第24話 オレと兄ちゃん
小豆島の冬は、瀬戸内海に面しているため、ほかの地域に比べて暖かい。もちろん、1年の中で1番寒いけど、雪は降らない。少なくとも、オレ・翔月が生きている中で、1度も降ったことがない。
『食事処・ウェーヴ』の閉店時間になり、オレは店のゴミ出しをし終えたところだった。外の看板も『CLOSE』にひっくり返しておいた。
店のドアがカラン、となる。
「兄ちゃん〜! ゴミ捨て終わったよ。」
「ああ……サンキュな。」
兄ちゃんは、カウンター席に座り、何やら分厚いノートに文字を書いている。オレは、ゆっくりと背後に近づいた。
「何してんの?」
「あー……店のこと。季節限定メニューでもまた作ろうと思ってる。」
これは、オレら波原家の代々続く、計画ノートである。創立当初の写真や、かつてのメニューのレシピ、お客さんの注文傾向など、細かい字がびっしりと並んでいる。
彼もこのノートの続きに一生懸命、記録を綴っている。閉店すると、すぐさまノートを開いて、よく難しい顔をしているのを、オレも知っていた。
オレは前のページをちらっと見ては、思い出したかのように口を開く。
「今年の夏に兄ちゃんが考えた、『天使の和風定食』。めちゃくちゃ人気出たよね。兄ちゃんってさ、そういうの1人で考えてるの?名前とかさ。」
小豆島の観光名所・エンジェルロードは、別名・天使の散歩道と呼ばれている。そのため、これをモジって、定食料理へと変化させたのである。
食のコンセプトは、『味のロード(道)が永遠に続く、幸福感ある定食』だ。
「まあな。小豆島の魅力を、もっと島外の人にも知ってもらいたくて。あ、そうだ…店の外観、もう少し新しくするか……父さんに聞いてみないと。」
「すごい。オレ、そういうアイディア、全く思いつかないや。ありきたりなやつしか。」
「翔月も、俺と一緒に店継ぐんだぞ。たまにはアイディア出してもらわないと、困る。」
オレは、『はーい』となんとなく返事をしながら、机によさりかかる。
「………なぁ、兄ちゃん。」
「なんだ?」
「ひなこちゃん、今日本番みたいだよ。私立大学の2次試験。」
ちょうど今日の朝、彼女から連絡が来た。『いよいよ、本番! 頑張るね。』とメッセージが来ていた。
それと、もう1件。
『陽樹くんにも、私頑張るねって伝えておいてほしい。』
つまり、2人は連絡を取っていないということだ。彼女は、多分兄ちゃんにも送ったはずだけど、返事が来ないから、オレに頼んできたのだろう。
オレの言葉に、兄ちゃんはそっぽを向く。
「ねえ、本当に知らないの? 連絡は?」
「……最近は、店のことで忙しい。」
「は?」
兄ちゃんは、何かを思い出すかのように急に立ち上がって、キッチンの方へ向かう。
オレは、それを遮るように、彼の目の前に立った。
無理矢理、目を合わせる。そらさせないように。
彼はため息をついた。
「翔月、そこいられると料理の邪魔だ。先に家帰って、飯食ってこい。」
「……どかない。」
「……戸締まりは俺がやっておくから――。」
「そうじゃない!!!!!」
店中に響く怒声。
「兄ちゃんは、ひなこちゃんのこと、どう思ってるんだよ!!!!」
オレは、兄ちゃんの胸ぐらを掴んだ。とにかく、必死だった。言葉1つ1つに濁点がつくように、すべてに力を込めて。
「……どうもなにも、今更なにも……。」
「なんだよ…それ。」
相変わらず、冷淡な彼の姿に、オレは呆れ気味になる。
「じゃあ、何? 今までひなこちゃんにしたこと、全部ウソだった。そう言いたい?」
「今の兄ちゃんは、ひなこちゃんのことを避けているように見える。あからさまに何かで気を紛らわせようとしてる。今も、そう。」
