26 二人の間に流れる空気
26 二人の間に流れる空気
翌日
中川崇
研修というよりは店舗を越えた交流会。二日目は午前中を農園で農作業体験をさせてもらい、お礼と言ってはなんですが、お昼をまた自分達で作って農園の皆さんや子供たちに振る舞った後に帰路に着く。
社長はもともと麗子さんと和華ちゃんと来ていて、家族で帰って行った。僕たちは会社のケータリング用の車で来ていました。来る時と同じメンバーで帰路に着く。それぞれの店舗の子たちもバラバラに帰って行った。
「ああ、帰りはいいよ。僕が運転するから」
「え?」
野田くんとづかちゃんが恐縮する。サオリと三原ちゃんはもともと免許がないのである。僕たちの間で交互に顔色を伺っていた。
「いや、イベントの主催で疲れたでしょ。今回は特別」
そう言って押し切った。すると、みんなは後ろに乗ったのに春菜は助手席に座った。
「後ろ、まだ、席あるでしょ?」
「横にいておしゃべりしてないと中川さん、寝ちゃうかもしれないし」
僕は笑った。春菜を指差しながら言う。
「いや、絶対、そんなこと言っといて、寝るから。助手席で」
「いや、寝ません」
そして、寝た。後ろも前も運転手以外みんな寝た。
高速を走りながら、時々皆の寝顔を見ながら昨日のことを思い返してた。
きっと社長は、イベントの案を見ていた時にすでに、危うい部分があることに気づいていたと思うんです。いつものほほんとしているけれど、馬鹿な人じゃない。それでも、きっとわざと放置した。そして、失敗させた。
一瞬嫌な雰囲気になったけど、社長が出て行ったらあっという間に収まった。あの後、それでもまだなんとなく気まずくなっている雰囲気を察知して、最下位になった三人とは別のバイトの立場で参加していた学生の子たちが、用意があるなら自分達が着てみたいと言って、その場を丸く収めてくれた。
自分が社長の立場だったらどうしたろうと思う。自分は、しらみつぶしに野田くんたちの案を点検して、危なそうなところを事前に全部潰したと思うんです。
でも、それじゃいつまで経ってもみんな一人前にはならないんだろうなぁ。
ある程度の責任を持たせないと、で、失敗させないと。ただ、徹底的に失敗させてはならない。落ちそうなところをぎりぎりで守ってあげないと。
そういう姿を見ると、野田くんやづかちゃんたちでなくて、そばで見ていた人たちも、社長を手伝って何かやろうと思う。背中を見て真似をするのだと思う。
自分にはできないなぁ。神谷秀のやっていることの真似は。
もう少し若い頃は、こんなふうに実感するたびにそれなりに落ち込んでたんです。ただ、少しずつ自分も変わってきた。みんながみんな同じである必要なんてない。社長にしかできないことがあるように、自分にしかできないことというのももしかしたらあるのかもしれない。
眠り込んでいる子たちを順番に家の近くで起こして下ろす。わざとというかなんというか、最後は春菜になりました。
「あー、いつの間にか夜になってる」
「あ、起きた?」
春菜がこっちを見て、そして、後ろを見た。
「あれ、みんなは?」
「もうとっくにおりたよ」
「うわー、なんかヤダァ。こういうの」
「なにが?」
「寝る前と寝た後で、外が真っ暗だったりいた人がいなかったりすると、時間の感覚が変になりません?」
「ん?」
春菜の言っていることについてちょっと考える。よく意味がわからない。
「実は24時間以上寝てました?」
笑った。
「そんなわけないでしょ?」
そして、春菜は時計を見た。
「え、まだこんな時間なの?真夜中だと思ったのに」
赤信号で車を停めた。僕は隣の彼女を見た。
「お腹、減った?」
「……」
「この前奢り損ねた分、どっかで何か食べていく?」
彼女が答えないので、信号は青になった。
「疲れてるようなら別の日にしようか」
