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悪役令息〜平穏を希う  作者: 虹の箸
わーくにインバウンド化計画

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31/39

愛ってさ

「はぁ……」

正妻を自負する公爵令嬢シャルロッテと、第二夫人(自称)兼専務取締役のメリッサ。

二人の実力派ヒロインがプレハブ小屋で熱い(というか恐ろしい)事業計画会議を始める中、俺はそっと部屋を抜け出した。

いくら魔力がチート級になろうとも、女の戦いの場に漂う謎の重力には耐えきれない。

夕暮れ時の魔の森。

少し離れた川べりまで歩いていくと、そこにはすでに先客がいた。

「――お疲れ様でございます、リディル様」

振り返り、深々と一礼したのはエルザだった。

我が家に仕えるメイドであり、俺が最も幼い頃から、文字通り片時も離れず俺の成長を見守り続けてくれた女性だ。

彼女は今、戦場のような開発現場(主にヴォルカノスのせい)で働く俺たちのために、冷たい川の水でタオルを絞ってくれていた。

「エルザ。わざわざこんなところまで来てくれたのか」

「はい。リディル様が大きなトカゲ……いえ、悪竜さんを懲らしめられたと聞き、お怪我がないか心配で。それに、シャルロッテ様やメリッサ様もお見えですから、お疲れだろうと思いまして」

エルザはいつも通り、一歩引いた、完璧なメイドの距離感を保っている。

だが、差し出されたタオルの温かさと、彼女の切れ長の瞳に宿る深い心配の色に、俺の胸の奥がキュッと締め付けられた。

「ありがとな。……怪我はないよ。あいつ、見た目の割に打たれ弱かったし」

「ふふ、そうでございますか。リディル様が昔から、一度怒ると手がつけられないお転婆さん……いえ、苛烈な御方だったことは、このエルザ、よく存じ上げております」

クスクスと上品に笑うエルザ。

彼女のその笑顔を見た瞬間、張り詰めていた俺の肩の力が、すーっと抜けていくのが分かった。

シャルロッテやメリッサの前では、俺は「国を興す男」であり、「開発の所長」として、強く、頼もしくあらねばならない。それが男の責任だと思っている。

だけど、エルザの前でだけは、俺はただの「リディル」に戻れる。泥だらけで泣き虫だった、昔の小さな男の子のままでいられるのだ。

「……なぁ、エルザ」

「はい、何でしょうか」

「俺さ、本当はちょっと怖いんだ。こんな大きな森をリゾートにするとか、偉そうなこと言ってるけど、みんなを巻き込んで失敗したらどうしようって、たまに思う」

普段、誰にも言えない弱音が、彼女の前だと自然に口から溢れ出た。

エルザは驚いたように少し目を見張ったが、すぐにその表情を、見たこともないほど柔らかく、慈愛に満ちたものに変えた。

彼女は、スッと一歩、俺との距離を詰める。

いつもなら「身分が違うから」と、絶対に踏み越えてこないはずの境界線。それを、彼女は自ら越えてきた。

「リディル様」

エルザの細く、だけどいつも家事で働いている少し固い手が、俺の泥のついた頬にそっと触れた。

ひんやりとした川の水と、相反するような彼女の体温が、じんわりと肌に伝わってくる。

「私は、公爵家の後ろ盾も、商会のような大金も持っていません。ただの、しがないメイドでございます。……ですが、これだけは世界中の誰にも負けない自負がございます」

「エルザ……」

「私は、誰よりも長く貴方様を見つめてまいりました。貴方様がどれほどお優しく、どれほど不器用で、そして、どれほど大切な人のために命を懸けられる御方か、誰よりも知っております」

エルザの瞳に、夕日の光が反射して、まるで宝石のようにきらめいた。そこにあるのは、主従の絆を超えた、一人の女性としての、深すぎるほどの『愛』だった。

「貴方様がどこへ行こうとも、たとえ世界の果てであっても、私は貴方様の影となり、一番近くでお支えいたします。ですから、どうか恐れず、貴方様の信じる道をお進みください」

ストレートで、曇りのない、純粋な告白だった。

身分を弁え、決して表舞台には出ようとしない彼女が、俺のためだけに紡いでくれた、最大級の愛の言葉。

俺の心が、今度こそ本当にドクンと大きく跳ね上がった。

ただの身近なメイドじゃない。俺の人生の根底には、いつもこのエルザの愛があったのだと、今更ながらに気づかされた。

「エルザ……俺――」

俺が彼女の手を握り返し、その本当の気持ちに向き合おうとした、まさにその時。

『所長ォォォォオオオオッ!!! 申し上げます!!!』

**ズザァァァァァァッ!!!** と見事なスライディングで、またしてもヘルメットを被った悪竜ヴォルカノスが砂煙を上げて乱入してきた。

『第二工区の温泉湧出により、地盤の温度が急上昇! ファフニール先輩が「あちちちっ! 俺の肉球が焼けるッ!」と、またしても涙目で職務放棄しております! ご指導をお願いしますッ!!』

「……お前、本当に空気読まないな?」

俺の额に青筋が浮かぶ。

横を見ると、エルザはすでに一歩後ろに下がり、いつもの完璧なメイドの微笑みに戻っていた。

「リディル様、お仕事のようでございますね。行ってらっしゃいませ。今夜は貴方様の大好物を作ってお待ちしております」

「……ああ。行ってくる。エルザ、話の続きは、また夜に、な」

「はい。楽しみにしております」

少し悪戯っぽく微笑むエルザに後ろ髪を引かれながら、俺は悪竜の首根っこを掴んだ。

「よしヴォルカノス、ファフニールの奴を根性焼き……じゃなくて、ちょっとお説教しに行くぞ。ついでにお前も、空気を読むという概念について、みっちり教育してやる」

『ハッ!? なぜか分かりませんが、所長の目が悪竜時代の私より凶悪に見えますッ!! 喜んで教育を受けさせていただきますッ!!』

こうして、俺の背中を押してくれる「一番の理解者」の愛を胸に、俺は再び、騒がしくも愛おしい建国の現場へと走っていくのだった。


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