年貢の納め時…かぁ
帝国と騎士団との合同軍による侵攻事件は、拍子抜けするほどあっけなく幕を閉じた。
何しろ、五千の兵力は一晩で無力化され、将たちは『純血の黒薔薇』への怒りに燃えて寝返ったのだ。
後日、報告を受けた帝国皇帝と騎士団長は震え上がった。自国の精鋭があっさりと捕虜になったうえ、彼らから「我らを騙した黒薔薇を共に討ちましょう!」という熱烈な嘆願書(※メリッサ添削済み)が届いたのだから。
結果として、両国とは極めて有利な条件で講和が成立。
リラクシアへの不可侵条約はもちろんのこと、莫大な賠償金と、温泉街の開発資金まで引き出すことに成功した。
さらに、捕虜となった兵士たちの働き(とアレンの謎の主人公的カリスマによる指導)により、リゾートの拡張工事は爆発的なスピードで進み、『魔森温泉国リラクシア』はかつてないほどの繁栄を謳歌していた。
◇◇◇
「ええと……期末まで、土日祝日を除いて稼働日はあと何日だ……?」
プレハブ小屋から立派な木造建築へとアップグレードされた『所長室(仮)』。
俺、リディル・ローゼンベルグは、山積みになった書類の山と格闘していた。
国が大きくなれば、当然のように事務仕事も激増する。魔力があろうと、強かろうと、書類のハンコ押しや計算作業にはなんの意味もないのだ。
「……うーん。現金出納簿と実際の金額が、ほんの少しだけ合わないな……」
俺は羽ペンを置き、頭を抱えた。
数え直しても、なぜか銅貨数枚分のズレがある。
「これ、正直にメリッサに報告して怒られるべきか……それとも、こっそり俺の小遣いから自腹を切って帳尻を合わせるべきか……」
悪役令息ともあろう者が、あまりにもみみっちい葛藤にウンウンと唸っていると。
「自腹で帳尻合わせようやなんて、経営者としては三流の考え方やで、リディル?」
「ひっ!?」
いつのまに入室していたのか、背後からメリッサがひょっこりと顔を出した。
「あ、いや、これはその……」
「冗談や。まあ、報告の手間と時間を考えたら、少額のズレに目くじら立てる方が非効率やからな。今回だけは見逃したるわ」
そう言ってパチンとウインクをしたメリッサは、ドサリと新たな書類の束を机に置いた。
「それより、リディル。国も随分と安定して、資金も潤沢になったやろ? そろそろ、うちとの『終身契約』……結んでくれてもいいんちゃうん?」
「えっ」
「抜け駆けはずるいわよ、メリッサ!」
バタン! と勢いよく扉が開かれ、今度は第一婦人候補を自負する公爵令嬢ヴァルハイト・セレスティアが堂々と入ってきた。
「リディル! リラクシアが正式な国として認められつつある今、トップである貴方には正式なパートナーが必要不可欠よ! 第一婦人である私との結婚の儀、いつ執り行うつもりなの!?」
顔を真っ赤にしながらも、彼女はビシッと俺を指差す。
「わ、私も、その……早く貴方の、本当の妻になりたいし……」
「お二人とも、リディル様がお困りでございますよ」
静かに扉を閉めながら入ってきたのは、お盆に紅茶を乗せたエルザだった。
彼女は優雅な所作で俺の机にティーカップを置くと、そのまま真っ直ぐに俺の目を見つめた。
「ですが……私も、お返事をお待ちしております。あの夕暮れの川べりでお伝えした、私の心からの願いに対する、リディル様のお答えを」
「あらあら。私という『姉』がいながら、可愛い弟を独り占めしようだなんて、許さないわよ?」
さらに、執務室の空間がぐにゃりと歪んだかと思うと、女ドラゴンのシルヴィアがふわりと姿を現した。
時の流れを司る彼女は、悪戯っぽく微笑みながら俺の背後に回り、その豊かな胸に俺の頭をそっと抱き寄せる。
「時の岩屋で共に過ごしたあの濃密な時間……まさか忘れたとは言わせないわ。人としての寿命なんて瞬きのようなもの。私の伴侶となって、永遠の時を共に生きる覚悟、そろそろ決まったかしら?」
「シ、シルヴィアまで!?」
執務室に、四人の実力派ヒロインが集結してしまった。
商人としての辣腕を振るいながらも俺を支えてくれるメリッサ。
高いプライドを持ちながらも、誰より熱く俺を想ってくれるヴァルハイト。
幼い頃からずっと無償の愛で俺を見守り続けてくれたエルザ。
そして、姉のように振る舞いながらも、圧倒的な包容力と古龍としての重い愛を向けてくるシルヴィア。
四者四様の、どれも本気で重たい愛情の矢印が、俺一人に突き刺さっている。
この世界、特に公爵家という俺の身分を考えれば、第一夫人、第二夫人と、複数の妻を娶ることは制度上は珍しいことではない。
だが、俺個人の倫理観がそれに激しくブレーキをかけていた。
(全員を等しく愛し、全員を一生幸せにする? 口で言うほど簡単なことじゃない)
中途半端な覚悟や、男の甘い見栄で「全員選ぶ」なんて言うのは、彼女たちの真剣な想いに対する最大の冒涜だ。
誰か一人を選べば、他の誰かを必ず傷つける。かといって、全員の手を取るならば、四人の人生を背負いきるだけの圧倒的な度量と責任が俺に求められる。今の俺に、それだけの覚悟があるのか?
