燻銀六郎(いぶしぎんろくろう)(仮名)の話
白石川がギンロクという男を知ったのは、今(2026年)から10年と少し前、のことだった。
東日本大震災で、避難指示地域で酪農を営んでいたのが、ギンの父親だった。燻家がその地で酪農を始めたのは、大陸からの引揚げ者だった曾祖父だった。例に漏れず、曾祖父のような人々が、国からあてがわれたのは、作物など育たない無用の荒地だった。そういう土地を艱難辛苦を乗り越えて開墾し、やっとのことで農業や酪農を営むことができるようになった。
燻家は、原発誘致の時には、誘致反対の立場だった。一緒に反対運動を闘った仲間の酪農家が、カネの力で一軒一軒切り崩されていく中、燻家は最後まで頑強に反対を唱え続けた。燻家は、地域の中で孤立し、酪農の経営も苦労を伴うものになった。
原発事故が起きた時、ギンの祖父は言った。
「ワシらの杞憂じゃなかったということじゃ。……」
祖父母は、避難生活の心労が祟って、震災後二年のうちに、相次いで没した。
同じ地域の者たちが、補償金を受け取る中で、燻家は国と電力会社相手に、裁判で闘う姿勢を取り、またも地域の中で孤立し、イジメを受ける羽目になった。ところが避難所では、補償金を受け取った地域の人間ということで、ここでも孤立を強いられた。
避難先では、原発誘致の恩恵を受けられなかった市町村の人々も避難してきていた。燻家の者は、ここでもイジメに遭う。「南象羅の人とは、一緒にいたくない」という声さえ聞こえた。後、燻家は、十分ではない補償金を受け取るが、噂を聞いた「借金がある」という親戚筋から、「カネを貸してくれ」という頼みが来たり、詐欺まがいの投資話に乗って、カネをまきあげられたりした。
父母は、埼玉の避難施設に身を寄せたが、父はもう身も心もボロボロの状態で、無気力のままパチンコで身を持ち崩した。母は無口になり、寝込むことが多かった。
ギンロクは長男だった。弟と妹、二人を守ろうと、家を出て働くことを決め、部屋を借りて、三人で暮らし始めた。だが、高校を出たばかりのギンロクでは、弟妹を養い、学業にかかる費用を稼ぐのは無理だった。弟妹ふたりも、学校でのイジメを苦に、家を出て、行方知れずになってしまった。
白石川は、彼の育て親の奄美神から指示された。
燻一家を取り上げたドキュメンタリー放送を見た奄美神から、「燻家の三兄弟の誰でもいい。探し出して、保護してやってくれ」と頼まれていた。
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