17 サーターアンダーギー教②
17 サーターアンダーギー教②
飯塚春菜
あまりにトリッキーなうち合わせを終え、株式会社フォンテーヌ名義の手書き領収書を無表情なメイドから受け取り、帰りの電車で乗る方向を間違え、一駅間違った方向に乗ってから着々と降り、着々と階段を降りて登って反対車線から会社の方面の電車に乗り、黙々と帰った。
なーんも考えられなかった。茫然自失である。
あの人は、確実に、わたしよりも上手な人間だったな。世の中、いろんな人がいるものだ。
うちの社長なんか足元にも及ばない変人だったな。
雷に打たれたようなショックから少しだけ回復して、社に戻った。
「ただいま帰りました」
社内には三原ちゃんと小松さんがいた。中川さんと野田くんはいなかった。サオリも。いつものことです。皆忙しい。やれやれと自分のデスクに座ると、社長が部屋から顔出した。
「いたんですか?」
「いたら悪いのか?」
「いえ、別に」
「コーヒー、飲みたいなぁ」
「今、淹れます」
三原ちゃんがパッと席を立つ。
「あ、いいよ。自分で淹れるから」
「だから、なんでづかちゃんが断るんだよ」
「コーヒーくらい神谷秀は自分でいれますよね?ハラスメントに対して敏感な神谷秀なら」
「ああ、わたしが淹れますよ」
野田くんがいないので、小松さんが立ち上がる。
「いい加減、毎回、同じネタ引きずるの、やめろよ。ややこしいことになってるじゃないか」
「だから、素直にコーヒーくらい自分で淹れてくださいよ」
「づかちゃん、でも、絶対これ、ハラスメントとかいいながらネタにしてるだけだろ」
「労働契約書にお茶汲みは職務として入っていませんよ。一回5円とかせめて設定してくださいよ」
「ああ、あの、計算がかえってややこしくなるから、やめて。づかちゃん」
三原ちゃんに突っ込まれてしまいました。
「ええっと……」
小松さんがコーヒーマシンの前でオタオタしている。
「わたしがやりますよ。小松さん」
バイトの時は毎日のように操ってたマシンだ。たまにはわたしが淹れましょう。
「いや、でもさ。今、気づいたんだけど」
「なんすか?」
「づかちゃん、小松さんのために三原さんがコーヒー淹れてても何も言わないよね」
「……」
「それに、野田くんが淹れる時は何も言わないよね」
「女の人の味方ですから。わたしは」
「いや、でも、小松さんは女じゃないでしょ?」
「一丁あがりぃ」
淹れたてほかほかをお渡しする。
「あ、ラテアートだ」
「このくらいお茶のこさいさいですよ」
単純なハートの図柄だけどな。これしかできない。
「づかちゃんがまるで目の敵のように俺にだけ冷たいのはどうして?」
基本的に楽観的な男だが、たまーに卑屈になる。しかも、普通なら聞きにくいことを直球で聞いてくる。
「いや、社長って何しても気にしなさそうだから」
「……」
「というか、マネージャーの何かを受け継いでしまったのかなぁ」
「入社したての頃は可愛かったのに」
「最近、それ、よくいいますね」
「……」
「さ、はやく飲まないと冷めますよ」
その言葉にコーヒー持って踵を返した社長。わたしはデスクについて、鞄からノートPC取り出した。
「あ、づかちゃん」
呼ばれて振り向いた。社長室の手前で社長がこっち見てる。
「なんですか?」
「ちょっといい?」
開いたノートPCをパタンと閉じて立ち上がった。何だろう。
部屋に入ると、社長は自分のデスクについてコーヒーを飲んでいた。
「なんですか?」
「脱日本人、どうなってる?」
呆れた。
「昨日の今日で何言ってんですか?それに、その話、メインは野田くんですよね?」
「パッと思いついたようなことない?まとまってなくてもいいからさ」
腕を組んだ。うーんと。
「ありません」
「しょうがないな。でも、ちゃんと頭絞って考えてよ」
「わかりました」
背中みせて部屋を出ようとすると
「それにしてもあの野田くんがあんな怒るなんてね」
社長がコーヒー片手に頬杖ついて窓の外を眺めている。ドアノブに手をかけていたわたしは、その独り言に反応して、もう一度社長のデスクのそばまで近寄った。
「ほんとびっくりしました。それに、あんな色々考えてたなんて」
木田さんとのコミュニケーションにそんな気を遣っていたなんて知らなかった。
「野田くんってのほほんとしてるし、何も考えていなさそうに見えるのに」
「だから、みんな安心して俺や崇には言わないようなことも野田くんにはいうんだよね」
「え……」
そう言われて、思考が一旦止まる。それから、あれやこれや考える。日常的な出来事です。野田くんって普段、あっちこっちの店舗からやれ電気が切れたの、排水の流れが悪いだの、同じフロアのレストランのマナーがなってないだの、それこそどうでもいいめんどくさいことがあると一番最初に連絡が来る人。それで呼び出されて行ったら、捕まってしばらく帰ってこない。その店舗の愚痴やら文句を延々と聞かされながら、脚立にのって電球を取り替えるようなことをやってる。
「篠崎さんが野田くんを選んだのは、癖のある人や臆病な人、普通に行けば他者に簡単に心を開かないような人でも、野田くんに対しては垣根が低いのを見たからなんだよ。こんな人、いそうで滅多にいないって。敵を作らずにどこへ行っても入り込んでいける人」
