22話前編 ユリウス邸にて
ユリウスの背を追って歩くこと数十分。
賑やかな商業街を抜けると、空気が少し変わる。人の数は減り、代わりに整えられた街路と、手入れの行き届いた建物が並び始める。
辿り着いたのは、貴族たちが住まう区画の端。端とはいえ、そこに建つ家々はどれも広く、庭付きが当たり前のように並んでいる。
その一角で、ユリウスが足を止めた。品の良い庭に囲まれた、落ち着いた色合いの一軒家。過度な装飾はないが、どこからどう見ても“良い家”だった。
「……え、ユリウス、あんたこんな所に住んでるの?」
ライラが若干引き気味に呟く。
「上級冒険者って儲かるのねぇ……」
「いや、これは……」
ユリウスは少しだけ苦笑して、扉を開けた。
「遠慮なく入ってくれ」
中に入ると、薄暗かった室内に、次々と明かりが灯る。魔導ランプの柔らかな光が、静かに空間を照らしていく。油の匂いも煙もない、澄んだ光。それだけで、この家の格が分かる気がした。
案内された客間は、落ち着いた色合いの調度品で統一されていた。無駄なものはなく、それでいて一つ一つが質の良いものだと分かる。
部屋の奥、窓際には大きめのベッドが二つ並んでいる。
リュカは腕の中のセラフィナを、そっとその一つに下ろした。ふわりと沈む寝具に包まれても彼女は目を覚まさない。むしろ安心したように、より穏やかな寝息を立てている。その表情に思わず視線が留まる。
「……」
一瞬だけ見つめてしまい、はっとして顔を上げた。三人は静かに明かりを落とし、音を立てないように部屋を出てそのままリビングへと向かった。
通されたリビングもまた落ち着いた品のある空間だった。革張りの一人掛けソファに腰を下ろすと、身体が自然と沈み込む。柔らかすぎず、けれどしっかりと支える感触。
周囲には本棚が並び、そこには様々な書物が詰められていた。戦術、兵法、各国の情勢、魔法理論。どれも読み込まれているのか、背表紙にはわずかな使用感がある。
机や棚も、さりげなく良い品で揃えられている。
そんな中、ワゴンを押してユリウスが戻ってきた。赤ワインと、グラスが三つ。それに、チーズの盛られた皿。
「まだ飲めるよな?」
どこか楽しそうに言う。
「飲めますけどー……」
ライラがグラスを受け取りながら、周囲を見回す。
「なんか……汚しそうで落ち着かない……」
「そうか?別に気にしないぞ」
ユリウスは不思議そうに首を傾げた。そして少しだけ視線を逸らす。
「……実は、人を家に上げたのは家族以外初めてなんだ」
わずかに頬が赤くなっている。その言葉に、リュカはグラスを受け取りながら問いかけた。
「そうなのか。他のパーティの時も?」
「あぁ」
短く頷く。
「そりゃ光栄だなぁ」
リュカは素直に笑った。
それから三人は、他愛のない話をしながらグラスを傾ける。静かな部屋に、ぽつぽつと会話が続く。酒場とは違う、落ち着いた時間。気づけば三本目が空いていた。
「……もうダメだ……眠い……」
ライラがふらりと立ち上がる。
「私も寝てくる……」
「客間は内側から鍵がかかる。入ったら施錠するんだぞ」
「はいはい、お気遣いありがと。じゃあお先に、おやすみー」
軽く手を振りながら部屋を出ていき、そのままセラフィナの眠る客間へと消えていった。
残されたのは二人。静かな空間に、ワインを注ぐ音が小さく響く。四本目のボトルが開けられる。
「ユリウス、結構飲むよな……」
「リュカも人のこと言えんぞ」
軽く笑い合う。グラスを傾けながら、リュカは部屋を見回した。
「てか、家でかすぎないか?」
率直な疑問が口をつく。
「これも実家の関係で?」
「そうだな……」
少しだけ考えてから、ユリウスは続けた。
「俺は上に四人、兄がいるんだが」
「四人!?多っ」
思わず声が出る。ユリウスは小さく笑った。
「まぁ貴族にはよくある話だ」
そして少しだけ視線を落とす。
「その兄たちが、どうも俺に過保護でな」
「へぇ。大事にされてるんだな」
