任務の成否
水面が閉じた。
轟音も爆炎も既に遠い。残ったのは、兜の中で反響する浅い呼吸だけだった。
氷河湖は、氷河が削った微細な砂礫が堆積している。嵌まったらまず出られない。
泥濘化した黒い湖底へ沈みながら、カルシラは歯を食い縛る。
(そういえば――)
脳裏に浮かんだのは、あの理不尽な訓練だった。
まさか、空を飛ぶ兵器で湖に沈められるとは思わなかった。
『飛翔鎧は飛揚結界のお陰で、すぐには水没しない』
行動時間、およそ二十分。当時は嫌味のように思えた教えが、今は命綱だった。
笑いそうになる。こんな時まで、自分は隊長の訓練を思い出している。
いや違う。あの人は、この瞬間のために教えていたのだ。
深く息を吸う。焦るな。
(そうだ。隊長なら、ここで慌てない)
状況を見ろ。姿勢を整え、まずは機体を確認。左翼の出力は半減。飛行は可能。武装も生きている。なら、まだ終わっていない。
今から浮上し、二人に元気な姿を見せるのは簡単。けれど、それでは何も変わらない。
撃って、避けて、削られて。その繰り返し。消耗戦なら、先に音を上げるのは自分たち。それでは任務が失敗する。であれば、どうするか。
水中から見上げる結界の基部はまるで無防備だった。赤黒い光が照らすその周囲には、四つの浮遊物。魔力反応から、防御結界の発生装置だと分かる。
結界は水平方向に展開し、銃口はどれも空へ向いていた。湖底を警戒する者は現在、一人もいない。
「だったら――」
潜行し、結界基部の底面に銃口を突き付ける。距離はあと一歩。
「貫け」
放たれた【劫火】が水中を白く灼き、爆炎が球形に膨れ上がった。カルシラは衝撃で吹き飛ばされる。だが、障壁はまだ砕けない。赤黒い光は脈動を続ける。基部の直下には罅すら入らず健在。貫通には程遠かった。
まだ来ない。十、九、八。残り時間を数える余裕はなかった。ただ、肺の奥がじわじわと狭くなる。
ここで壊せなければ、次はない。敵はまだ気付かない。魔物の気配もない。募る焦燥を噛み潰し、再び翼で湖水を叩く。今度は銃口を直接基部へ押し当てた。二発目。撃鉄を引き絞る。
「いい加減、ブッ壊れろッ!」
至近弾。闇夜に迸る赫火。結界は崩壊し、赤黒い明滅は魔力を暴走させるも火柱が焼尽。猛る炎が雪夜に轟く。
湖底の泥濘が震え、それが収まると既に反応は消失。結界の起点は燬砕した。
カルシラは術式の反動で後方に弾き飛ばされていた。
「……やった」
小さく拳を握る。雪の代わりに、炭化した残骸が降って来る寒々しい光景の中。胸の奥だけがじわりと熱かった。しかし、喜びは一瞬だった。
水面を隔てた向こう、二つの魔力反応が急激に向きを変える。起点の破壊に気付いた。
黒い水を裂き、二機の飛翔鎧が湖へ飛び込んでくる。気泡を散らし、一機は大楯をかなぐり捨てて銃を構え、もう一機は盾の陰から銃口を覗かせた。逃がさず仕留めるという殺意が、水を伝って頬を刺した。
(速い――)
機動力が半減した以上、このままではただの的。たとえ応戦しても、防御障壁を削り切る前に殺される。
なら、勝つ必要はない。
任務は終えた。生きて戻れば、それでいい。
カルシラは銃身下部の固定具を外す。剣刃に魔力を流し込む。
白銀の【光刃】が湖底を照らした。狙うのは敵ではなく、その視界。
「行けッ!」
投擲。輝く刃が一直線に走る。それを銃撃。光が瞬き、暗い湖底が漂白された。
その隙にカルシラは緊急浮上。翼で湖水を叩き、一息に水中を離脱した。
黒い湖面を突き破り、冷たい夜気が兜を打つ。雪が煙る中、爆炎が咲いた。
まだ終わってない。レミアも、ヴァネッサも、まだ戦ってる。カルシラは長銃を握り直し、レミアを執拗に追い立てる敵の排除に向かった。
「二人とも!」
<カルシラちゃん、無事なのっ⁉>
<戦えるんでしょうね⁉>
敵機を追いかけるのはヴァネッサ。牽制し、レミアから敵を引き剥がす。
彼女もまた反転し、銃を構える。
「合せて!」
<うん!>
<キモいのよ、このクズ!>
