新世界では、小説家や漫画家たちが引っ張りダコだった!
新世界では、惑星地球が意識世界の狩人たちの狩りの場になってしまったので、多くの魂たちが避難してきていた。
そこには、多くの小説家や漫画家やイラストレーターや空想家がいた。
彼らは、その持ち前の想像力を使って、新世界に新しい世界を生み出していった。
新世界では、その想像したことがリアルになるのだ。
それは、100人のキャラを想像できるならば、100人のキャラを自分が自由自在に体験できるということでもある。
1000種類のキャラならば、1000種類に変身できる。
一人だけなら、いつまでも一人のままだ。
だが、みんなどんどんといろいろなキャラを想像してゆけるようになる。
映画を見れば、、、、小説を読めば、、、、漫画を読めば、、、、他の魂たちのプライベート世界に遊びに行けば、、、、特に意識していなくても、ほとんど自動的にそれができるようになってゆくからだ。
つまり、いろいろな娯楽を楽しんでいれば、自動的に成長してしまうのだ。
だから、一生懸命、ハチマキを巻いて勉強とかはしなくていい。
惑星地球からやってきた魂たちは、それをとても有難がる。
楽しむだけで、いい、、、と言うと、感謝されるのだが、そんなことは当然のことだろうと新世界の面々は思っている。
それは、世界の基本仕様がまるっきりはじめから違うからそうなる。
意識体として自由自在に望む体験だけを味わえる基本仕様の世界では、楽しむだけでいいのだ。
あとはちょっとだけ意識的に想像力をコントロールするコツを学べばいいだけだ。
ただ、それを意識し、意志するだけでいい。
それが新世界の義務教育とも言えない義務教育だ。
それで教育は完了する。
悪いことさえ確信犯で実行しなければ、それが新世界の教育のすべてだ。
あっという間だ。
中には、ものの数分で義務教育が完了する者もいる。
他の魂を苦しめるような悪いことだけはしないようにして、後は、ひたすら楽しむだけでいい 。。。。了解! 以上だ。
楽しめるいろんな映画などを寝転んで見ていれば、想像力の使い方なども、ほとんど自動的に学習できてしまう。
そのラストシーンは、ちょっと、、、と思えば、自分の気に入ったラストシーンに変えれるので、それがわかると、がぜん、映画も面白くなる。はまる。
途中で、主人公をまったくの別人にしてしまうこともできてしまうし、ごっそりと半分だけ違う映画をくっつけてしまうこともできる。
それが、全部、想像力だけでできてしまい、、、その主人公であれ、脇役であれ、ペットであれ、、、、どの役柄にでも自分がなり替わることができてしまう。
一人二役で、ラブラブとかもできてしまう。
一人三役、四役、、、、などもできてしまう。
バトルももちろんOKだ。 なにしろ、全部、自分だから、誰かが苦しむということもない。
思う存分に相手をぶちのめしても、痛みも苦しみも発生しない。苦しみたいならば、適度な苦しみを発生するようにもできる。つまり、本当になんでも自由自在なのだ。
こうだったらいいな、、とか、これはやだな、、、とか、ここは改良したいな、、、とか、、、そう意志するだけで、すぐさま世界が、その基本仕様から変更される。
惑星地球から来た小説家や漫画家たちなどは、既にそうした能力に長けていて、いちいち教えなくても、勝手に楽しみはじめてしまっている。
この新世界に来た時点で、そうした彼らは、すでに世界の創造主なのだ。
そして新世界の住人たちは、新しく想像した世界で面白い世界ができたと思えば、それを他の住人たちと分かち合うことを楽しみとしているので、小説家や漫画家たちは引っ張りダコになっている。
どっさりと、新世界の無数の住人からのファンレターや招待状が山のように届いて、それに埋もれそうになっている者もいる。
「ようこそ、新世界へ!♪」
彼らの頭上には、花文字で歓迎の言葉が掲示されていた。