俺はゆっくりと立ち上がり、俺を見つめる四人の前に出た。
そして、深く、深く頭を下げた。
「みんな、本当にありがとう。俺みたいな不甲斐ない男を、こんなにも愛してくれて、支えてくれて」
顔を上げ、四人それぞれの目を見つめ返す。
「俺はもう、流されたり、逃げたりしない。一人を選ぶのか、それとも全員と幸せになるという道を歩むのか……君たち全員の気持ちに、誠実に、真っ直ぐに向き合うと誓う」
俺の言葉に、四人の表情がハッと息を呑むように変わった。
「だけど……どうか、もう少しだけ時間が欲しい」
「時間、ですか?」と、エルザが小首を傾げる。
「ああ。俺の心が決まっていないからじゃない。俺自身が、君たちの想いを受け止めるに足る『責任ある男』になるための時間が欲しいんだ。それに、この国は今急成長しているが、俺たちを陥れようとした『純血の黒薔薇』の脅威は去っていない」
俺は拳を強く握りしめた。
「奴らの根城を完全に叩き潰し、このリラクシアに、そして君たちに、本当の『平穏』を約束できる日がもうすぐ来る、その時まで……俺の選択を待ってくれないか」
国としての地盤を完全に固め、すべての憂いを絶ち、彼女たちを一生守り抜ける力を証明する。
それが、これほどまでに俺を愛してくれる彼女たちに対する、男としての最低限のケジメだと思ったのだ。
しばしの沈黙の後。
「……ふふっ。ほんま、難儀な人やなぁ。そういう不器用で誠実なとこに惚れたんやから、しゃあない。利子付きで待ったるわ」
メリッサが、呆れたように、けれど嬉しそうに扇子で口元を隠した。
「当然よ! 私の夫となる男なのだから、それくらいの大きな仕事を成し遂げてから迎えに来なさい! ……ず、ずっと待ってるんだからね」
ヴァルハイトは腕を組み、ツンとそっぽを向きながらも、その耳は真っ赤に染まっていた。
「リディル様。貴方様がどこまで行こうとも、私はお側で待ちしております。……ですが、あまりお待たせするようでしたら、メイドの権限で寝室に押し掛けますので、ご覚悟を」
エルザは、完璧な微笑みの中に、底知れない本気の愛を滲ませた。
「ふふっ、いいわ。千年でも二千年でも待ってあげる。でも、覚悟を決めた時は、龍の愛の重さ……たっぷりと味あわせてあげるからね」
シルヴィアは妖艶に微笑み、俺の頬をそっと撫でた。
「うっ……善処するよ」
こうして、俺の人生最大の決断は、少し先の未来へと持ち越された。
幼馴染の献身か、高貴な婚約者の情熱か、優秀な相棒の甘い罠か、あるいは人外の姉の永遠の愛か。
それとも、この異世界で俺は、すべての想いを背負うという選択をするのか――。
窓の外では、今日もファフニールとヴォルカノフが雄叫びを上げ、アレンが大剣を振り回し、グレンが捕虜たちを嬉々としてしごいている。
騒がしくも愛おしいこの国を守り抜き、すべての平穏を手にした時、俺は果たしてどんな選択をするのだろうか。
『悪役令息』が本当に望む未来への戦いは、まだ始まったばかりである。
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