小さな異変
『緑の葉亭』の裏庭で、私は天日干しにしていた薬草を木箱へ丁寧に収めていた。
秋の爽やかな風が、白銀の髪を優しく揺らす。
前髪を払ったおでこに当たる風は気持ちよく、私は自然と小さな鼻歌を口ずさんでいた。
「ルシア、入っておいで。少し混んできたよ。」
老店主の優しい呼び声に「はーい!」と元気に返事をして、私は店内へと戻った。
今日もお客さんは絶えない。
手足を擦りむいた男の子や、腰痛に悩むおばあさん。
一人ひとりの話にじっくり耳を傾け、お手製の軟膏を塗ったり、症状に合わせたハーブを包んで渡す。
「ルシアちゃんの手は、本当に魔法みたいに温かいねぇ。痛いところがすーっと楽になるよ。」
「ふふ、良かったです。無理をしないで、今夜はゆっくりお風呂に浸かってくださいね。」
笑顔でお客さんを送り出すたび、胸の奥がじんわりと温かくなる。
誰かに必要とされ目の前の人が笑顔になってくれる。
それだけで今の私には十分すぎるほど幸せだった。
◇
だがその頃、王都の裏通りにある隠れ家の一室では張り詰めた空気が漂っていた。
部屋の中に集まっているのは、ヴィンセント様に従うガルシア帝国の精鋭騎士たちだ。
近衛騎士隊長のマークさんが羊皮紙の報告書を広げヴィンセント様へ深々と頭を下げていた。
「ヴィンセント様。ルシア殿に関する調査報告でございます。」
「話せ。」
壁に背を預け、腕を組んだヴィンセント様が低く短い声を出す。
その紺色の瞳は、冷徹な帝国の主としての鋭さを取り戻していた。
「はい。彼女は5年前から、勇者レオン率いる『閃光の剣』というパーティーでヒーラーを務めておりました。しかし数日前、王都の酒場にて……『容姿が地味で使えない』という不当な理由で、パーティーを追放されております。」
「……使えない、だと?」
ヴィンセント様の声のトーンがすっと落ちた。
部屋の中の温度が一段下がったかのような凄まじい威圧感に、周囲の騎士たちが息をのむ。
「ええ。彼女は生前のおばあ様の言いつけを守り、極端に長い前髪と重い防具で素顔と力を隠していたようです。元パーティーの者たちは、彼女が裏で展開していた『絶対聖護』の加護の価値にまったく気づいていなかった模様で……。」
マークさんの報告を聞きながら、ヴィンセント様は深く溜息をついた。
その瞳には、愚かな勇者たちへの強い蔑みと、不当に虐げられてきたルシアへの激しい憤りが宿っていた。
「愚か極まりないな。神の加護そのもののような存在を、ただの雑用係と切り捨てるとは。」
「はっ。……それと、ヴィンセント様。もう一つ、気になる報告がございます。」
マークさんは声をさらに潜め、慎重に言葉を選びながら続けた。
「……彼女が事故の際に展開した『絶対聖護』の波長、そして白銀の髪と琥珀色の瞳。我が帝国の最古の古文書に記された……『始まりの聖女』の記述と、完全に一致いたします。」
「……やはりか。」
ヴィンセント様は驚く風もなく、静かに目を細めた。
帝国の伝承に眠る、冷酷な皇帝の呪いを解き国に光をもたらすとされる伝説の存在。
単なるおとぎ話だと思っていた伝承が、今目の前にいるあの可憐で健気な少女と結びついたのだ。
「ルシアの本質を理解できぬ国に、彼女を放っておくわけにはいかん。……近いうちに、正式に我が帝国へ連れ帰る準備を進めろ。」
「御意にございます。」
ヴィンセント様は窓の外、ルシアがいる薬草店の方角を静かに見つめた。
彼女を守りたいという強い欲望と、彼女の真の価値が世界に知れ渡った時の混乱。
静かな王都の裏で大きな運命の歯車がギシギシと音を立てて動き始めていた。