斉射。三次元の十字砲火を喰らい、盾を捨てていた敵は爆炎に焼かれた。装甲を炎に炙られながら、黒煙を吐いて落下。水柱が上がるも、湖面が隆起することは無かった。魔力反応も消えたまま。
降りしきる雪が音を掻き消す。三人はようやく合流し、互いの無事を確認した。
<倒したの……?>
<多分……>
「でも、まだ終わりじゃない」
期待と懐疑が混ざった呟きを、カルシラが戒める。結界を無効化するためにも、残りの起点も破壊する必要がある。南に視線を向ければ、不気味な光点が二つ。湖上にまだ残っていた。
赤黒い明滅は誘蛾灯。だが、これ以上の伏兵も増援も無いと信じたい。それでも、警戒は怠らず万全を期す。
二人に呼びかけようとした、その刹那。頭上から急接近する魔力反応が一つ。
迫る大楯。さっき水中で仕留め切れなかった一機だ。合流した三人の油断を狙い、今度こそまとめて潰しに来た。落下速度を相乗しての逆落とし。這い寄る殺気が、背中に氷刃を突き刺す。散開。けれど、ヴァネッサに敵の砲火が着弾。風を纏っていた片翼は燃え尽き、背部の円環も壊れて浮力を喪失。速力が半減したカルシラでは、墜落する彼女を助けることもできない。
<ヴァネッサ!>
「このォ!」
救助に向かうレミアを援護射撃で支援。大楯が飛んで来ると回避せざるを得ず、間隙を縫って敵の銃口が湖面付近の二人に照準を合わせていた。
「やめろ……」
蒼白顔で敵に狙いを定める。ところが、長銃を射抜かれて爆砕。バランスを失い吹き飛ばされた。
(いやだ。いやだいやだいやだいやだ……)
それでも、体勢だけは立て直していた。誰かが二人を助けてくれますように。一縷の望みを託して。手を伸ばして翼を打つ。機体は進まない。湖面までの距離が、どうしようもなく遠い。
戦場に目を向ければ、紅蓮が夜を裂いた。敵影が爆炎へ呑まれる。結界は用を成さず、敵は力なく墜落していった。
射線を辿ると、遠くの方で僚機が静かに銃口を下ろした。拡声魔法が夜に響く。
<大丈夫か?>
短い言葉はムルカ。彼女の後方に目を向ければ、中隊の姿はない。戦闘は既に終了しており、雪で霞む空は静謐を取り戻していた。
それから、彼女が第三小隊を引き連れカルシラと合流。傍目には、さしたる損害はなさそうだ。改めて、彼女たちの練度の高さを思い知る。
<三人とも下がれ。後は私たちがやっておく>
「すいません」
撤退を命じられ、忸怩たる思いで歯噛みする。
起点は壊した。だが、最後まで自分たちだけで押し切れなかった。
挙句、ヴァネッサまで被弾させ、結局は先輩たちに尻拭いをさせている。自分の不甲斐なさが憎くてしょうがない。
<いいのよ。無事でいてくれたらそれで>
優しい声音はホムラ。カルシラたちの無事を確かめた第三小隊は、残る起点を一息に爆破して回った。幸い伏兵はなく、破壊は滞りなく遂行された。
カルシラは高度を落としてレミアと合流、ヴァネッサに肩を貸して高度を取り、北東部の兵舎を目指す。まずは結界圏内に入ることが先決。
「ごめん、ね……」
「ううん。無事でよかった」
満身創痍で口にした謝罪に、思わず胸が締め付けられた。だからこそ、頭を振って生還を労う。本当に、死ななくて良かった。
結界内に入り、霧に覆われた演舞台を眼下に望めば、女神と巫女の歌声が聞こえる。それに熱狂する観客の声も。
「まったく、いい気なものね」
「あはは。まあ、気持ちはわかるけどさ」
ぼやくレミアに賛意を示す。でも――
「守ったんだよ。アタシたちで」
もし、敵飛翔部隊を好きにさせていたら今頃、会場は阿鼻叫喚の地獄と化していただろう。それだけは確かだ。
「うん……」
レミアは首を揺らし、しみじみと呟く。
やがて地上に降り立ち、ヴァネッサを医療班に預けると緊張が一気にほどけた。足先から、重さが戻ってきた。身体を締め上げる虚脱感。相方を見れば、彼女は銃を杖代わりにしていた。
任務は、まだ終わっていない。それでも、生きて戻った。
カルシラは震える指を曲げ、ゆっくりと拳を握った。




