霧が晴れたら
唇の血が、まだ熱い。
銃剣を握り直し、テテュスは強化鎧と向き直る。後方には市街地が広がっている。退く場所は、もうない。
勝機はある。問題は、どうやって次の一撃を凌ぐか。
<何かを狙っているようだが、無駄な努力だな>
嘲笑を含んだ声を吐き棄て、大剣が振り抜かれる。刀身から漆黒の斬閃が迸り、凍えそうな夜陰を斬り裂く。長銃の剣を振り、斬撃魔法で相殺。白と黒が空中で溶け合い、白光が瞬く。その奥で、一際大きな魔力の胎動を察知。来る。そう悟った次の瞬間、側面から轟風が襲った。テテュスは地へ伏せ、頭上を通り過ぎる風圧に耐える。
顔を上げた時点で、大剣が頭上を塞いでいた。地面を蹴り、振り下ろされる刃を擦り抜けて敵の頭上へ躍り出る。敵頭上から斬撃。銀と漆黒が互いに牙を立てた。
だが拮抗しない。長銃を握る両腕が骨まで痺れ、テテュスは反動を身体のバネへ変えて間合いを切った。
背後には、倒れたヴェルンダリとヴェブロフトが沈黙を貫いている。
漆黒の奥で、幼精の気配が擦り潰されている。リョースの白い毛並みが、一瞬だけ脳裏を過った。仲間を傷つけ、無垢な命を喰らう。その刃を、これ以上誰にも届かせるものか。
腹の底の熱が、白く灼けるほど凝縮した。
強化鎧が大地を踏み砕き、一足で間合いを潰す。唸る風が頬を殴った。それでも呼吸は乱れない。胸の熱だけが、足裏と指先へ流れ込んでいく。
強化鎧が大剣を引いて腰だめ。平突きが来る。銃撃は間に合わない。だから、前に出る。
身を伏してスライディング、最短距離で背後を取った。
四肢の噴射は、内側に溢れる瘴気を逃がしている。一つでも潰せば自壊は必至。敵が反転するその刹那、右脚の噴射口へ火炎弾を叩き込む。紅蓮が装甲の内側で爆ぜ、拡張運動肢を根元から引き千切った。
<しまっ――>
紅蓮の炎が空に轟く。銃身で身体を庇うも、衝撃は殺し切れない。狂奔する圧力で身体が浮いた。
「がはっ」
吹っ飛ばされたテテュスは二度、三度と地面を転がる。肺から息が抜けた。口内へ広がる血の味を噛み締める。
まだ立てる。立たなければ終わる。膝を突き、長銃を杖に片膝を着く。敵は追って来ない。
<おのれ、この私を地べたに這いつくばらせるなど……っ>
倒れ伏した強化鎧は動けない。一基を失ったことで出力の均衡が崩れた。残る三肢の翼が不規則に脈打ち、行き場を失った瘴気が装甲の内側へ逆流していく。
漆黒は外へ膨らまず、装甲の継ぎ目から内側へ潜り込んだ。巨体が一度だけ痙攣し、断末魔ごと黒い球体に噛み潰される。
そこにあった筈のものは塵一つ存在せず、静寂だけが取り残された。
戦場に立ち込める霧の内部では瘴気も消え失せ、皮膚が粟立つ不快感も立ち消えた。深呼吸すれば、空気の通りが良いのに気づく。
勝った。胸の底に遅れて熱が満ち、血の味を含んだ息が笑いになりかけた。
けれど、消えたのは瘴気だけではない。
強化鎧の奥で擦り潰されていた幼精の微かな気配すらも、どこにも残っていなかった。
気道の奥が重い、まるで石を呑み込んでしまったかのように。引き金へ掛けていた指だけが、今になって強張る。
テテュスは勝利の息を吐きながらも、長銃を握る指だけは緩められなかった。
(でも、他に何ができたと……)
撃たなければ、戦友は死んでいた。神殿にも狂信者たちが雪崩れ込んで蹂躙の限りを尽くした事だろう。撃つよりほかの選択肢は無かった。
判断は間違っていない。それでも、正しかったという言葉で、消えた命まで呑み込むことはできなかった。
白い毛並みを揺らし、少女たちに懐く相棒が脳裏をかすめた。
戦いの間、胸を灼いていた熱が急速に冷えていく。
言葉にはできない。まだ、何も。
だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「そうだ。クリスカ――」
勝利の熱が胸から引いた。
霧の中で孤軍奮闘していた元上司の救援が先。耐久限界の近い長銃を背負って駆け出すと、白い紗幕の向こうから足音が近付いて来る。
揺らめく霧の中に、人影が浮かんだ。薄い刃のような殺気が皮膚を撫でる。テテュスは足を止め、呼吸を殺して銃口を持ち上げた。
「終わったみたいだね」
「クリスカ!」
聞き慣れた声だと理解した途端、銃口が下がった。同時に、膝の裏がほんの少しだけ緩む。
霧が薄れていく中、慌てて駆け寄る。目立った外傷はない。ただしメイド服は鮮血と泥に塗れ、焼けた鉄と血の臭いをまとっていた。
「無事でよかった。あの時は、生きた心地がしなかったぞ」
「それはお互い様じゃないかな」
確かにそうかもしれない。生身で単身、兵器二体を相手取るのは無茶が過ぎた。救援が無ければ確実に死んでいた。
互いの無事を確かめた後、テテュスは倒れたヴェルンダリとヴェブロフトへ視線を向ける。
「クリスカ、搭乗員たちの救護を手伝ってくれ」
「大丈夫。救援なら、もう来てるよ」
クリスカが東の空を指差した。
<テテュスちゃん!>
その声を聴いた瞬間、胸の奥にじんわりと温もりが宿る。
先ほどの白亜と空色の四機が降下して来る。その後方では地鳴りが連なり、鈍色のヒュルンドレキが雪煙を上げて正門前まで迫っていた。テテュスはようやく長い息を吐く。
激戦でひび割れた石畳に長銃を置き、救護へ走った。
コックピットを強制開放すると、アルガスト少尉が苦笑を浮かべていた。
「お互い、ご無事で何よりですな」
「ああ。まったくだ」
互いに言葉を交わし、ふっと安堵を漏らした。




