忍び寄る陰りと崩れ去る誇り
ルシアが小さな薬草店で働き始めて数日が過ぎた。
ヴィンセントは身分を隠したまま、二日に一度のペースで店へと足を運ぶようになっていた。
店先でささやかなハーブティーを飲みながら、ルシアが楽しそうに薬草の選別をする姿を眺め言葉を交わす。
血生臭い政務や争いに明け暮れていた彼にとって、ルシアのいるこの静かな空間だけが唯一心が休まる場所となっていた。
「ヴィンセント様、今日は少し顔色が良いですね。」
「……そうだな。君の淹れるハーブティーのおかげだろう。」
恥ずかしそうに微笑むルシアを見て、ヴィンセントの胸の奥には静かで深い愛おしさが育まれていた。
◇
一方その頃――王都の郊外に位置する、中級ダンジョン『迷宮の森』の深部。
薄暗い樹海の中に、荒い息遣いと下品な罵声が響き渡っていた。
「くそっ……! なんだって今日の魔物はこんなにタフなんだ!?」
勇者レオンは額から血を流し、激しく肩で息をしながら大剣を構えていた。
彼の足元には、数体の狼型魔物の死骸が転がっている。
いつもなら、この程度のダンジョンなどかすり傷ひとつ負わずに数時間で突破できるはずだった。
だが今日は違った。
一撃食らうだけで激痛が身体を走り、傷口からはダラダラと血が流れ続ける。
疲労は溜まる一方で全身の関節が鉛のように重い。
「レオン様っ、助けて! 魔法の詠唱が間に合わないわっ!」
後ろからマリアの悲鳴が上がった。
振り返れば、マリアの豪奢な魔法衣は泥と血で汚れ擦り傷だらけになっていた。
「おいマリア! なにトロトロやってんだ! さっさと強い攻撃魔法で吹き飛ばせ!」
「無茶言わないでください! 魔力が……魔力がもう底をつきそうなのよ! いつもならこんなに魔力を消費しないのに……!」
マリアは半泣きになりながら杖を振りかざすが、放たれた火炎球は弱々しく魔物の皮膚を少し焦がす程度にしかならない。
「ちくしょうっ……! なんだってんだ一体! 全然体が動かない……!」
レオンは歯を食いしばり、必死で大剣を振り下ろす。
彼らはまだ知らなかった。
5年間、ルシアが息をするようにかけ続けていた『絶対聖護』の加護の恐ろしさを。
ルシアの加護は、ただダメージを減らすだけではない。
疲労の蓄積を極限まで抑え、魔力の消費効率を最適化し、擦り傷や打撃による小さな損傷を自動で修復し続けていたのだ。
それが完全に失われた今、彼らは「素の貧弱な体と能力」で戦わなければならなくなっていた。
「はぁ……はぁ……なんとか、倒したか……。」
最後の魔物を倒し、レオンはその場に膝をついた。
たかが中級ダンジョンの浅層で、パーティーはボロボロになりアイテムの回復薬も使い果たしてしまった。
「レオン様……私もう歩けない……痛い……体が痛いの……っ。」
泣きわめくマリアを見下ろし、レオンの心の中に激しいイライラと、不気味なほどの違和感が広がっていく。
(おかしい……。今まではこんなに苦戦したことなんて一度もなかった。……なんでだ? 何が変わったっていうんだ……?)
血で汚れた己の手を見つめながら、レオンの頭裏に、あの日蹴り飛ばして追い出した雑用係の顔――重い前髪で顔を隠した、暗いルシアの姿が一瞬だけ思い浮かんだ。
だが、レオンはすぐにその思考を打ち消すように頭を振った。
(ハッ……まさかあいつのせいな訳がない! あいつはただのブスで地味な雑用係だ! 俺たちが疲れているだけだ……!)
己のプライドを守るためにレオンは目を背けた。
己の手で捨て去ったものがどれほど巨大で決定的な『神の加護』であったかという事実から。




