111話 イグニスとリシェルと
「やあ、お久しぶりですね。実に二十五年振りか?リシェル・アスラエル。所長とお呼びした方が良いかな?」
グレイスロウにある地下深くの収容所に、リシェルは訪れていた。
牢の隅にはリュカとセラフィナと共にリシェルが製作した守護結界の魔導具が稼働している。
闇魔法を無効化する物だけではなく、守護結界の中に術者を閉じ込める為の物で、イグニスが襲来する前に完成していたものだった。
その中に設置されている背の低い寝床に腰掛けているのは先日捕縛されたイグニス・デザスターだった。
イグニスはリシェルがやって来たのを見て薄ら笑いを浮かべた。
「……君は随分と変わったね、イグニス」
「そういう所長はあの頃から全く変わっていませんねぇ。長命種というのは本当に憎らしい程に、ね。で、こんな所までどういった御用です?」
「魔導具の調整と整備だよ。これは僕が作った物だから」
「あぁ、これやはり貴方が作られたんですねぇ。魔導具は所長の専門外なのにご苦労な事で」
リシェルは魔法鞄から同じ型の魔導具を取り出すと起動させ、調整を始めた。
「……ここ二十年ぐらいは魔導具研究を積極的にしていたんだよ。セリオン君に色々頼まれる物があったからね」
「あの化け物に随分と使われてるようですね。自由を好む貴方も変わったものだ」
「使われてる訳じゃない。僕の興味が今は魔導具に向いているというだけさ。彼との対話はとても有意義な時間だよ。一を投げると十にも二十にもなって返ってくるからね」
「はっ……相変わらず人との会話がお好きですね」
「そうだね、話は好きだよ。どんな会話にも学びがあって、それぞれ僕と違う考えを聞けるのはとても価値がある時間だから」
魔導具の調整を終え、最初に付いていた守護結界の魔導具と入れ替えて、リシェルはイグニスへと視線を向けた。
「だからね、イグニス。君と話をしようと思って」
「はぁ……?」
「遅かれ早かれ君は極刑だろう。たくさんの人を実験の為に殺め、洗脳の魔導具で世界に混乱を撒き散らし、グレイスロウヘ魔物暴走を起こした大罪人だ」
リシェルは魔法鞄から古い資料らしき紙の束を取り出すとそれを床に置いた。その表紙を見てイグニスの目が見開かれ、そこからイグニスは視線を動かす事が出来なかった。
「だけどもね、僕は未だ、君の事を友人だと、そう思っているんだよイグニス。君を止める事が出来なかった、不甲斐ない僕だけどね。……話をしたいんだ。君と……アイリーンとね」
リシェルが取り出した資料の表紙には『風魔法と光魔法、及び闇魔法を応用した伝達用魔導具構想』と書かれており、その下には『アイリーン・バネッサ』と著者名があった。
「これは……なんだ……間違いなくリーナの字だ……見た事がない研究の……何故所長がこれを……」
「……これはね、アイリーンの生家に眠ってたんだ。結婚前に考えてたであろう、彼女の魔導具構想資料だよ。イグニス、君が研究所から姿を消した後、アイリーンの私物を生家へ届けた時に、彼女の母親から預かった物だ。ようやく渡せるよ」
「義母から……?」
「そうだよ。御母堂から君がまた研究所に帰ってきたら渡してくれと託された物だった。君なら、アイリーンの研究を引き継いでくれるだろうと仰っていたよ。……これを受け取ってから六年後、心労からか空へ旅立たれたけどね……」
「…………」
「どうする?これ、中を見てみるかい?」
「………………あぁ……」
リシェルは一瞬だけ守護結界の魔導具を切り、鉄格子の隙間から資料を手渡すと、イグニスは震える手でそれを受け取った。
「……また明日来るよ。今日はゆっくり、アイリーンと『対話』をするといい」
そう言ってリシェルは地下牢を後にした。
その場に座り込んで表紙を捲ったイグニスの手が止まる。
そこには、アイリーンが構想に至った気持ちが書き殴られていたのだ。
『今日も研究所で会ったばっかりなのにもう会いたくなってる』
『声だけでも今すぐに聞けたら嬉しいのに』
『伝書鳥だけじゃ伝わらない気持ち』
『直接声を届ける魔導具を』
『寂しがり屋のイグニスの為に』
「…………リーナ………」
その先はしばらく読む事が出来なかった。イグニスの目には次々と涙が溢れて前が見えない。
彼は蹲り、アイリーンの資料を抱き抱えて泣き崩れる事しか出来なかった。
次の日リシェルが地下牢を訪れると、イグニスは地面に座り込んで石を使い床を削っているのが見えた。
「……なにしてるんだいイグニス」
