政治的判断
年が明けて二十日。
忙殺されていた神殿にも、ようやく穏やかな日々が戻っていた。
テテュスは巫女長のヴェルシアから呼び出された。
呼び出された理由を考えながら執務室へ入ると、そこにはメイド服の見知った顔。
「やっほー。新年、あけましておめでとう」
「遅い。あと半月もなく凍星月だぞ?」
相変わらず淡々と、気安い様子で手をヒラヒラさせるのはクリスカ。さっきまでの緊張を返して欲しい。テテュスは憮然として肩を竦めた。
そういえば、彼女は多勢に無勢だったが負傷の一つもしていなかったのだろうか。改めて疑問が湧き、元上官を凝視した。
「その分だと、名誉の負傷もなさそうだな」
「見詰めちゃイヤ」
無表情のまま身を捩れば、スカートの裾が揺れた。おどけた様子に、心配するだけ無駄だと悟る。
冗談めかしたやり取りをしていると、コホンと咳払いが一つ。この部屋の主、ヴェルシアだ。
「そろそろ本題を切り出しては?」
「ほいほーい」
胡乱げな視線もどこ吹く風。ビシッと挙手した後でテテュスに向き直る。
「今日、私が来たのはさ。大晦日にあった襲撃の、功績の分配についてなんだよね」
「私をメイド服で潜入させていた頃とは、随分と職分が変わったな?」
微かな違和感に、思わず片眉を吊り上げた。
参謀本部でも軍政部門でもなく、情報将校が対外折衝を担うなど。不自然過ぎて問い質さずにはいられない。
「まあ分かる。ワタシも、将軍に便利使いされてる感じが否めないし……」
「そうか。大変だな」
多忙に嘆息するクリスカに対し、共感を示す。確かに、ラクリマ基地内外の事件に彼女は必ず居合わせていた。いくら情報部が万年人材不足だからといって、偏り過ぎている。ゲズゴール将軍から重用されてるのが窺える。
「それで、軍はテテュスとどんな取引をしたいのか。説明してもらえますね?」
「私?」
「うん、そうだよ」
だから呼ばれた。クリスカが告げた軍の要求は一つだけ。狂信者発見の第一功を、情報部の手柄として処理する事への了承。
「…………理由を聞いても?」
テテュスはヴェルシアへ一瞥を向けた。巫女長は口を挟まず、静かに成り行きを見守っている。神殿と軍の上層部では、すでに大筋の申し合わせが済んでいるのだろう。
「じゃあ、ぶっちゃけるけど。テテュスは過去に色々やらかして、軍を虚仮にしてるって見られてるからね。あ、私じゃなくて、将軍以外のお歴々から」
さもありなん。飛翔型試作機の救助や墜落事件について、テテュスは軍へ満足な弁明をしていない。上層部へ阿るなど論外だが、彼らの心象については考えたこともなかった。
今回の話は、テテュス一人の名誉をどう扱うかではない。今後も共闘を続ける二つの組織が、組織の論理を厭う厄介な功労者を、どこへ収めるかという相談だった。
軍を公然と虚仮にした人間が第一功を立てた。それを正当に称えれば軍に遺恨が残り、功績を奪えば神殿に不満が残る。放置すれば、その蟠りは次の有事にまで持ち越される。
魔界と接する境界の守護において、両者が袂を分かつなどあってはならない。
「まあ、構わないが」
「ホント? 話が早くて助かるよ」
クリスカが僅かに息を緩める。武功が誰の名で記録されようと、無辜の民を守り抜いた事実は変わらない。
しかし話は終わらない。軍と神殿。双方がこの一件を穏便に収めたいと考えているのなら――
「見返りは、ちゃんとあるんだろうな?」
元上官の呼吸が一瞬止まった。
軍は第一功を欲しがり、神殿はそれを譲る用意がある。
ならば、相応の代価を差し出すのが筋だ。
「少しは、政治の機微ってヤツが解って来たみたいだね?」
「ああ。これまで揉まれて来たからな。色々と」
クリスカの表情は変わらない。だが、双眸から戯けた色だけが消えた。
政治の機微という単語が、喉の奥にかつての苦みを蘇らせる。
弾劾の席では、己の言葉が恣意的に歪められても、正しささえ示せば通じると思っていた。その未熟さの代償を、眠れぬ夜ごとに噛み締めてきた。
以前の自分なら、願いへ値札を付けることを卑しいと嫌っただろう。
けれど正しさだけを握り締めた末に、何一つ取り戻せなかった。
今度は違う。以前なら覚えなかった重みが胃の腑に乗る。とはいえ肚底の不快に背を向ければ、また誰かに後始末を押しつけることになる。その誰かは恐らく、自身の幼馴染。
軍が欲しがる功績に価値があるのなら、その代価を払わせる。
脳裏に浮かんだのは駆け引きの文句ではない。かつて袖口へ顔を埋め、小さな身体を預けてきた温もりだった。
かくして、テテュスは神霊技術開発研究局への転属が決まった。
〇 〇
年が明けてひと月。中央穀倉地帯にも根雪が積もり、王城の屋根では陽光を受けた雪が雫となって軒先から落ちていた。
「まったく。話題に事欠かない御仁ですね……」
靴音を響かせて回廊を歩く白騎士、ナイジェルは上がってきた報告に対し苦々しく顔を歪ませる。
大晦日の神殿襲撃は、すでに公国全土へ知れ渡っている。王族も対応に追われる中、神殿枢要に近い実家を持つ彼のもとへは、ダグアーラより先に情報が届いていた。
テテュス・アハティアラ。
殿下が彼女へ親愛を抱いていることは知っている。少年期の美しい記憶として留まるなら、それでよい。
だが、組織の論理を受け入れず、たびたび軍と衝突する人物が、王族の傍らに立つことは望ましくない。
まして、再び英雄として担ぎ上げられれば、殿下との距離はさらに縮まる。
今回の情報は、その関係を正す好機だった。ナイジェルは私室の扉を叩いた。誰何の言葉が返って来る。
いつもと変わらない穏やかな声。少なくとも、まだ報告は届いていない。
「ナイジェルです。お伝えしたいことがございます」
「分かりました。入ってください」
扉を開けると、机上の書類からダグアーラが顔を上げた。ナイジェルは一礼し、すぐに本題へ入る。
「凍結を命じられた幼精搭載式飛翔型の研究についてです。別の管轄下で、形を変えて継続されている可能性がございます」
ダグアーラの表情が曇った。
「どうして……」
机上で握られた拳が震える。
別に殿下を傷つけたいわけではない。
だが、真実を知れば、誰を信じるべきかを自ら判断できる。そのためには、現地へ向かってもらう必要があった。
「……確かなのですか」
「神霊技術開発研究局に奉職する身内からの情報です。信憑性は高いかと」
嘘は口にしていない。誰が研究局へ向かおうとしているのかを、まだ告げていないだけだ。
「殿下御自身による、抜き打ち視察を進言いたします」
すべては殿下のため。そう胸中で唱えながら、ナイジェルは深く頭を垂れた。




