薄荷の入浴剤
──春。大学入学後、間も無く。
都心に建つ高級マンション。はるみの家。
玄関ドアが、軽やかに開く。
「……っ。」
嬉しさを顔に湛えたはるみが、足早に玄関に入り、振り返る。
マンションの廊下に、ドアを押さえて立つまさる。
はるみに遅れて玄関に足を、一瞬迷って踏み入れる。
玄関ドアが、小さな音を立てて閉まった。
「ここが俺の家。入って、まさる!」
はるみがニッコリ笑いかけ、靴を脱ぐ。
まさるははるみを真似て急いで靴を脱ぎ、妙な気持ちで廊下に立つ。
靴下の下に、冷たく硬い大理石。
「まさる、これ、これ履いて。」
はるみが屈んで差し出したスリッパに、言われるまま足を差し込むまさる。
「うわ、フカフカ……。はるみ、俺……。」
はるみが、まさるの言葉を遮るように手を引っ張る。
玄関から続く、白い大理石の明るい廊下。
床と同じ色のハイドアが、リビングのドアまでいくつも並んでいる。
まさるが、黒いスポーツバッグを揺らしながら進む。
ドアの向こうは、洒落た内装の開放的なLDK。
「うわぁ……。ホテルみたい。はるみ、本当にここに一人で住んでるの?」
はるみが冷蔵庫から、お茶の小さなペットボトルを出す。
──まさるがよく飲むお茶のパッケージ。
「うん。父さんのマンションで、家具とか小物は母さんの趣味。」
はるみはまさるをソファに座らせる。
「ここで待ってて、風呂にお湯張ってくるから。」
はるみの背中を目で追いながら、まさるはもらったお茶の蓋を開ける。
(本当に、俺と違う……。)
一口飲んだお茶でさえ、初めて味わう気がする。
しばらくしてはるみが廊下から顔を出す。
「まさる、パジャマ着る?」
「俺、寝る時用の服、持ってきた……。」
「そっか!薄荷の匂い平気?」
「薄荷の匂い……好き。」
「そっか!入浴剤それにする。」
はるみがパタパタと動き回る音が、廊下から聞こえてくる。
(初めて泊まる友達の家が、こんなすごい家なんて……。)
まさるの脳裏に、都営団地の私室が浮かぶ。
古い学習机に、色褪せたカーテン。
気後れしながら、リビングの大きなカーテンに目をやる。
上品な生地のアイボリー。
(はるみのお母さん……。)
入学式の時に挨拶をした。
静かに、儚くみえる微笑みを浮かべた、きれいな人。
まさるの胸の緊張が、少しだけ緩む。
ソファも、テーブルも……。
まさるは、はるみの母親が、家具を選ぶ姿を想像する。
「まさるー!お風呂できたよ。入ろう!」
廊下からはるみが、弾んだ声で呼ぶ。
まさるが慣れない様子で、着替えを抱えて脱衣所に入る。
「俺、人の家の風呂入るの初めて。」
「俺も!自分の家に友達が泊まりにくるの初めて。」
はるみがウキウキと服を脱いでいく。
まさるは遅れないように自分も脱いで、はるみに続いて浴室に入る。
浴室に満ちている、爽やかな薄荷の匂い──。
はるみの楽しげなお喋りが、浴室内に響く。
短く返事を返しながら、まさるは黙々と体を洗う。
「まさるの足強そう。運動やってたの?」
はるみは髪をシャンプーで泡立てながら聞く。
「中学で陸上部だった。中距離走の。はるみは?」
「俺、中学は帰宅部。高校でテニス部だった。あんまり大会とか出てないけど。まさるは?」
「俺は、地元の大会で少しだけ成績とったくらい。」
「すっげー!いいなぁ。俺走るの苦手なんだよ。」
「俺は球技が苦手。」
白い湯気があがる浴室。
仲良く狭そうに、湯に浸かるまさるとはるみ。
はるみは機嫌良く歌を歌い、浴室には陽気な明るさが満ちている。
「まさる、また泊まりに来てね。これからいっぱい来て!」
大きな口を開けて笑うはるみ。
薄荷な香りを、まさるは吸い込む。
「──うん。」
本作は『仁王立ちヒーロー』(まさる視点)と対になる作品です
『仁王立ちヒーロー』はこちら
https://ncode.syosetu.com/n0451md/