「いや、今日がいいです」
「じゃあ、何がいい?」
春菜が選んだのは彼女の家の近くの中華料理屋さん
「こんなとこ?」
お店の人に失礼になるので、ちょっと小声で彼女にいう。
「中華料理食べてる中川さん、見たことないから」
そう言って笑った。つけられた小型のテレビから流れるプロ野球の中継。中華料理屋の親父が鍋をお玉で叩く音。油の跳ねる音。一人で瓶ビール飲みながら睨むようにテレビを見ている客のおじさん。
なんということはない日常の中に、僕たちは二人でいた。その温かさ。
この子はやっぱり僕のことが好きなのかもしれないと、言葉をこえて思った。その時、僕たちの間に流れていた空気。それを感じているのは僕だけではないと思いたい。
僕だけの勘違いではないと思いたい。
「中華料理屋にきて、ご飯ものを食べる人なんだ」
彼女は天津飯にすると言った。
「中川さんはラーメン派?」
「いや、いつも迷う」
「ああ、なんかそんな感じだな」
「え、そうなの?」
その時、テレビの中で選手がヒットを打ったのだろう。観客の声が溢れ出す。僕たちは一度テレビを見た。
「餃子頼んでいいですか?」
「君が全部食べるならね」
「半分こでしょう。普通は」
「じゃ、だめです」
だんだん春菜のパターンが読めてきた。
「奢ってもらう約束だし、餃子は食べたいです。でも、半分食べてください」
「ええっ」
「ほら、半ラーメン+餃子、或いは、半チャーハン+餃子」
「……」
ノロノロしている間に自由にオーダーをする権利を失った。
「ほんと、ダイエット中の女子ですか。あ、すみませーん」
ついでに嫌味まで言われた。
「天津飯とこの半ラーメンと餃子のセットと瓶ビール一本」
「あいよ」
「コップ二つね」
「いやいや、車」
「あ……」
それでも、親父は耳でも遠いのか瓶ビールとコップを二つ置いてった。
「駐車場に朝まで置いといたら?」
「それでまた、君の家に泊まるの?」
春菜は僕を見て、僕は春菜を見た。彼女はコップひとつにビールをいれて、そして笑った。
「冗談です」
それから、二人で他愛もないおしゃべりをしながらご飯を食べた。春菜は一本のビールを持て余していた。一人でノロノロとビールを飲む春奈に付き合った。なんとなく会話が途切れた。
「この前のあれも冗談だったの?」
「何がですか?」
「僕が君に何かしたかって聞いたら、残念ながら何もしませんでしたって言ったでしょ」
その時、ほんの少しだけ酔った顔で、僕のことをしばらく見つめていた。
「中川さんって……」
「うん」
「周りの女の人の気持ちに結構鈍感ですよね」
「え……」
「心配しないでください」
「心配?」
「わたし、中川さんのことも大切なんですけど、仕事も大切なんです。だから、どうこうなんて思ってませんから」
その時、僕は黙ってそのぬるくなったビールをもう一つの空っぽのコップについで、でも、それに手を伸ばすと、彼女はそれにそっと片手で蓋をした。
「いきましょっか」
ビールを残して春菜は立ち上がった。
二人の間に流れる空気を感じているのが、僕だけではないと思いたい。
どうしようもないくらいにその時、寂しくてたまらなかったんです。それは何年かぶりの感情だった。寂しくてたまらない。誰かと手を繋ぎたい。好きな人を抱きしめたい。抱きしめて朝まで一緒に眠りたい。
でも、春菜は言った。
中川さんも大切だけど、仕事も大切だって。
「ほんとにこんな安いものでよかったの?」
「お金じゃないんですよ」
「君が払った額の方が高かったでしょ?」
春菜は何も言わずに笑った。
その時、一回じゃ足りないからもう一度こんなふうにどっかにご飯を食べに行かないかと言いたかった。でも、すると彼女は言うだろう。
もう一度仕事が大切だと。
家の下まで送って別れた。明日にはまた普通の上司と部下に戻る。




