初めての夜
──はるみが大学を卒業した翌年。
週末の夕刻。
古い昭和風の、戸建ての貸家。あいの家。
玄関に、あいの揃えられたパンプスが一足。
玄関から続く、磨き込まれた古い廊下。
奥のキッチンからは、あいが調理している音が聞こえる。
ガチャガチャっと、玄関の鍵穴に鍵が差し込まれる音。
ドアが開かれ、はるみ、続いてまさるが入ってくる。
「あい〜!お邪魔しま〜す!」
はるみが廊下の奥に向かって、明るい声を出す。
まさるがドアを向いて、内から鍵をかける。
あいはキッチンからひょっこり顔を覗かせた。
「はるみ、まさる、いらっしゃい!」
まさるたちは洗面所に寄り、順番に手を洗う。
キッチン入り口の玉のれんを片手であげ、はるみが紙袋を差し出す。
「あい、これ。まさるとケーキ買ってきたんだ。後で一緒に食べよ……どうしたの?」
まさるも後ろからキッチンを覗き込む。
あたたかい色調の壁紙が印象的な、6畳のキッチン。
小さめの壁付けI型キッチン、作業台を兼ねた二人掛けのダイニングテーブル。
出入り口近くには食器棚と、──140Lくらいの小さな2ドア冷蔵庫。
その冷蔵庫の扉を開けて膝をついたあいが、片手にいくつも食材を抱えている。
「あはは。ちょっと今日、買い過ぎちゃって。うまく入りきらなくて……。」
あいはパズルのように工夫して入れようとするが、既にスペースはほとんど無い。
「よし、今夜はたくさん作るね。それで解決。二人とも、いっぱい食べていってね!」
あいは冷凍庫から保冷剤を取り出し、はるみから紙袋を受け取る。
「はるみ、ありがとう。今日のデザート楽しみ。」
「俺、一緒に作る。」
まさるが手を挙げる。
「俺も!」
はるみも一緒に手を挙げる。
あいの小さな笑い声。
夜。
居間に、あいとはるみの賑やかな話し声が響いている。
ちゃぶ台には空になった大皿、小鉢、ほぼ残りがない麦茶のガラスポット、ケーキのアルミとセロファンが残った皿。
食後しばらく経っても片付けに立ち上がらず、お喋りを続ける3人を、ぬくもりのある電球色が照らしている。
──着信音が鳴り始める。
あいはスマートフォンをポケットから取り出す。
「おばさまから電話!」
あいは息を弾ませて二人に告げ、着信を取る。
「はい。こんばんは、おばさま。お元気?」
はるみとまさるが見守る中、二人をニコニコ見返して、あいが話し出す。
「ええ、うん。大丈夫、今も実は一人じゃないの。まさるとはるみが遊びに来てくれてて……。ふふ!ちょっと待ってね。」
あいは、まさるとはるみに手振りで示し、二人が頷いてすぐに、スピーカー通話に切り替える。
「おばさま、こんばんは!」
「こんばんは。」
スピーカーから、女性の嬉しそうな笑い声。
通話後、居間は静かになった。
まさるが、気がかりそうにあいを見ている。
途中まで楽しく話していたあいが、苦しそうになったのは、あいの叔母が口にした、あいの父親の言葉を聞いてから。
『あいのひとり暮らしを心配してたわよ。今度、顔を見に行きたいって……。』
あいの叔母の言葉に、あいの顔から血の気が引き、まさるとはるみが会話を引き取ってとりなし、通話は終わった。
あいは膝の上で、両手をぎゅっと握り合わせている。
はるみが、後ろに手をついて上体を反らす。
「あい……。具合悪そう。大丈夫?」
はるみの言葉にあいが力なく笑う。
「うん……。」
「顔色悪いよ。心配だな。なぁ?まさる。」
「うん。」
「……。」
あいは目を伏せる。
「ちょっとこのまま帰るの心配だし、俺たち泊まる?まさる。」
「え?」
まさるがはるみを見る。
「……。」
あいが顔をあげ、二人を交互に見る。
「まさると俺は、一階にしかいないから安心していいよ。どう?あい。」
「……いいの?」
迷うように問いかけるあいに、まさるは頷く。
「うん。俺たちは絶対に二階に行かない。階段に足も乗せない。安心していいよ、あい。」
まさるは前のめりに畳に手をついて答える。
あいの両目がじわりと赤らむ。
「……ありがとう。そうして、欲しいな……。」
「いいよ!俺たちが片付けするから、もう二階で休んでおいでよ。」
真っ直ぐにあいを見つめる、まさる。
「寝坊してもいいよ。みんなで作ったご飯が、キッチンにまだいっぱいあるもんな。」
はるみの明るいもの言いに、あいが小さく笑う。
深夜。
二階の和室には、シンと静けさが満ちている。
背中を丸めて横を向き、小さく口を開いたあいの寝顔。
一階の和室には、男たち二人の若々しい寝息が響いている。
暗い玄関に、──この時間帯に初めて並んだ、三人だけの靴。
静かな街並みの中。古い戸建の屋根に、小さな三日月がかかっている。
本作は『仁王立ちヒーロー』(まさる視点)と対になる作品です
『仁王立ちヒーロー』はこちら
https://ncode.syosetu.com/n0451md/




