あーもう本当めんどい、◯す(八つ当たり)
数日後。森の入り口に設営した仮設テントの中で、俺――リディルは、深々と頭を下げていた。
「……というわけで、森の環境保全と住人たちの権利保護を最優先にしたいんだ! 経済効率が落ちるのは百も承知だ。でも、どうか頼む! お前の知恵と商会を貸してくれ!」
テントの中に、重く、そして深いため息が響き渡る。
目の前に座るのは、子爵家出身にして凄腕の若き商人、メリッサ。彼女は手元の資料――俺が徹夜で書き上げた『魔の森エコリゾート計画書(理想全振り版)』――をパラパラと捲りながら、呆れたようにこめかみを押さえていた。
「リディル……ほんま、あきれるほどのお人好しやなぁ。この計画、短期的な利益回収率は最悪やで。魔物たちへの報酬やら自然環境への配慮で、初期投資は莫大や。商人としてのウチのそろばんからしたら、即座に破棄すべき案件やわ」
「うっ……そこをなんとか! この通りだ!」
さらに深く頭を下げる俺に、メリッサはふうっと息を吐き、パタンと資料をとじた。
「……せやけど、長期的な視点で見たら、魔の森ブランドと希少素材の独占いう計り知れんメリットがあるんも事実やな。それに何より、ウチがアンタの頼みを断れへんって分かってて言うてるんやろ?
「え? いや、そんなつもりは……」
「ズルいわ、でもこれが惚れた弱みっちゅうやつか」
メリッサは立ち上がると、スッと俺の目の前まで歩み寄り、その形の良い唇に艶やかな笑みを浮かべた。
「よっしゃ、ええやろ。この最高に非効率な計画、ウチがバックアップしたるわ。――せやけど、条件があるで」
「条件? なんだ、言ってみろ! 利益の分配率か? それとも商会の独占権――」
「ウチを、アンタの嫁はんにしてえな」
「…………はい?」
俺の思考が完全にフリーズした。
目の前のメリッサは、冗談を言っているようには見えなかった。その双眸は、いつもの商談の時よりもずっと真剣で、熱を帯びて俺を射抜いている。
「な、いや、ちょっと待て! 妻って……俺には一応、親が決めた許嫁が……」
「ええ、知ってるで。せやから、本妻はその許嫁の人で構わへん。ウチは第二夫人でも、なんなら愛人でもええよ。ウチいう優秀な商人を一生涯、あんたにに縛り付けられるんや。最高の取引やろ?」
「いや、取引の問題じゃなくてだな!」
顔から火が出るかと思った。
これまで、彼女からのアプローチや意味深な発言は、からかわれているだけだと思っていた。俺の反応を見て楽しんでいるだけだと。だが、違った。彼女は本気だ。
(俺は……なんて鈍感だったんだ)
メリッサだけじゃない。もしかして、他の子たちも……?
今まで「仲間」としてしか見ていなかった身近な女性たちの顔が次々と脳裏に浮かぶ。俺は、彼女たちの気持ちを何一つ理解しようとしていなかったのではないか。ちゃんと向き合わなければならない。これからのためにも、誤魔化しちゃダメだ。
「メリッサ。その……すげえ嬉しい。けど、そんな大切なこと、この場での取引の条件にはできない。俺も、お前の気持ちにちゃんと本気で向き合いたいから――」
俺が覚悟を決めて口を開きかけた、その時だった。
――ズドォォォォォォォンッ!!!!
突如、テントの外で凄まじい轟音が鳴り響き、大地が激しく揺れた。
「きゃっ!?」
「メリッサ、危ない!」
バランスを崩した彼女を抱き留め、俺は急いでテントの外へ飛び出した。
「なんだ!? 一体何が起きた!」
外の光景を見て、俺は息を呑んだ。
魔の森の上空を分厚い暗雲が覆い、太陽の光を遮っている。そして、開けた上空に滞空していたのは――巨大な漆黒の鱗を持ち、禍々しい瘴気を撒き散らす『第三の龍』だった。
『グルルルル……我の眠りを妨げ、騒々しくしているのは貴様らか、矮小なる人間ども』
地の底から響くような声が空気を震わせる。
駆けつけたシルヴィアとファフニールが、険しい表情で空を見上げていた。
「あれは……暴虐の悪竜、ヴォルカノス! なぜこんな所に!?」
シルヴィアが叫ぶ。
「チッ、面倒な野郎が出てきやがったな。おい、トカゲ野郎! ここは俺様たちのシマだ! とっとと失せねェと、その黒い鱗を全部ひっぺがすぞ!」
ファフニールが凄まじい覇気を放ちながら威嚇する。
しかし、漆黒の悪竜は二柱の龍を見下し、鼻で嘲笑った。
『フン。人間に尻尾を振る腑抜けた古龍と、牙の折れた厄災の竜が。我の道を阻むなど片腹痛いわ。……おい、そこの人間のガキ』
悪竜のギラついた黄金の瞳が、俺をギロリと睨みつけた。
『この森で何か小賢しい真似を企んでいるようだが、ここは強者のみが支配する場所。森を好きにしたいなら、まずはこの俺を倒してみせるがいい!!』
圧倒的な暴力の意志。
森の魔物たちが恐怖に震え、ワーウルフやトレントたちも身構える。
俺は……俺は。
ぷつん。
俺の中で、何かが音を立てて切れた。
大切な仲間たちと誓い合った、誰もが笑って暮らせる国作りの第一歩。
そして何より、メリッサの真剣な想いに向き合おうとしていた、俺の男としての超・重要なデリケートタイム。
それを、こんな横暴なトカゲもどきにぶち壊されたのだ。
「……あ?」
俺の口から、低く、ドス黒い声が漏れた。
ファフニールとシルヴィアが「あっ、ヤバい」という顔で俺を見る。
「強者のみが支配する場所ォ? 寝言は寝て言え、このクソトカゲ」
俺は魔力を全身に巡らせ、地面を力強く踏みしめた。膨大な魔力が渦を巻き、周囲の空気がビリビリと軋む。
「喧嘩を売りたいなら……喜んで買ってやるよ。お前のその自慢の鱗、ひっぺがして岩盤浴の熱源材にしてやる! ギッタギタにしてやらあ!!」
かくして、エコリゾート建設という名の平和な建国計画は、初日からまさかの『対・悪竜防衛戦』という超脳筋なスタートを切ることになったのだった。
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