「違う?」
兄ちゃんは、何も喋らない。
オレが怒鳴ると、いつも彼は黙る。幼いころからの癖だろう。
「修学旅行の日から、変だ。第一、なんであの時、ひなこちゃんと一緒にいたんだよ。2人は約束をしてた? もしかして、その時に何かあった?」
「……翔月には何も関係ないだろ。」
「あるに決まってるだろ!」
オレは、さらに彼の服を強く引っ張った。
別に、2人の幸せを願ってるわけじゃない。オレのほうが、ひなこちゃんのことを幸せにできる自信があるし、誰にも渡したくない。
だが、そうやって身を引かれると、ひなこちゃんにも失礼だと思った。
「オレは、兄ちゃんとは違う…。ちゃんと好きな人に気持ちを伝えて、正々堂々思いをぶつけた。」
「……好きな人のことを気にすることは、当然でしょ。」
「そうだな。だけどもう、俺は何の関係もなくなったから。雛子のことはもう好きじゃない。翔月、お前がちゃんと幸せにしてやれよ。」
フン、と嘲笑う彼。
その表情見て、限界が来た。
オレは、兄ちゃんの頬を拳で殴った。
彼は、何も言わずにその場で倒れ込む。高校生男子の本気の握力で殴ったんだから、かなりのダメージだろう。しばらく動かなかった。
殴った右手は、ずっと熱くてジンジンして、痛い。手が震える。
「兄ちゃんのそういうところが、ずっっっと嫌いだった!!! いつも言いたいことを何も言わない。オレに譲ってばっかり!」
「遠慮しがちで、勝手に祝福してくんのが、不快なんだよ!!」
はぁ、はぁと、1人で息切れをする。運動していないのに、ずっと苦しい。殴った拳は、まだ震えていた。
少し落ち着いて、彼に言葉を投げる。
「好きなんでしょ…ひなこちゃんのこと。なら、気持ち伝えなよ。」
「いいよな。翔月は。」
予想外の言葉。
「…は?」
彼はゆっくりと立ち上がる。殴った頬は赤く傷ついていた。すぐ、青あざになりそうなくらいに。
「お前が、なんでいつも言いたいことが言えるのか分かって言ってるのか? いいよな。気を遣わなくて。」
「楽で羨ましい。弟は。」
「………おい。今なんつった?」
「人のことなんにも気にしないで、思うがままに生きてる翔月が、俺は心底羨ましいよ。」
「この状況で、よくそんな事が言えるな!!!! 反吐が出る。」
オレは、またもや手が出そうになる。兄ちゃんと話せば話すほど、分かり合えないことばかりだ。
「好きな人に連絡は返さない、そっけなくして、忘れようとしてる。その態度が、男として誠実かどうかって聞いてるんだ!!」
「なんだよ? オレが怖いか? オレがひなこちゃんとうまくいきそうだから?」
「…お前にはわかんねぇよ……。俺の気持ちなんて。」
「先、飯食ってろ。俺は試作品を作る。」
そして、近くのエプロンを手に取り、キッチンへ向かおうとする。
「おい…!まだ話終わって……」
「帰れったら帰れ!!!!」
兄ちゃんは、声を上げた。オレよりも低い声で。
彼が本気で怒る姿を、初めて見たかもしれない。最近、大きなケンカをしなくなったのは、彼がずっと我慢をしていたからだと、このとき初めて気づいた。
オレは言われるがままに、店をあとにする。
パタン、とドアの閉まる音。
その音で、兄ちゃんとの会話がシャットアウトされた気がして、今は少し安心した。
力が抜けて、その場で座り込む。
ため息をつくと、白い息が見えた。今日はいつもより暖かいはずなのに、すごく寒く感じた。身体が冷えているのだろうか。
なんで人は恋をするだろう。
人を傷つけて、傷つけられるだけなのに。
感情が整理できずに、オレはその場から、すぐ立ち去ることができなかった。




