第一章(八) これから
静かな朝の時間。
レティシア⋯⋯正確には、レティシアとして、これから生きていくことになった女性は、寝間着姿のまま机と向き合っていた。
女性は不慣れな手つきで、文字を書いていく。
『11月17日早朝
目覚めてから、もう1ヶ月ほど経つ。
記憶喪失になってから、でもある。
私には、記憶だけではなく、一般常識も抜けてしまったようなので、最近は教師の方に来て頂いて、教わっている日々。やはり、知らないことばかりで、今の私の知識量は子供とそう変わらないと思う。けれど、文字を書いたり、読んだりする事は問題なく出来る。
なので、この日々を書き留めようと思い、日記を始めてみることにした。
以前のレティシアについて分かったことは、家族とはほぼ絶縁状態で、この地に嫁いできたということ。
それが、4か月ほど前であること。
そして、多分⋯⋯孤独だったこと。』
まだ城全体が活動する前の、早朝の静かな空間。
女性は、レティシアは夫とは不仲だったようだ、と書こうか一瞬悩んだが、周りの人に見られる可能性を考慮して止めた。
無論、自分自身についても書かない。
最悪、誰かに見られても問題のない範囲内に留めなければならないと考えているからである。
それにしても不思議だと、女性は思った。
この国の言葉を問題なく書けるし、読める。話すことだって、目覚めた当初から難なく出来ている。
何の意識をすることなく、この国の言葉が出てくるのである。
自分は別の世界で生きていたのだから、話せるはずはないのに。
これは、神様が困らないようにしてくれたのだろうか?
色々な事を考えながら、女性は言葉を選んでいるのか、時間をかけながら続きを書き進めた。
『これから、ノーサレア地方ではもっと雪が降って、積もるそうだ。侍女の皆さんは大変なんですと言っていたけれど、私は少し楽しみにしている。』
ここまで書いて、女性は手を止めた。
とりあえず今日はここまで、ということなのだろう。
そして、日記を丁寧に閉じて、ベッドに戻る。
まだ侍女が来るまで時間がありそうなので、女性は少し眠ることにした。
夫であるジンとは、先日話す機会があってから、定期的にレティシアに会いに来て、話すようになった。
初めは冷たい印象を持っていたが、ジンと少しずつ話してみると、たしかに口数は少ないが悪い人でもないと分かった。
女性が、一般常識を勉強したいと言うと、手始めにマナーの教師と、歴史の教師を雇ってくれた。
少しずつではあるが、女性は、レティシア・ダンドアとして、この世界で生きようと努力をし始めている。
レティシアの家族とは絶縁状態であり、夫婦仲にも不安はある。そうした不安要素はあるが、それでも一歩ずつ前に進もうという気持ちになっていた。
窓の外では、雪がまた降っている。こないだまでは地面が見えていたのだが、もう今は雪で覆われていた。
これから、本格的な冬が来る。
雪が降って、積もって⋯⋯。
厳しい冬が終わり、春が訪れる頃には、女性はよりこの世界に馴染んでいるだろうか。
この世界で生きていくことを強く実感できているだろう。
⋯⋯そして、レティシアとして、レティシアの暗い過去を背負うことが出来るのだろうか。
ノーサレア地方で、冬が始まる。
第一章 完




