第23話 未踏の境界線と、王都の休日
クローヴィスの脳を制圧し、三百年に及ぶ歪んだ支配の歴史に終止符を打った『深淵の箱庭』。
その最深部に現れた、見たこともない奇妙な文字が刻まれた扉を前に、俺たちは立ち尽くしていた。
『ーー世界構造の第一階層(国家規模)の完全統治を確認。これより、第二階層へのゲートを開放します』
無機質なシステム音声が脳内でリピートされる。
俺の【超鑑定】のウィンドウには、その扉の奥が「未到達エリア」とだけ表示され、それ以上の解析を拒絶していた。
「……マスター、この扉の奥から、先ほどまでのクローヴィスとは比較にならないほど強大で、洗練された『魔力脈の源流』を感じます。おそらく、この国の地脈そのものを生み出している、さらに深い階層です」
アリアが油断なくコンソールを叩きながら、冷徹な声で告げる。
「レオン様……この先、行ってしまうのですか?」
ノエルが不安そうに俺の服の裾をギュッと握りしめた。
三百年の暗闇から解放されたばかりの彼女にとって、これ以上の未知の脅威は恐怖でしかないのだろう。
俺はノエルの頭を優しくポンと叩き、それからアリアと、影の中で双剣の柄に手をかけているリーシャを見渡した。
「いや、行かない。……というか、今は絶対に開けない」
「え……?」
リーシャが驚いたように影からパッと顔を出す。
「だってそうだろう。国を救って、黒幕をハッキングでボコボコにして、ようやく王都に本当の平和が戻ってきたんだぞ? なんで俺が、よく分からない次のステージの強制イベントにそのまま付き合わなきゃならないんだよ」
俺は操作パネルを乱暴に叩き、その『未知の扉』の周囲に、マスター権限でガッチガチの三重の封印結界を施した。
「お前が『第二階層』だか何だか知らないが、俺はこの国のマスターだ。俺の許可なく勝手に次のゲームを始めるな。……今は、休載だ」
俺の理不尽なまでの拒絶に、システムは一瞬「……」と沈黙したようにノイズを走らせ、やがて警告音を消して静かに休止状態へと移行した。
配信のコメント欄は、この前代未聞の「ボス部屋でのイベント拒否」に大爆笑の嵐に包まれている。
『次のステージ強制拒否とか草wwww』
『レオン様さすがにマイペースすぎる』
『確かにまずは祝勝会が先だよな!』
「アリア、リーシャ、ノエル。王都に帰るぞ。地上の二人も待ってる」
「……フフ、かしこまりました、マスター。まずは冷めないうちに、あのパンケーキの続きを温め直さなければなりませんね」
アリアが可笑しそうに目を細め、リーシャも「賛成です!」と嬉しそうに双剣を引いた。
空間転移の光が俺たちを包み、次の瞬間、俺たちは明るい陽光が差し込む王城のダイニングへと帰還した。
地上では、三万の公爵軍の武装解除と、ゲートから溢れ出た魔物の『養分変換(DP回収)』を完璧に終えたセレスとギルバートが、疲れ果てた姿でソファに倒れ込んでいた。
「おかえり、レオン……。もうね、魔物の仕分けより、旧貴族たちの事後処理の方が一万倍疲れるわよ……」
ドレス姿のままソファに突っ伏しているセレスが、恨めしそうな目で俺を見る。
「セレス殿、贅沢を言うな。マスターが地下の黒幕を完璧に制圧してくださったおかげで、王都の地盤沈下は完全に止まったのだ。これ以上の誉れはない……が、確かに私も、あと五時間は泥のように眠りたい……」
ギルバートも、白銀の鎧を着たまま使い古した雑巾のように疲れ切っていた。
「二人とも、本当にお疲れ様。……ほら、ノエルちゃんも無事だよ」
リーシャがノエルの背中を押すと、ノエルは二人の前に歩み寄り、深々と頭を下げた。
「セレス様、ギルバート様。……私のために、この国のために戦ってくださって、本当にありがとうございました。私、もう二度と、暗闇の中で泣いたりはしません!」
その真っ直ぐで清らかな感謝の言葉に、セレスとギルバートの目が一瞬で潤んだ。
「ノ、ノエルちゃん……! なんて良い子なの……! よし、お姉ちゃん明日からまた書類仕事頑張っちゃう!」
「うむ……! この聖女の笑顔を守るためなら、旧貴族の資産差し押さえなど、あと十万件あっても徹夜で処理してみせよう……っ!」
二人の単純すぎる現金な反応に、俺とアリアは思わず顔を見合わせて苦笑した。
本当に、こいつらは最高に愛すべき、俺の自慢の仲間たちだ。
その日の夜、王都では百万の市民を巻き込んだ、歴史上最も盛大な『建国祭』が執り行われた。
街の至る所に飾られた黄金の魔力灯が、かつての薄暗いスラムの面影を完全に消し去り、平民も、元難民も、誰もが美味しい酒と食事を囲んで笑い合っている。
俺は王城のテラスから、その美しい夜景を見下ろしていた。
「……マスター。静かな夜ですね」
アリアが完璧に淹れた紅茶を差し出してくる。
背後からは、セレスとリーシャがノエルに美味しいお菓子を次々と食べさせて、ノエルが「ひゃぅ、もうお腹いっぱいですぅ!」と嬉しそうに悲鳴を上げている声が聞こえる。
底辺鑑定士、荷物持ちと罵られてギルドを追放されたあの日から、随分と遠いところへ来たものだ。
今や俺の目の前には、俺を信じてくれる最強の仲間たちと、俺のルールで守られた百万の民の笑顔がある。
俺は温かい紅茶を一口すすり、夜空を見上げた。
地下200階層に遺された、あの『未踏の扉』。
それがこの国、いや、この世界のどのような真実に繋がっているのかはまだ分からない。
だが、どんな歪んだシステムが仕掛けられていようと、俺の【超鑑定】と、この仲間たちの絆があれば、次もまた完璧にハッキングして、俺たちの『おもちゃ』にしてやるだけだ。
「さあ……明日は何をしようか」
俺の呟きに、アリアが静かに、しかし絶対の信頼を込めて微笑んだ。
底辺鑑定士レオンの、新しい国家運営の日常は、ここからさらに面白くなっていく。




