第2話 俺とオレ
木々が生い茂り、空も少しずつ夏色になってきた。
窓の外から見えるオリーブの木も、そよそよと揺れてる。
もう夕方だというのに、気温は下がらないままで、白い太陽は、いつまで照らすつもりなのだろうか。
俺 • 波原 陽樹は、小豆島にある定食屋・『食事処 • ウェーヴ』で働いている高校2年生だ。
高校卒業後は、この定食屋を継ごうと考えているので、今は1人前になろうと努力をしている。
仕事内容は、ホールからキッチンまで幅広く行う。もちろん、日によって仕事内容は違い、もう1人の『オレ』とローテーション方式で仕事を回している。
エプロンのリボンを後ろでキュッと縛っていると、ドアの鈴がカラン、と鳴り、俺はその音に振り返る。
「兄ちゃ〜ん!! 帰ったよ!!」
そう。もう1人の『オレ』とは、双子の弟の翔月のことだ。
一卵性なので、顔が瓜二つ。学校でも、見分けられる人はごくわずか。しかし、性格は真逆なのである。
相変わらず呑気な彼に、俺は思わずため息をつく。
「おい、翔月。お店のドアは開けるなって前も言っただろ。お客さんだと思うから。家のドアはあっちな。」
「それは知ってるよ! だけど、今日はキッチンの日だから、早く着いたほうがいいかなって思って。」
「準備も何もできてないその格好で、できると思ってんのか?」
俺は、翔月の姿を頭からつま先まで見つめる。今日は暑いから、額に汗が光っていて、どこか匂いもする。制服も少し湿っていた。
その表情に、彼は口をモゴモゴさせながらポツリと呟く。
「うーん…できないかも…。」
「はぁ。早く着替えてこい。そろそろ繁盛する時間だから、すぐな。」
「うん! わかった!」
末っ子特有の自由さに、俺は思わずため息をついた。
俺達は、2人で1つ。そうやって、両親に育てられてきた。『陽樹』『翔月』という名前も、太陽と月という意味が込められているらしい。
兄である太陽が、弟の月を導いてあげる。お互いどちらかが欠けては生きていけない、だからどんな事があってもそばにいないとダメなんだって。
だから、幼い頃から習い事もいつも一緒に始めたし、部活もずっと一緒にしていた。
高校は、香川県内の学校に行きたかった。島内でトップに入るほどの成績を持っていたから。しかし、翔月の学力が足りていなかったから、仕方なく、地元の学校になったのだ。
どちらかが困っていたら、助け合う。抜けがけは絶対しない。いつまでも、2人で生きていく。
そう言われて、今日まで生きてきた。
あの日までは―――
※ ※ ※
「兄ちゃ〜ん。今日も疲れたよ。オレ、もうおなかペコペコ。こういう仕事していると、お腹すかない?あー、早くご飯食べたいよぉ。」
閉店時間になったので、戸締まりを済ませた時。彼がふとそんな事を言いだした。
俺はホール担当だったので、店の後掃除をしておいた。しかし、キッチンの翔月はまだ洗い物が残っているのである。
オレは、またもため息をつきながら、彼の隣でスポンジに洗剤をつける。
「誰のせいでこんな皿が溜まってると思ってんだ。ったく、皿洗いもまともに出来ないんじゃ、店なんて継げねえぞ。」
「兄ちゃんが何とかしてくれるからいいし。」
「俺任せにするなよ。2人で継ぐんだから。翔月が無能だと、俺の負担も増える。」
「ねぇ〜。なんかつまらない。毎日同じ繰り返しで。最近、ずっと退屈なんだ。」
彼の愚痴はいつものことだ。
ここに生まれてきたものはしょうがない。俺は、そういう運命だったと思って、割り切って、あえて何も言わなかった。
彼は、独り言を続ける。
「お店も全然ないから、友達と遊べない。オレだって、東京に住んでいたら、帰りに寄り道したいよ〜。」
「あーあ。都会に住んでいる人と話してみたいなぁ…。知り合いもいないしなぁ。」
ゴニョゴニョ言って、しばらくして、急にハッと俺の顔を見つめた。
「ねえ、兄ちゃん。ボトルメールとか、どうかな!」
「馬鹿なこと言ってないで、手を動かせ。」
弟のキラキラした目に、俺は冷たい目を向けた。
今日もいつものように、言ってるだけかと思っていた。翔月お得意の『もしも話』と思っていたのだ。
しかし、この日を境に、俺の心は変わり始めていたことに、まだ気づけてなかった。
※ ※ ※
それから1ヶ月後。
定休日に俺が昼寝していると、遠くからドンドンと階段を登ってくる音が聞こえてきた。
そしてその音はやがて大きくなり、誰の音か、眠いながらも察した。
「兄ちゃん! 兄ちゃん! 聞いてよ兄ちゃん!!」
「なんだよ。翔月…。今日は店休みだろう…もう少し寝かせてくれ…。」
俺の言葉にも、彼は気にすることなく、平気で体を大きく揺らしてくる。
「違うんだよ兄ちゃん! いいから早く起きてよ!」
ここまでやられると、流石に目覚めてしまう。
仕方がないので、無理矢理体を起こした。
すると、彼が俺の目の前に、便箋を見せてきた。
『田舎に住む男子高校生へ
はじめまして。
手紙、届きました。貴方のもとにこれが返ってくるかはわかりませんが。
私は、関東に住んでいる女子高校生です。
都会は、すごく窮屈ですよ。
私は、貴方の住んでいる田舎が羨ましいです。
都会に住む女子高校生より』
寝ぼけていたのか、俺は思わずその場でフリーズしてしまう。
「なんだこれ。」
「兄ちゃん覚えてない? キッチンの時、オレがボトルメールとかどうかな? って言った時のこと!」
「あーー……。」
