第9話 俺の覚悟
俺・陽樹は、お店の戸締まりをした後、そっと、携帯の通知を見つめる。
やっぱり、来てない。
雛子と会ったとき、『また連絡する』といい出したのは自分なはずなのに、なかなか動き出せずにいる。
LINEというツールは、俺にとっては連絡手段のようにしか思ってないし、聞きたいことはほとんどボトルメールと、直接会った時に聞いた。
これ以上、何を話そうと言うのだろうか。
なのに、頭の中は、彼女でいっぱいだった。
話すことなんてない。だけど、彼女が今何してるのか、とか、誰を想っているのかと、男らしくないことを考えてしまう。
「兄ちゃん。」
ふいに、弟の翔月がキッチンから顔を出す。どうやら彼も、食器洗いが終わっているようだった。
エプロンを緩めながら、ニヤリと笑った。
「ひなこちゃん。もう今日から新学期なんだって。」
「……そうか。忙しくなるな。」
「やっぱり、兄ちゃんは知らないんだ。」
これは、マウントなのだろうか。彼はいつもの笑顔とは裏腹に、意地悪な悪魔のような顔をしていた。
翔月は、女子の喜ぶことがわかる。どうやら、女子はLINEで頻繁にやりとりしたいらしく、コミュニケーションツールとして使っているらしい。
俺には、それがどうにも理解できなかった。
しかし、翔月はそれもちゃんと知っていて、いつも最適解のメッセージを素早く送れるのだ。
その時点で、俺はかなり劣っていると、痛感する。そんなの、ボトルメールを盗んだ日から、分かっていた。いや、もっと前から。
俺は何も言えずに、突っ立っていると、彼が思い出したかのように口を開く。
「そうだ。オレ、明日締め切りの宿題終わってないや。終わらした?」
翔月は、計画性のないやつである。彼の部屋のスペースはいつも汚いし、よく物をなくす。基本マイペースなので、提出物もギリギリに出すし、定期テストも赤点常習犯だ。
そのいつもの態度に、俺はため息をつく。
「なんで終わってねぇんだよ。大量にあるから、あれほど計画的にやれと言っただろう。」
「ん〜いろいろ忙しくてさ、それに、今年はひなこちゃんが来てくれたからさ。なんだか、ドキドキしちゃって、終われなかったや。」
「関係ない。俺の負担が増えるんだよ。」
そう。毎年、翔月の宿題を俺が手伝っているのだ。
「オレの分の宿題もやったら、もっと頭良くなっちゃうかもよ?」
「やりたくないだけだな。ば翔月。」
「オレ、兄ちゃん大好きだから。ね?」
彼は、そうやって都合のいい時だけ、俺に甘えて上目遣いをしてくる。
これが妹だったら可愛いのかもしれないが、弟――ましては自分の同じ顔に言われても、可愛いなんて感情は出てこない。
「きもい。」
俺は、さらっと毒を吐いた。
※ ※ ※
日が沈み、今日が明日になる瞬間。
結局、俺は翔月の宿題をやることになった。
隣を見ると、彼は、シャーペンを握りしめたまま寝落ちしているようだった。プリントの文字がどんどん汚くなっているのを目にする。
なんやかんや、俺は翔月に甘いのかもしれない。双子とは言えど、誕生日は1日俺のほうが早い。それだけでも、兄という肩書きが、いつまでも消えていない気がする。
弟をほっといてもいいのに、なぜか見捨てられなくて、ついつい助け舟を出してしまう。
区切りがよかったので、数学の問題集をそっと閉じて、不意に部屋の窓を開けた。
今日は雲一つない夜空。見渡せば、複数の星々が見える。蛙や何かわからない生き物の鳴き声も聞こえてくるが。
ベランダに出て、ほうっと小さくため息をつく。
この夜空を辿れば、彼女の元へ辿り着けるだろうか。
海の、その向こうへ――。
俺はまたしても、携帯の通知音を見た。もちろん、雛子からは来ていない。
黙ってても、何も起こらない。
しかし、恋愛経験が乏しい俺は、メッセージの送り方が分からない。何しろ、雛子は遠く離れてる人である。
特に共通点もないのに、なんて送ればいいのだろうか。
でも、話したい。触れられない分、何らかの形で繋がっていたい。
せめて―――声だけでも。
そう思った瞬間、俺は考える暇もなく、携帯の受話器ボタンを押した。
プルルル…と接続音が鳴って、我に返る。
今は深夜0時10分。今日は水曜日だし、明日も雛子は学校がある。なのに、こんな時間、メッセージもなしに、いきなりかけたら迷惑だっただろうか。
気づいた時には、もう遅い。LINEは、『不在着信』という通知が相手に届いてしまうから。
そして、しばらく間があって、プチッと音がなる。
やっぱり、出ないか。
そう思った時。
心臓の音が、ばくん、とつよい拍動を打った。
生唾をゴクリと飲み込む。
『……もしもし。陽樹くん?』
彼女の声。
電話越しからでも、その声は温かく、甘く感じた。
『…………雛子。』
俺は、静かに名前を呟く。
声の温度が丁度良い。
彼女の名前を呼ぶことさえ、こんなにもエネルギーがいるのか。
次の返答はなんて来るのかと、ソワソワしてしまう。
『ど、どうしたの? こんな時間に。』
『ああ………。いや、別にどうってこともないんだが…。』
勢いで電話をかけてしまったため、咄嗟に最適解の言葉が出てこない。
彼女を退屈させるわけにはいかない
俺は、会話つなげようと必死だった。
『悪いな。こんな時間に突然。』
『いいよ。私も丁度寝れなかったし。』
『そうか…。それならいいんだが…。』
『ビックリした。急に電話かかってきたから。明日は学校?』
『そう。翔月から聞いた?』
『…うん。』
やっぱりそうか、と少しだけ気分が下がる。
俺は会話を繋げる。
『……始まっても、あんまり変わんねえけどな。今と。翔月の夏休みの宿題が終わらなくて、大変だよ。』
『え! 宿題手伝ってるの!? すごい、私、弟の宿題なんて手伝ったことない。』
褒められて、次の言葉が出てこなくなる。少し笑ってから、また、夜空を見上げる。
『今日は……星が綺麗だな。』
『え、星?…………本当。綺麗だね。私のところも見えるよ。』
彼女もまた、ベランダに出たのか―――間があって、会話を繋げた。
今、同じ景色を見ている。繋がっている。
電話越しでも、幸福感を得られた。
『なあ、雛子。』
『ん?』
『今度、また会った時に、伝えるつもりだから、覚悟してほしい。』
俺が言った『覚悟』とは、告白の意味である。
『はる…きくん…?』
『あの時は、咄嗟にあんなことしちまったけど、からかってるとか、そういうんじゃないから。』
『本気だから。俺。』
俺はそう言って、彼女の返答を聞く前に通話を切った。
胸が張りきれそうなくらい苦しくて、自分の口から信じられない言葉が溢れてきて、急に羞恥心が走った。
恋なんてしないと、あの日からそう決めたのに。
いつの間にか、恋を始めようとしている。自分でも何をしているのか追いつかないくらいに。
それくらい、この想いは、本気なのかもしれない。




