人間が作ったシステムは、必ず人間の『欲の歪(ゆが)み』から崩壊する
「五十嵐さん、白石川さんから直々に『足』の追加要請が来たんですって?」
ハンドルを握っている平田三郎が、助手席の探偵、五十嵐正克に聞いた。
二人の目的地は、あの「月一万円の聖域」。すなわち、細川さんたちや、かつて貧困ビジネスから救い出された人々が暮らす、田畑に隣接した古いアパートだった。
その頃、白石川は「地方創生コンサルティング」の最高層オフィスで補助金申請書の山を見つめていた。
地上の喧騒の中を、軽自動車が走り続ける。
五十嵐が、前方を見つめたまま言ったその声には、いつも通りの淡々としたビジネストーンが宿っている。
「埼玉から連れてきたあの親子、雄吾とリンジだ。リンジの方は、明日からさっそくお得意様回りを始める。だが、それだけじゃ足りないらしい。『循環の速度』が、ここへ来て異常に上がっているんだそうだ」
彼は窓の外、2026年の東京近郊の、どこか均一化された地方都市の景色を眺めていた。
「数年前のコロナ禍から始まった、あの『事業再構築補助金』や『地方創生臨時交付金』の狂騒曲が、まだ尾を引いているからな」
五十嵐は、煙の出ない電子タバコを口に咥え、火をつけないまま転がした。
「お上が作った制度の穴は、一度掘られると、行政自身の手では埋められない。なぜなら、埋めようとすれば『これまでの審査がザルだった』と、自分たちの無能を認めることになるからだ。だから彼らは、さらに複雑な『新しい正当な手続き』という名の書類の山を作り、穴を隠そうとする。白石川さんは、その新しく作られた書類の山に、さらに洗練された偽装の自動スタンプを押し続けている。公金という名の血液が、白石川さんの口座へ逆流する速度が上がるのは当然だ」
「誰も傷つかない、完璧な装置、ですか」
感心したように、平田が小さく笑った。
「まったくな。役人は『地方創生の実績』というボタンを押し、地方の首長は『予算獲得』というボタンを押し、全東信のような融資先を失った金融機関は『優良コンサル案件』というボタンを押す。誰もが自分の保身と利益のために動いた結果、すべての金が俺たちの『救済基金』に変わる。ジンさんの遺志は、今や数百億の規模で具現化しているというわけだ。だが、完璧な装置なんてものは、この世に存在しない」
五十嵐の目が、ふと冷徹な光を帯びた。
「白石川さんは、わざと残しているんだよ。あの人が総合協信の雑居ビルで見てきた、あの『数円の誤差に狂喜して、やがて自滅していった男』の末路。人間が作ったシステムは、必ず人間の『欲の歪み』から崩壊する。あの人は、その崩壊の引き金を引く『誰か』を、ずっと待っているかもな。……」
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