「そんな凄い人なんですか?」
「本人、ちっとも自覚ないだろうけどね」
「確かに」
笑ってしまった。社長もちょっとだけ微笑んだ。
「篠崎さんでなきゃ発見できなかった宝物なんだよ。野田くんは」
外を眺めながら目を細めている社長を見て、わたしも温かい気持ちになった。男女の意味ではありませんが、わたしもあのおっとりとした同僚が好きなんです。
「会社はね、働いているみんなの本音をどうやって掴むかというのが重要だってね。だけど、社長である俺にも、副社長的な立ち位置の崇にも、みんな本音なんて言わないって。それに、もし言ったとしても、それをそのまま受け入れるわけにもいかない。クッションのようなものがあって、それが上に伝わるようにしておかないとおかしくなりますって篠崎さんに言われたの。会社と社員の間に入って、きっと野田くんなら最高の調整役になってくれるだろうって。あ、これ、本人には秘密ね」
わたしはその時、秘密の話を聞いてしまった。野田くんが選ばれたわけ。本人もなんでかわからないと言っていた秘密。
「俺、正直、半信半疑だったんだよね。でも、篠崎さんって人を見る部分ですごいとこあるからさ」
「はい」
「本当にすごい人だったんだな、野田くんは。あんなに怒るなんてね」
そう言って、社長は嬉しそうに笑いました。
「他人のためにあんなに怒るなんて、できる人は少ないと思うよ」
「そうですね」
「まぁ、でも、野田くんのことは心配してないんだよ。問題はさ」
「はい」
「サオリ」
「……」
「野田くんはうちの会社の中で人気があるからさ。サオリは気をつけないと悪役になっちゃうんだよね」
サオリは、異分子なんです。わたしたちの会社にとって。
変化を嫌う人たちにとっては。
「づかちゃんにはわかっていてもらいたいんだけど」
「何をですか?」
「サオリがいなければ、野田くんはきっと自分の中にある意見を心の中にしまったままずっと言うことはなかったんじゃないかなってことなんだよ」
「……」
「自分が出なきゃって場面でなければ、前に出たい人じゃないよね?」
「はい」
「そういう人を前に出させたって意味では、サオリもすごいと思ってる」
「ああ……」
「でも、そういうふうに見てくれる人ばかりじゃない。この世には悪役が必要だと知ってる人は少ないからね」
人は怠惰な生き物です。別に無理をしないでも生きていけると思っている人たちに反省を促せ方法を改めさせようと言う人はその人たちにとって悪役になる。
「サオリは悪役なんかじゃないですよ」
「そうか」
悪役と呼ぶのは流石にあんまりだ。
「でも、野田くんの人気には簡単に負けるよ。あの子は不器用だから」
野田くんが人気と言われても、なんか違和感があるけど。だけど、確かに野田くんはあっちからもこっちからも呼び出されては、喜ばれている。可愛がられていると言ってもいいだろう。
「づかちゃんが、気をつけてあげてくれない?」
「わたしがですか?」
「うん」
「え、わたし?」
社長は頷いた。
「何をどうしろと?」
「具体的なことは自分で考えてよ」
「え〜」
イメージが全く湧かなかった。
「おんなじこと、藤田さんにも言われました。そう言えば」
「ああ、よく見てるね。藤田さん」
社長は飲み掛けのコーヒーをことんとデスクに置くと、外を見るために斜めにしていた椅子をまっすぐに戻してパソコンの画面に戻る。
「コーヒー、ありがとう。じゃ、そういうことで、よろしく」
なんと返事しようかと、一瞬躊躇した。
「よくわかりませんけど、まぁ、わかりました」
「うん」
「社長」
わたしが声をかけると、画面に集中しかけていたのを止めてわたしの方をもう一度見た。
「なに?」
「野田くんの秘密は聞きましたけど、わたしの秘密はなんですか?」
「秘密?」
「わたしはどうしてセントラルにいるんでしょうか?」
「どういうこと?」
「野田くんのすごいとこはわかりましたけど、わたしのすごいとこは?」
「それは、人に教えてもらうことじゃありません」
「えー」
「自分でゆっくり考えなさい。自覚することが何より大事なんだから。ヒントはもう教えたよ」
「ヒント?」
「そう、昔教えましたよ」
そして、やっぱり仕事に戻ってしまった。
*1 サーターアンダーギー
沖縄県の揚げ菓子の一種。首里方言で サーターは砂糖、アンダーギーはアンダ(油)+アギ(揚げ)+語尾を伸ばすことで「油で揚げたもの」という意味になる。その名の通り砂糖を使用した生地を用いる球状の揚げドーナツである。縁起の良い菓子とされ、結婚式など祝い事でも振る舞われる。
北海道の描写に引き続き、沖縄の有名なお菓子を作中で多用させていただきます。沖縄出身の方で、気分を害される方が万が一いられたらどうしようと懸念しておりました。馬鹿にするような気持ちは一切ございません。自分も日本の地方出身者であり、地方文化を愛しております。独特の雰囲気を持つこの名前の音とその愛らしさを作中にお借りしますこと、お許しください。




