第5話 オレの心
オレ • 翔月は、彼女をフェリーに送り出してからも、ずっと何かが引っかかっていた。
そっと、隣を見つめる。
海風で、髪がそよそよと靡いている、もう1人のオレ――兄ちゃん。
瞳の先の視線。その矢印は曲がることなく、まるで一直線に突き刺すようにも見えた。
ボトルメールの女の子 • ひなこちゃんとのやり取りは今日で幕で閉じた。これからは、LINEでやりとりをすることになったからである。
彼女は、想像通り華奢で、穏やかな人だった。きっと、それは兄ちゃんも同じことを思っていたと思う。
あの日から、もう2ヶ月がたとうとしている。
※ ※ ※
夜明け前。オレは、兄ちゃんに激怒した。
数週間前から、彼女とやり取りしていたボトルがなくなっていたからだ。
何を言っても、『知らない』という彼が、ついに白状したのである。
ひなこちゃんとやり取りできなくなってから、一睡も寝れない日が続いた。
宝物のように大事にしていたボトルが、バッグを見ると、綺麗になくなっていたから。
もちろん中身の手紙も見つからない。
そんな時に、兄ちゃんは、オレに改まった口調で投げかけてきた。
「…翔月。探してるボトルは、俺が持ってるんだ。」
その時の空気は、昨日のように思い出す。重くて、息が吸いにくくて、投げたい言葉がいっぱいあるはずなのに、どこか詰まって喉奥が苦しかった。
感情を抑えようと、必死に必死に拳に力を込めた。
「……どういうことだよ。兄ちゃん。」
「最低なことをしたのは、わかっている。でも、やっぱり、言わないといけないと思った。」
「答えになってない。」
声が震える。
感情的になるのは、決まっていつもオレのほうだ。昔から、ずっとそう。
「彼女とは連絡取れてる。ちゃんと返事も来てる。」
「「オレが大事にしていたものを、どうして平気な顔で奪えるんだよ!!!!!」」
衝動のままに、彼に駆け寄り、強く、胸ぐらを掴んだ。
そして、キッとした目で彼を見つめる。強く、勇ましく。
こんなに感情的になったのは、幼少期以来かもしれない。
兄ちゃんは、微動たりともしなかった。ただ、静かに、オレを見つめているだけ。
やっぱりオレは、兄ちゃんよりも子供かもしれない。
兄ちゃんは、いつもそうだ。オレが欲しいものを全部、全部奪う。小さい頃から、ずっと奪われてきた。
オレがやりたいと言った野球も、兄ちゃんのほうが早く上達したし、勉強も、店の手伝いも、全部全部兄ちゃんのほうが器用にこなしてた。
先に夢中になったり、努力したりするのは、全部オレなのに。
だから、もう、2人で1つなんて、絶対に嫌だった。
後から合流する兄ちゃんが、全部うまくやって、オレの存在価値を薄くさせるから。
やっと、やっと見つけたと思ったのに。
オレ自身で、誰かと関わりたいと思って、自分で手段を選んで、自分の力で、雛子ちゃんと仲良くなった。
彼女は、オレだけを見ていてくれたんだ。
学校の友達も、近所の人も、みんなオレに双子がいることを知っていて、いつも、セットで扱われていたことが、ずっと嫌だった。
『陽樹のほうが勉強できるんだ。』
『翔月〜。もっとお前頑張れよ。双子だろ?本気出せよ〜』
学校で何したって、いつもオレはクラスメイトに兄ちゃんと比べられていた。
その度に、安っぽい笑顔を浮かべて、その場をやり過ごした。早く、この空気が終われという、強い思いとともに。
でも、ひなこちゃんだけは違った。
オレを、オレだけとして見てくれて、つまんない田舎の話を、楽しそうに、興味津々な文章で送ってきてくれた。
初めてだったんだ。こんな気持ち。
なのに、また兄ちゃんに横取りされて。
「………悪かったと、思ってる。」
冷静な声。
兄ちゃんがそれだけポツリと呟く。
それとは裏腹に、オレは腹に拳に力を込めた。今にも彼の額を殴りそうだった。
「そんなの当たり前だろ。兄ちゃんは、いつもそうやって後から来て、オレから全部奪うんだな。」
「奪ったつもりは…なかった。ただ、翔月がどんなやりとりをしているのか気になって。」
彼は話を続ける。
「殴るなら殴ってもらって構わない。お前の気が済むまで。」
やっぱり、オレの考えていることはお見通しなようだった。
それもまた悔しくて、兄ちゃんに言われて殴るなんて、男らしくないと思ったから、胸ぐらを掴んだ手も離した。
「………それで、なんて返した。」
「俺らの店のこと。気になってたから。」
「…どれくらいやり取りしてた。」
「3往復くらい。それで、俺の地元に来ないかって、誘った。」
「そう。」
もう仕方がないとも思った。
返事も返したくない。
やっぱりオレたちは、切っても切っても切れない関係。双子だから考えてることも一緒だし、どんなに引き離そうとしても同じ血を分けた人間だから、離れられない運命なんだと思う。
この運命は、いつ切れるんだろう。
答えはきっと、兄ちゃんもわかっている。
ボトルメールの女の子――ひなこちゃんが出す答え。
彼女の思いこそが、太い鎖で縛られているオレたちの呪縛を、引き離してくれる。
※ ※ ※
彼女を見送り、2人で家に帰って、寝る前の支度をしている時。
雛子ちゃんから、1 件のメッセージが届いていた。
『無事、家に帰れたよ。今日は本当にありがとう! 短い間だったけど、楽しかった。』
兄ちゃんのほうを向くと、彼もまた携帯の画面を見つけ、硬直しているようだった。
やっぱり、ひなこちゃんは、兄ちゃんにも同じようなメッセージを送っているんだろうな。
拍子抜けした、次の瞬間――
ピコン、と、また俺の携帯が震えた。
ひなこちゃんからの、2 件の追加メッセージと、画像が届いている。
『貝殻、やっぱりきれいだね。気に入っちゃって、自分の部屋に飾ったよ! 』
『ありがとね。これ見て、翔月くんのこと、思い出すよ。』
送られてきたのは、彼女の机の上に、オレがプレゼントした、ピンクの貝殻が飾ってある写真だった。
生活感の溢れる、女の子の部屋。周りに小さいクマのぬいぐるみが何個もあって、ガーリーな雰囲気だった。
彼女の私物のなかに、オレのものが混じって。
それだけで、彼女は兄ちゃんとは別人だと扱ってくれて。
魔法がかかったかのように、また幸せな気分になる。
やっぱり、彼女は、オレの特別な存在なのかもしれない。
ただの毎日だったはずの景色も、誰かを思い出すきっかけに変わっていく。
画面に映る、ピンクの貝殻。
あれは、確かにオレが渡したものだ。
そして今、あの部屋の中にある。
彼女の日常の中に、オレの存在が、少しだけ混ざっている。
それだけで、嬉しくなって、これからも、もっと彼女に触れてみたいと思った。
兄ちゃんと同じ顔で、同じ人生を歩いてきたはずなのに。
——初めて、違う場所に立てた気がして。
ひなこちゃんを、いつか、兄ちゃんに奪われるかもしれない。
そう思ったけど、何故か今回はそうとは限らないと思った。
彼女は、オレを――オレだけとして見てくれた、人魚姫のような人だから。