正直言ってあんまり覚えていない。弟のアホ話に興味がないから、いつもスルーしてしまっている。
言われてみれば、言ってたような言っていなかったような気がするが、実際のところはどうなのか分からない。
「オレさ、手紙書いて、あそこの海に流してみたんだよ! そしたらさ!! 来たんだよ!!! 返事が!!! ヤバくない!?!?」
「あのな、こういうのは、女子高校生と言いながら、どうせおっさんなんだよ。ホント、頭の中お花畑なんだな。」
「兄ちゃんはそう言うと思った。ちぇ。つまんないの。」
「いいし。これが本当だってこと、いつか必ず証明してみせるんだから!!」
それからの翔月は、本当に人が変わったように仕事をするようになった。
店の時間を間違えることもなくなった。皿洗いのスピードも速くなって、お客さんの注文も間違えることも少なくなっていた。
家に帰って、わざとらしくニマニマ笑っていたりする事もあった。彼は昔から表情が顔に出やすいタイプだったから、嬉しいことがあったのは、両親も俺もわかっていた。
「なあ、兄ちゃん。オレさ、いつか1人前になって、ボトルの女の子に手料理を振る舞うのが夢なんだ!」
これが最近の彼の口癖だった。『ボトルの女の子』とは、メッセージを交換している彼女のことだろう。
馬鹿らしい。でも、そんな名前も顔も知らない人に夢中になれるのも、なんだか羨ましいとも感じた。ボトルメールだなんて、なんでいつも届くんだ。だったら、メールなんか要らないだろうと、すこし見下していた。
彼は昔からモテるタイプ。俺と違って、口調は柔らかいし、みんなにいつも笑顔を振りまくムードメーカー的な存在だったから。
しかし、特定の人に対して、こんなに執着してる姿をもしかしたら生まれて初めて見たかもしれない。
本当は、どんな人なのか、どんな話をしているのか、隅から隅まで聞きたかった。弟がこんなにもなる女性を、俺は少しでも知りたかったから。
しかし、彼が初めての手紙を見せてくれたときに『騙されてる』と言ってしまったから、聞くに聞けなかった。
※ ※ ※
「はぁ…会いたいなぁ。どんな人なんだろう。オレ、最近気になってずっと寝れないよ。ねえ、オレの顔、変じゃない? もし会ったら引かれたりすんのかな。」
寝る前の話も、あの日からずっと彼は、ボトルの女の子の話で持ちきりだった。
2段ベッドだから、彼の顔をみないで話すことができる。それが小さい頃は少し嫌だったが、今はむしろ表情が見られなくて、助かるまでもある。
「馬鹿言うな。綺麗な顔してんだから、自信もてよ。」
「何言ってんの兄ちゃん。同じ顔してるくせに。」
「なんてたって、俺の弟だからな。」
俺はそう言いながら、ぎゅっと唇を噛む。
表ではそう言ってはにかんでも、心の内では、同じように思えなかった。
この気持ちの名前も、わかっていなかった。
※ ※ ※
夜が明ける頃。今夜はなんだか眠れなくて、俺はぼーっと天井を見つめていた。
彼は上に寝ていて、俺は下で寝ている。経年劣化しているから、上で寝返りされるとミシミシという音が鳴り響いていた。
そして、寝息が聞こえてくると安堵し、俺は静かにベットから起き上がる。
いけないことなのは、わかっていた。
でも、どうしても、どうしても気になって、今の俺にはこれしか方法がないと思った。
彼のスクールバッグの中には、透明なボトルの中に丸まった手紙が入ってる。家に帰ると、バッグを見ながらニヤニヤしていたので、なんとなく、ここにあることは分かっていた。
彼の私物の、ありとあらゆる引き出しや袋を開けて、今までの手紙の内容を見た。
発見して、読んでいるときも、ずっと心臓がバクバクした。たぶん、今まで生きてきた中で1番緊張したかもしれない。
心臓の音が、胸を抑えなくてもうるさくて、手が少し震えて、時々翔月が起き出さないか、確認する時間。鳴り響く時計の秒針。
目の前に起こっている1つ1つが、俺の心を緊張させていった。
俺と翔月は、一卵性の双子だ。
会っても、きっとどっちがどっちが分からない。
同じように店を手伝っているから、話は通じる。
俺のほうが料理も上手いし、仕事もできる。
月と太陽のように、いつまでも無くてはならない存在。そう思っていた。
でも、そう思っていたのは俺だけなのかもしれない。
翔月は、ちゃんと自分で行動して、自分で選んで、自分で幸せになろうとしている。
月は、太陽がいなくても、自ら輝こうとしているのだ。
俺はまた、唇を強く噛む。
悔しかった。
2人で1つって、そう教わったのに。
勝手に、1人立ちするなんて。
そんなの、絶対に許さない。
気がついたときには、彼の引き出しにあった便箋を取り出して、書き殴るように文章を綴った。
『都会に住む女子高校生へ
オリーブ、めっちゃあるよ。公園にもあるしね。俺の店も、地元の名産品を使ったメニューがいっぱいあるし。
他にも新メニューもできる予定なんだ。
そっちのおすすめのお店ってない? 都会って、俺の店よりももっとおしゃれなところいっぱいありそうだから(笑)
田舎に住む男子高校生より』
なるべく翔月の字に似せるように、荒い字で書いて、字間も狭く、文章の量も、不自然にならないようにちょうどいい量で書いた。
そして、両親と彼の目を盗み、太陽が昇りかける早朝に、小豆島の海へ流した。
これから、俺が彼女のメールの相手をする。
俺のほうが、もっと魅力を語れるはずだから。




