表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/12

凍りついた絶望の響きはもうなかった。ただ、生活がある。守られた、穏(おだ)やかな、国に内緒の生活が、そこにはあった

 ある夜、五十嵐正克と平田三郎は、あの田畑に隣接した月一万円のアパートの敷地内にいた。

 二人は車から降り、一階の細川さんの部屋の窓から漏れる、ささやかなテレビの音を聞いていた。

「五十嵐さん」

 平田が、暗闇の中でささやいた。

「白石川さんがやっていることは、公金を使った『時効の書き換え』なんですね」

「書き換えじゃない。『国が一方的に打ち切った経費の、強制的な延長請求』なんだ」

 五十嵐は、火のつかない電子タバコを指ではさみながら、細川さんの部屋のドアを見つめた。

「あの細川さん夫妻を覚えているか? 一人息子を警察の無能な『モシモシ、警察だ』の一声で殺された。あの事件の実行犯である不良グループの首領、そして奴らをおどしていたワル共の多くは、とうの昔に別の罪で服役するか、あるいは時効の壁の向こう側へ逃げ延びて、何食わぬ顔で一般社会にまぎれ込んでいる。警察は『捜査は尽くした』と書類を閉じ、国からの補償など一円も出なかった」

 細川夫妻は、ただ「運が悪かった被害者」として社会のどん底へ突き落とされ、貧困ビジネスの餌食になりかけていた。それを白石川の組織が見つけ出し、このアパートへ連れてきた。

「白石川さんはね、細川さんに警備会社の職を斡旋したんだ」

 五十嵐の声は、夜の風に溶けるように静かだった。

「そして、その警備会社が『地方創生コンサル』を通じて、国からの公的補助金を受け取るスキームを作った。細川さんが毎月受け取る給料、このアパートの格安の家賃、毎月届く泥のついた大根。そのすべての原資は、国が『時効だから関係ない』と突っぱねた、あの命の代償なんだよ。白石川さんは、国のシステムから合法的に金を引っ張り出し、細川さん夫妻の『奪われた時間』を毎月、一円単位で買い戻している。復讐のために誰かを刺すのではない。細川さんの明日という日を、お上の金で保障し続けること。それだけが、あの息子の無念を、そして細川さん自身の引き裂かれた魂を、静かに鎮める唯一の方法だからだ」

 部屋の窓越しに、細川婦人が、ギンロクの届けたネギを丁寧にまな板できざむ包丁の音が、トントンと規則正しく聞こえてきた。その音には、かつて車中泊でこごえていた頃の、った凍りついた絶望の響きはもうなかった。

 ただ、生活がある。守られた、おだやかな、国に内緒の生活が、そこにはあった。


©2026 [風風風]. All rights reserved.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