「あぁ、アスラエル所長。お待ちしてましたよ。書く物をお持ちでしたら貸してください。それが難しいようならこれを書き留めて欲しい」
リシェルが牢の中を覗き込むと、そこには床を削って計算式と魔法陣がびっしりと描かれていて思わず目を見張った。
「これは……」
「……アイリーンの考えていたこの魔導具は面白いと思ったんですよ。彼女の思考にはいつも驚かされる。声を届ける魔導具だなんて、誰が思いつくというんでしょうね」
「……そうだね。本当に、アイリーンは良い研究員だった」
「で、この魔法陣について所長の意見も聞いてみたいので、見てもらえます?」
ガリガリと床を削る手を止めて、イグニスはリシェルへと顔を向けた。
その顔を見たリシェルは笑いを耐えきれずに吹き出してしまう。
「ふっ…………はははははっ!!」
「……なんです?急に笑って」
「いやね、セリオン君が言った通りになったなぁって思ってね」
「ヤツは何を言ったんです?」
「君に資料を渡す為の許可を貰いに行った時にさ、『それを見せたら聡い彼なら気づくはずだよ』って、それだけ。現に君へとようやくアイリーンの声が届いた。……いや、アイリーンの声だから届いたんだろうけどね」
「……本当に、腹の立つ男だ。あの化け物は」
「末恐ろしいよね。領主代理と言い張るにはもう無理がありそうだけど。彼は敵に回すべきじゃなかったよ、イグニス。彼、身内にはとことん甘いからさ。ここに居て、味方にするべきだったんだ」
「まぁそうなんでしょうね。…………所長」
「なんだい?」
「私は今までしてきた事に後悔なんてありません。誰を犠牲にしようと、彼女が帰ってくればそれで良かった」
「うん」
「蘇生魔法も理論だけは解明して、後は動力源を手に入れるだけでした。グレイスロウヘと帰って来たのもその為です」
「うん」
「既に六十歳目前の私には悠久の時間なんて無くて、どんなに健康で長生きしようが身体が思うように動くのも良くて二十年でしょう。だから、どうしても生きているうちに彼女を取り戻したかった。彼女が、つまらない私の人生での指針だったから」
イグニスは片手に抱えたアイリーンの資料を愛おしそうに見つめた。
「でもこれを全部読んで、リーナに怒られた様な気がしましたよ。もっと人との繋がりを、会話を大事にしなさいって言われたような気分でした」
「……そっか。アイリーンがちゃんと伝えたかった事が伝わったみたいで良かったよ」
「えぇ。だから、私が死ぬ前に……必ずこの魔導具を形にしてやろうと思います」
そう言ったイグニスを見て、初めて会った時の事を思い出していた。
『思い切り好きな事を突き詰めてやろうと思います』
と言ったその顔と全く同じ顔をしていたからだ。
リシェルは瞼の裏がじんわりと熱くなる。
「おおよそ私の処遇は秘密裏に死罪で間違いないでしょう。それがいつになるかは分かりませんが、それまでに必ず……なので、もし道半ばで刑の執行となったら、その時は所長、貴方が研究を引き継いでくれませんか?」
熱くなった瞳から一筋、涙が零れた。リシェルは小さく頷いて短く答える。
「勿論だよ、イグニス……」
「ありがとうございます、アスラエル所長」
刑が執行されるまでの間、リシェルは牢へ通い詰め、イグニスと共にアイリーンの構想を形にしていった。
そして半年後、秘密裏に刑が執行される。
リシェルとセリオンが立会いの下、毒杯を受け取ったイグニスは迷うことなくそれを煽り、眠るように人生の幕を閉じた。
それから更に三ヶ月後、世界で初めて即時音声で連絡が取れる魔導具の論文と発明品が発表された。
数年後にまたしてもグレイスロウで開発される、映像を投映出来る魔導具の前身ともなる画期的な発明だった。
著者名はグレイスロウの魔法研究所所長、リシェル・アスラエル。
その下、共同研究者に名を連ねていたのは『アイリーン・デザスター』、そして『イグニス・デザスター』だ。
論文の締めくくりには、リシェルから共同研究者に向けての言葉が書かれていた。
『この魔導具構想を提唱した亡き親友夫婦に敬意と祈りを込めて。』
3章はこれにて終了です。
人の人生を大量に狂わせた1人の研究者の狂気は、他の誰にも知られること無くひっそりとこの世から退場していきました。
賛否両論ある終わり方かなぁと思ったけど、多分、世の中に蔓延る悪党の最後なんてこんなものだと思うのです。
次回からは長いエピローグに入ります。
もう少しお付き合い頂けると嬉しいです!




