白光と昏き翼
焼けた鉄の匂いが、血の味と一緒に喉へ張り付いていた。
霧と瘴気が混淆する中。這い回る嫌悪感で皮膚が粟立ち、集中が乱れる。大太刀を構えながら、テテュスは苦虫を噛み潰して顔を歪ませていた。
雪が降り、白霧が夜陰を塗り潰す。猛り狂う斬撃に追い立てられ、地砕の衝撃に足元をすくわれた。肩から地面へ転がった際に唇の裏側が裂けた。
身を切るような寒さの中、肩を弾ませ生温い血を噛み締める。
テテュスはストロベリーブロンドの髪から銀光を発して周囲の霧を染め上げ、自分の倍以上もある敵と対峙していた。
(厄介だな)
強化鎧は飛翔鎧の亜種というより、機兵の方が近い。そして目の前の敵は、機兵並みの魔力を内包していた。明らかに過剰な魔力。繰り出される斬撃はまさに機兵のソレ。
<存外、紅銀の巫女も他愛ないな>
侮蔑の言葉と共に焼けた土を抉り、強化鎧が踏み込む。背中に郭壁を背負い、後がない。振り上げられた刀身は、闇よりも漆黒に染め上げられていた。
喰らってはいけない。本能のままに飛び退き、壁を駆け上がり宙返り。敵頭上に躍り出る。
(これで――)
迸る漆黒が夜陰を塗り潰す。敵機兵の銃撃による強襲。咄嗟に身を翻し回避。駆け抜ける術式に瘴気と似た気配を感じ、総身が震え上がった。
しかし、戦慄してる暇もない。地上に目を向ければ、大剣を握る敵が待ち構えていた。満を持し、渾身の力で横薙ぎ。漆黒の奔流が眼前に迫る。
<終わりだッ!>
「誰がッッ!」
大太刀の術式、【光刃】を最大展開。眩い白銀の光が闇より深い漆黒と拮抗。だが、膂力で敵うはずも無い。気合と共に振り抜かれ、テテュスは空中に弾き飛ばされた。歯を食い縛って翻身、壁の上に降り立つ。
けれど、このままでは射撃の良い的。銃口を向けられ、飛び出そうとしたその時。地を揺るがす機巧の足音が聞こえた。
「アレは――」
駆動音を轟かせて向かって来るのは、両肩に大楯を懸架する鈍色の重厚な機体。短鎗を携えるヴェルンダリが、開け放たれていた正門より戦場に参上した。
予期せぬ参戦に警戒し、攻撃を躊躇う機兵と強化鎧。空気が張り詰める中。響いて来たのは、聞き覚えのある野太い声。
<アハティアラ中尉、ご無事か⁉>
「アルガスト少尉⁉」
かつて紹介された、ミレイユの副官。これで二対二。救援にようやく人心地着けた。
そこへ、漆黒の銃弾が盾役を襲う。晦冥がフレア状に広がり、防御結界に凶悪な爪牙を立てる。魔力が飛散して爆風が巻き起こり、テテュスを殴りつけてくる。目を開けてられない。石畳を踏み締め、飛ばされないようにするだけで精一杯。
<この威力。まさか――>
核心を言い終える間もなく、大剣の強化鎧が斬りかかる。防御結界と漆黒の刃が激突し、目が眩むような紫電の散華。生身で近付けば感電死しかねない。
<アハティアラ殿。今の内に機兵を!>
「頼んだぞ!」
膂力で伍する強化鎧を前に、少尉の声には余裕があった。テテュスはこの機に乗じ、結界の起点たる敵機兵に向かって疾駆。身体強化を施し、迅急の運足で壁を降りると旋回して徐々に接近。牽制射撃を横っ飛びで避け、這うような前傾姿勢で照準を付けさせない。
焦れたように、機兵は至近弾で地面を発破。互いの視界を塞ぐ。好機。大きく跳躍、爆風圏内を脱し遥か頭上から落下しざまに一閃。結界に阻まれた。
「斬り刻む……ッ!」
琥珀の瞳に闘気を宿し、剣舞と共に最大限魔力を込めた【光刃】の斬閃を浴びせ続ける。射撃武装でテテュスの相手は務まらない。完全に独壇場。
それでも、防御壁を削り切れない。大太刀の耐久限界が迫り、焦燥が首筋を焦がす。あと一押しを切望した。
背後で響くのは、ヴェルンダリの防御結界が敵刃を受け止める雷鳴。少尉は保っている。この状況で自分が匙を投げる訳にはいかない。
そう思った直後、金属の悲鳴が鼓膜を刺した。刃を受け止める硬い衝突音ではない。大楯ごと、機体の骨格を圧し潰す音。振り返る余裕はない。それなのに背中が冷え、ざらつく怖気が走った。
魔力が大きく跳ね、視界の端で漆黒の何かが吹き出した。明らかに空気が変わるのを肌で感じた。
<貴様も、パル——>
少尉の声が途切れる。突如。地響きが轟き、立っていられず片膝を着く。震源地に振り返れば、濛々《もうもう》と土煙を上げた鈍色の巨体が倒れ伏す。短鎗は穂先が破壊されて地面を転がり、取り落としたナイフが地面に突き刺さっていた。
