良心も心臓もない無痛のシステムに対する、生身の人間たちの静かなる逆襲
彼(白石川)は、勿論ただのボランティアではない。一般に言う「富裕層」でもない。
そもそも今のこの日本で、そういうことをしている富裕層がいるとは、寡聞にして聞かない話だ。
彼が人々を救済している原資は、どこから来ているのか。
「奄美神仁九朗さんから託された金があるからな。……」
ポツリというように、白石川が呟いたことがある。
現在では、「託された金」よりも遥かに大きな金額を稼ぎ出しているが、自分の功績(?)を誇らない男だった。
「今は兎に角、『不条理に打ちのめされた人』を、一人でも多く探し出すことだ」
彼が、ギンロクに言う、口癖である。そして、
「不条理に打ちのめされた人を救え 。復讐を考えるな。復讐を遂げたとて、心の平安は得られない。お前と同じような境遇にある『救済から漏れた』人を救え。一人救えば、お前の心が救われる。『救うこと』が、お前の魂を鎮めるのだ 」
と続ける。それは、奄美神仁九朗(通称ジンさん)の「遺言」でもあった。
雄吾はピクリと肩を震わせたが、目は画面に向けたまま、力なく呟いた。
「……誰だ。金ならねえぞ。親戚の分も、あの投資のやつも、全部払ってもう一文もねえ」
「金を取りに来たんじゃない。あんたの時間を返しに来たんだ」
ギンロクはポケットから、1枚の静かなリゾート療養所のパンフレットと、白石川の組織が用意した「特別契約書」を差し出し、雄吾のパチンコ台のガラスの前に置いた。
「熊本から埼玉まで、あんたたちが国とハイエナに支払わされた『激痛』の経費だ。ここにある療養所の費用も、奥さんの入院費も、妹さんの捜索費用も、これからのあんたたちの生活費も、全て我々がもつ」
雄吾がようやく、信じられないものを見る目でギンロクを、そしてその背後に立つ息子のリンジを見た。「リンジ、……。お前、これは一体、……」
「親父」
リンジが、乾いた声を絞り出した。
「もう、そのハンドルから手を離してくれ。俺たちを捨てた国から、俺たちの人生の経費を毟り取る方法があるんだ。……この人たちが、それを見せてくれる」
ギンロクは立ち上がり、雄吾の肩をすれ違いざまにぽんと叩いた。
「表に車を待たせてある。荷物をまとめな」
「リンジ、行くぞ。明日からお前の仕事が始まる。白石川さんの指示通り、お得意様の間を回って書類を届ける『足』になってもらう」
「はい」
リンジの返事には、昨日までの自暴自棄な響きはもうなかった。自分に与えられた役目は、金持ちたちの間を走り回り、ただ書類を運ぶこと。その地道なメッセンジャーの仕事が、どうして自分たちを捨てた国からの「真の補償金」へと繋がっていくのか、その仕組みはまだ何も知らない。ただ、あの好々爺――白石川さんの優しい笑顔の裏にある絶対的な何かに、自分の人生を賭けてみようと決めただけだった。
国家という、良心も心臓もない無痛のシステムに対する、生身の人間たちの静かなる逆襲。
その物語の車輪が、いま、埼玉の寂れた街並みから音もなく走り出した。
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