「冒険者になると言った時は反対されなかったが……家を出ると言ったら大反対された」
「えっ……」
意外そうに目を瞬く。
「その妥協点が、この家だ」
「なるほどなぁ……大事にされるのも、それはそれで大変そうだ」
ユリウスは苦笑しながらグラスを傾けた。
少し間を置いて、ふと視線を向ける。
「……これは聞いていいのか分からんが」
少しだけ迷うように視線を彷徨わせた。
「リュカは、なぜこの街に来た?」
「んー?」
軽く考えるように視線を上げる。
「なんでかぁ……しいて言うなら、ここが一番遠かったからかな」
「遠い?」
「故郷から。一番遠くて、一番デカいダンジョンがある場所」
グラスを軽く揺らす。
「まぁ、それだけで来たわけじゃないけどさ」
「ここはどうだ?」
「うん、いい街だよ。活気あるし、居心地もいいし」
少し斜め上を見ながら考えるように答えていく。
「冒険者だらけで仕事も尽きないし、稼げるしな」
そして、少しだけ柔らかく笑った。
「できれば、ずっとここに住みたいぐらいだ」
その言葉に、ユリウスの表情がふっと緩む。
「そうか……」
グラスを持ったまま、にこにこと笑っている。
「長くここにいてくれると、俺も嬉しいぞ」
「……」
突然、素が出たような言葉にリュカが固まる。
特に色の変化が見られないユリウスの顔をじっと見つめてから、眉をひそめた。
「……ん?ユリウスお前、さては結構酔ってるな?」
「酔ってない」
即答だった。
「いやいや、今の絶対素だろ。普段そんなこと言わないじゃん!」
「言うぞ」
「言ってないって!」
そんなやり取りを何度か繰り返し、やがてどちらともなく笑う。結局、そのまま片付けて寝ることになった。
翌朝、ユリウスは目を覚ました瞬間、天井を見つめたまま動かなくなった。そして数秒後、顔を覆う。
――やってしまった。
記憶は、ある。全部、ある。昨夜の自分の発言を。
俺何言ってんだ…と小さく呟き、静かにベッドの上で悶えてしまう。しばらく起き上がれそうにない。
一方で、リュカはすでに起きていた。リビングのソファに腰掛け、本棚から取り出した戦術書を読んでいる。静かな朝の光が差し込む中、穏やかな時間が流れていた。
セラフィナが、ゆっくりと目を覚ました。
「……?」
見慣れない天井。柔らかな寝具。そして、どこか落ち着いた空間。慌てて身体を起こし周囲を見渡すと、隣のベッドではライラが丸くなって眠っていた。
「……え?」
状況が、まったく理解できない。
昨日、みんなでお酒を飲んでいたところまでは覚えている。その先が、ない。
どうしてここにいるのか。どうしてライラが隣で寝ているのか。一体ここはどこなのか。
胸の奥に小さな不安が生まれる。意を決して扉へ向かい、そっと開けると廊下の先に人影が見えた。リュカがソファに座り本を読んでいる。
「あ、セラフィナ起きた?おはよう。気分悪いとかない?」
「……おはよ……大丈夫だけど……ここ、どこ?」
数秒、二人の間に沈黙が落ちたが、リュカが思い出したように答える。
「あぁ、そうだよな。ここ、ユリウスの家」
一拍置いてゆっくり話し始める。
「セラフィナ、あの後寝ちゃってさ。全然起きなかったから家まで送ろうとしたんだけど、場所分からなくて」
「で、みんなでここに押しかけたってわけ」
「……」
言葉を聞いた瞬間、セラフィナの顔色が少しだけ変わる。
「寝ちゃっ……たの……」
小さく呟く。
「みんなに……迷惑……」
「誰もそんなこと思ってないって」
すぐに言葉が返ってくる。
「大丈夫。よくあることだよ」
「でも……」
言いかけた言葉を、やわらかく遮る。
「あぁ、気にしすぎ」
リュカは軽く笑った。
「仲間なんだからさ」
その言葉に、セラフィナの動きが止まる。
「仲間……」
小さく繰り返す。
「うん、そうだよ。……立ってるのもなんだし、こっち座りな」
リュカは穏やかに笑ったまま隣のソファを軽く叩いた。
戸惑いの朝(笑)




