄ってても、流石にずっとここにいるわけじゃないか」
そう結論づけ、帰ろうと言いかけたその時、セラフィナがゆっくりと歩き出した。
真っ直ぐ、傾いた十字架のオブジェの方へ。
リュカが不思議そうに声をかける。
「セラフィナ?」
セラフィナは足元を見つめたまま、小さく呟いた。
「……ここ、なんかあると思う」
その声はとても静かだったが、確信めいた響きを持っていた。
「みんなが騒いでる……」
そう言いながら、十字架のオブジェの足元を指差す。
三人は一瞬顔を見合わせると、無言で頷いた。
次の瞬間、リュカとユリウスが同時に踏み込み、十字架の台座へ思いきり蹴りを入れた。
長い年月で緩んでいた石台が大きく傾き、重い音を立てて横へ転がる。
その下に現れたのは、地下へと続く、暗い階段だった。
怪しい場所、なんか見つけちゃったよ。