まさしく瞬殺。絶句しながら凝視する。倒れ伏した鈍色の機体は、ぴくりとも動かない。
(少尉……ッ)
生死を確かめに走りたい。だが、足を向けた瞬間に自分も終わる。奥歯を噛み、テテュスは敵を見据えた。強化鎧の拡張運動肢から漆黒の気流とも言うべきものが吹き出している。それはまるで翼のようで、冷たいものが背中を這い上がり、うなじの毛が逆立った。吐き気すら込み上げて来る。
<この程度の相手に、コレを使わねばならんとはな>
忌々《いまいま》しげに眉を顰めているのが容易に想像できた。機兵を軽く凌駕する出力、強化鎧では、魔導カートリッジによる魔力増強でもありえない。幼精という単語が頭に浮かぶ。
結界のみならず、通常兵装にまで。一体、どれだけの――
<さて。再び二対一だな>
「クッ⁉」
漆黒の斬閃が夜気を斬り裂く。跳躍で大きく後退すると、結界の起点を背負う都市強襲型との距離が大きく空いた。眼前に立ちはだかるのは、四肢から漆黒の翼を生やす強化鎧。
クリスカの姿は霧の彼方。少尉の救護など、望むべくもない。
<そこの巫女。いい位置取りだ>
「は――――?」
空から響く拡声魔法。見上げると、白亜と空色のカラーリングは軍のヴェブロフト。西の空に浮かび、隊列を組む四機は火砲を機兵に集中。機兵が応射する間もなく、灼熱の炎塊が殺到。最後の一押しどころか、破砕の弾丸は結界を貫通。爆ぜる猛火が機体を包み、黒煙を降雪の空に吐き出していた。
結界の起点が壊されたことで周囲の瘴気が霧散し、皮膚の上を這い回る不快感が和らぐ。ようやく、呼吸がしやすくなった。彼女たちを見ていると、カルシラたちの顔が浮かんだ。
<もはや、生きて帰れぬ事を知れ>
<なっ――>
憤怒に塗れた声。強化鎧は沈み込むと一足飛びで飛翔鎧の頭上に迫り、一機を殴打。有翼の鎧は砲弾の如く地面と激突。雪と土砂が弾け飛び、土煙が幕を下ろす中。悲痛な叫びがホムラ、と呼んでいた。
「おいっ 大丈夫かッ⁉」
駆け出すテテュスも叫んでいた。塵埃を掻き分けて近付くとやがて視界が開け、目に飛び込んで来たのは今にも振り下ろされそうな漆黒の刃。
倒れた鈍色の機体が一瞬、視界の隅に映り込む。振り返るより先、身体が勝手に動いた。魔力を練り全身に漲らせ、燦然と輝く銀光を纏って瞬時に間合いを潰す。飛翔鎧を足蹴にする相手の懐から一閃。耐久限界など、頭の中から消し飛んだ。
<ぬうぅッ!>
「オオオオオオオオオオッッ!」
刀身が限界を迎えて粉砕。粒子の如く飛散。術式も崩壊し魔力が暴走。輝く粒子を放ち白炎が咲く。眩く白熱する視界の中、腹の底から熱が突き上げてきた。
怒りとも違う。もっと深い場所で燃えている何かが。それに衝き動かされるまま、迫り来る爆風を己が内から放出する魔力で押し退けた。
敵は既に爆発圏内を脱出しており無傷。それでも構わない。武器の調達ならすぐに済む。
「すまんが借りるぞ」
上司にどう言い訳するかを考えながら、物言わぬヴェブロフトから長銃を拝借。少し手に余るが仕方ない。無いよりマシだ。
刃部の【光刃】を展開し、再び相手に向き直る。
結界が弱まり、不快感が和らいだ反動か。ふいごで猛る炎が如く、心が激しく燃え滾っていた。もう誰も目の前で奪われるものか。
接近の予兆を感じ、テテュスも渾身の力で踏み込む。限界まで加速された刃同士が噛み合う。夜陰と霧を斬り裂く白と黒。致命の斬閃は拮抗するばかりで決め手に欠けた。
互いの刀身を弾いてから二合目。雪を巻き上げながら身を沈めると、刀身が頭上を通過した。耳元で唸る暴風。髪が数本、宙へ舞う。
直後、踏み込み。敵の懐へ滑り込む。腰を切り一閃。甲高い金属音。刃は脇腹の装甲を抉って亀裂を走らせる。
(硬い……!)
火花が夜へ散るが傷は浅い。相手も大剣を翻し、漆黒が視界を塗り潰す。咄嗟に銃身を引き戻し銃撃。相手の刀身を弾き飛ばす。テテュスは反動を逃がして旋回しながら思考を走らせる。強化鎧は仰け反り隙ができたが、正面戦闘では分が悪い。切り結ぶ中、先程感じたような焦燥が胸に燻る。
劣勢に胸中が炙られる状況下において逆に、生じた疑念が刃を交えたことで確信へと変わった。
あれは、魔力が翼を生み出しているのではない。溢れ出す力を、外へ逃がしている。
そうしなければ、耐えられないのだ。あの機体自身が。
なら、やることは一つ。テテュスは唇の血を舐め、銃剣を握り直した。




