30話中編 領主館
「冷めないうちにどうぞ」
そう言って、セリオンは優雅な仕草でカップを持ち上げた。白磁のカップから立ち上る紅茶の香りが、静かな応接室にふわりと広がる。
勧められるまま、リュカとユリウスはカップを手に取った。
だがライラとセラフィナは、まだ背筋をぴんと伸ばしたまま固まっている。
目の前にいるのはこの街の領主代理。しかもユリウスの兄。
状況の情報量が多すぎて、二人の思考は完全に処理が追いついていないようだった。
そんな様子を眺めながら、セリオンがふと視線を向ける。
「リュカ君は前から知っていたとしても、随分落ち着いているね?」
柔らかな笑み。だがその瞳は、わずかに細められていた。
「慣れているのかな?」
探るような視線。
リュカはほんの一瞬だけ間を置き、カップを静かにソーサーへ戻す。
「いえ……慣れているわけではないですが……」
曖昧な返答だった。
そのやり取りを見ていたユリウスが、すぐに口を挟む。
「セリオン兄様。試すようなことはやめてください」
眉間に皺を寄せ、不満を交えた声だった。するとセリオンは、楽しそうに肩をすくめた。
「ははっ、ごめんごめん。ついね!」
軽い口調でそう言いながら、また紅茶を口に運ぶ。まるで何事もなかったかのような自然さだった。
「さて、今日は呼び出してすまなかったね」
そしてカップを置き、改めて四人を見渡す。
「ユリウスがパーティを組んだと聞いて、どうしても会ってみたくなってね。来てもらったんだ」
優しい声色で柔らかな笑みを浮かべる。
それは確かに穏やかな表情だったのだが、あまりにも整った顔立ちと、洗練された立ち振る舞いのせいで、どこか神々しいほどの雰囲気がある。
ライラとセラフィナは、思わず言葉を失っていた。
すると背後に立っていた、眼鏡をかけた細身の男が静かに口を開く。
「……兄様」
穏やかな声だったが、どこか呆れを含んでいる。
「耐性のない冒険者に、そのように笑うのはおすすめしません」
そう言って、わずかに首を横に振った。セリオンが小さく眉を下げる。
「おや、困ったな。うちの可愛いユリウスが選んだパーティだから大丈夫だと思ったんだが」
その言葉に、眼鏡の男は一歩前に出る。
「一旦黙っていていただけますか?」
穏やかな声だったが、はっきりとした制止だった。
「失礼しました、ご挨拶がまだでしたね」
眼鏡の男は四人に向き直り軽く会釈をし、穏やかに続ける。
「……あ、そのままで結構ですよ。立たなくて大丈夫です」
ライラとセラフィナが慌てて腰を浮かしかけたのを見て、そう付け加えた。
「私はトール。ユリウスの二番目の兄です」
さらりとした自己紹介だった。そして視線を後ろへ向ける。
「あっちにいるデカいのが……」
すると背の高い男が一歩前に出た。広い肩幅、腰には剣、無駄のない体つき。まさに武人といった風格だった。
「ユリウスの三番目の兄でサイレスだ。よろしく」
低く落ち着いた声でそう言い、小さく頭を下げる。よく見ると、目元や顔立ちがユリウスにどことなく似ていた。
その光景を眺めながら、ライラがぽつりと呟く。
「……みんなお兄さん……」
完全に情報の処理が追いついていない声だった。
その空気を少し和らげるように、リュカが口を開く。
「あ、ユリウスから聞いてますよ。皆さん大変優秀な方だと」
すると三人は、それぞれどこか満更でもなさそうな顔をする。セリオンは楽しそうに目を細め、トールは苦笑し、サイレスは目を閉じ口角を上げていた。
「さて」
その空気を区切るように、セリオンがカップを静かにソーサーへ置く。
音はほとんどしない。だがその動作ひとつで、部屋の空気がわずかに引き締まった。
「挨拶は済んだね。本題に入ろう」
穏やかな声だった。
「グスタフからの報告は聞いているけれど、君たちからも直接話を聞きたくてね」
リュカが静かに尋ねる。
「……ダンジョンの事でしょうか?」
するとセリオンは軽く首を振った。
「あぁ、それはもうユリウスから聞いているからいいんだ」
「……?じゃあ、なんの……」
リュカは首を傾げた。セリオンはゆっくりと四人を見渡し小さく笑う。
「君たち自身の話だよ」
「俺たち自身、ですか?」
「そう」
セリオンは穏やかな声で続ける。
「こういう冒険者だ、という書類上の報告はもちろん知っているよ。みんな大変優秀な冒険者だ」
そして膝の上で手を組んだ。
「うちのお抱えにしたいくらいだよ」
隣で、ひゅっと息を飲む音がした。ライラだった。
セリオンは気にする様子もなく続ける。
「ただね、私はその人自身の人となりを、書類だけで判断しないことにしているんだ」
ゆっくりと紅茶を口に含む。
「会ってみないと分からないこともある」
その言葉の後、視線が静かにリュカへ向いた。
「例えば……リュカ君、君はギルドの報告とは違って随分と能力を隠しているようだ、とかね」
ほんの一瞬、リュカの眉間にわずかに皺が寄る。
セリオンは変わらない笑みのまま続けた。
「ふふっ、ユリウスもグスタフも口が固くてねぇ……肝心なことは、全然報告してくれない。……だったら、直接会ってみるしかないだろう?」
ずっと同じ笑みのままだった。その穏やかな表情が、逆に底知れない圧を生んでいる。
リュカは、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
「セリオン兄様!」
突然、ユリウスが声を上げ、まっすぐセリオンを睨んでいる。
「だから俺の仲間を疑うようなことはしないでください!」
その様子を見て、セリオンは一瞬目を丸くした。
「あぁ……そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……うん。ごめんごめん」
その言葉とともに、室内の圧がふっと緩んだ。リュカは小さく息を吐く。
セリオンは少し眉を下げながら続けた。
「簡単でいいから、君たちがグレイスロウに来た理由を話してくれないかい?」
穏やかな声だった。
「そういう普通の話をしようと思っていたんだよ」
その時だった。横から、ぽつりと声が落ちる。
「……だから言ったのですよ、セリオン兄様」
トールだった。眼鏡の奥で目を細めながら、静かに言う。
「貴方は普通にしているだけで圧がすごいんですから、会うのはやめておけと」
そのぼそりとした一言に、応接室の空気がわずかに揺れた。
笑顔で追い詰めるタイプの兄様。




