初陣
兜の中は、密かな呼気であっても反響する。
とっつきにくい。それがテテュス・アハティアラ中尉の第一印象だった。
でも違った。
あの人には友人がいたし、慕う従者もいた。誰かを贔屓することも、逆に遠ざけることもない。先入観もなく、公平に他人を評価する人だった。
彼女にとってカルシラは、忌避すべき汚点でも無ければ侮蔑の対象でもない。ただの、一人の部下だった。
その当たり前の扱いをこそ、カルシラがずっと欲しかったもの。最初にそれを与えてくれた。
(だからこそ、許せなかった)
今でも、あの日のことは覚えている。
墜落事件の責を負わされ、分隊長を解任されたこと。
意見具申。解任当日はレミアとヴァネッサを連れ、三人で執務室の扉を叩いた。
彼女は三人を見ながら、肩を竦める。
『お前たちが分隊長に似なくて何よりだ』
『どういう意味ですか?』
怪訝そうにレミアが問う、少佐は小さく息を吐いた。
『ちゃんと、周りを頼れという事だ。好悪の感情があろうと、我々は仲間だ』
あんな風になるなよ。少佐は釘を刺した。その言い分も理解はできる。だが、納得はできない。奥歯が軋んだ。
テテュスを一人に追い込んだのは誰か。一体誰が、あの人を評価したというのか。少なくとも中隊の人間ではない。
(隊長の教えが間違っていなかったって、証明してみせる)
飛翔鎧に身を預ける。兜の内側で呼吸が反響した。
初陣の日。日が暮れた湖上は凍えるほど冷えているはずなのに、胸骨の裏だけが熱かった。
<にしても、ホントにあるのかしら?>
襲撃なんて。呑気な声が念話越しに響く。ホムラ・ガルヴァン少尉。焦げ茶の巻き髪と白い角を持つ有角人の先輩は、どんな時でも肩の力が抜けている。
<元上官の巫女は、断言していたのか?>
続いたのはムルカ・ブリンガルド中尉。新たな隊長の声は落ち着いていた。
「いいえ隊長」
カルシラは首を振る。
「ですが、テテュス隊長は決して下手な事は言いません」
即答だった。いつも冷静な彼女が、血相変えて神殿に向かった。自分たちには見えていない何かを、あの人だけは見ていた。
「少なくとも、私はそう思ってます」
<信頼してるのねぇ>
ホムラが笑った。カルシラも小さく口元を緩める。
「……まあ、命を預けていましたから」
素直に認めるのが恥ずかしくて、声のトーンを落とした。通信越しにホムラが笑みを零すのを感じ、ますます火照る頬を無視して別の事に意識を向ける。
テテュスから忠告を受け、飛翔鎧に乗ってから既に二十分は経過していた。年越し神楽も始まってそろそろ懐疑の念が広がり、気が緩む頃合い。
その時だった。
<各員。応答しろ>
コトコヴァ少佐の声が念話に割り込む。弛緩した空気は一瞬で霧散し、カルシラも耳を傍立てた。
敵は結界によって神殿周辺を隔離する公算が高いという。神殿の情報では起点は八か所。同時攻勢が悪手であることくらい、新米でも分かる。
<まずは状況確認だ。偵察部隊、進発しろ>
了解。別小隊の飛翔鎧が夜空へ躍り出る。
繊月が夜の雲間を裂いていた。淡い銀光を受けながら飛ぶ飛翔鎧は、まるで流星みたい。
その姿を見上げていると、首筋の産毛が一本ずつ立っていく感覚があった。
嫌な予感がする。緊迫したテテュスの顔を思い出し、胸の奥がざわついていた。
そして、先行した偵察部隊から念話が入る。努めて冷静な、静かな声だった。
<東北東部より、未確認の大部隊を確認! 都市強襲型の竜機兵ですっ!!>
喉の奥が冷えた。呼吸だけが、妙に遠い。
悲鳴にも似た声に、カルシラの喉が鳴る。僚機の恐慌が伝わり、白霜が首筋を撫でた。
テテュスの予感は正しかった。
飛翔鎧、二十機以上。
地上戦力、推定百。
上がって来る冗談みたいな数字に回線がざわつき、誰かが息を呑む音が念話越しに聞こえた。
敵の陸空部隊は北部村落へ向け前進中。神殿北部への展開が予見でき、少女は思わず拳を握り締める。
カルシラたちの待機場所の横。急報を受けた北東部の兵舎前では、整備兵たちが慌ただしく走り回っていた。格納庫の扉が開き、神殿所属の盾役が次々と起動を始める。倉庫内の空気を震わす音が、胃の腑にまで響いた。
<狼狽えるな。我が精鋭たちよ>
一方で、コトコヴァ少佐だけは静かだった。しかし、突然の魔力感知と念話を襲う砂嵐。駐屯部隊全体に緊張が走った。
「一体、なにが……?」
仰ぎ見ても、空の色は変わっていない。なのに、繊月だけが妙に暗い。誰かが夜空の上から薄布を一枚掛けたみたいだった。
動揺が広がり怒号が上がる中。神殿全体に魔力反応。くすんだ薄布が剝がれていくような光景を見た。
『今、敷地内には結界を張りました。安全圏の確保は、こちらでしておきます』
声が届いた。ただ、それだけだった。張り付いていた不安が、雪みたいに溶けていく。
思考より先に、身体が理解していた。守られている。それが人ではなく、神によるものなのだと。首筋の産毛が再び粟立った。
ミストルディス。この神殿を鎮守する土地神。神楽の最中であるはずなのに、その声は少しも乱れていない。静かで、冷たく。どこまでも澄んでいた。
神とは、こういうものなのか。カルシラは初めて畏怖というものを覚えた。
『結界も、夜明けまで防ぎ切ることは叶いません。だから――』
その先を、ミストルディスは言わなかった。
それでも分かる。自分たちに託したのだ。
戦うことを。
守ることを。
女神は今も歌い続けている。
民衆を安心させ、結界を支え。
この夜を押し留めようとしている。
できるかどうかではない。最初からやると決めている。
胸の奥が熱くなる。初陣だというのに、不思議と恐怖は薄れていた。
<前線に霧を張ります>
<ガイスル中尉?>
声の主は最新鋭機。コトコヴァ少佐の懐疑に対し、ミレイユは北東部に進軍し【レイクヤルヴィルル】を展開するようだと告げた。しかし、勇み足だとして許可しない。
<許可を待てません。霧が遅れれば北部が抜かれます>
<待て中尉。まずは――>
<隊長!>
制止を待たず、ミレイユは機体を跳躍させた。直掩機らしき鈍色の盾役が慌てて西門へと向かう中、割り込んで来たのは偵察部隊。引き揚げて来たらしい。
コトコヴァ少佐が尋ねると、結界を展開した直後に敵陣が郭壁に取り付いたとの事。そして入れ替わるように、別の声が念話に響く。
<北門は我らに任されよ>
声の主は神殿守護の飛翔部隊。彼女たちは白亜の風花を駆り、空を覆う霧の中に飛び立った。他方、地上では同じく白亜の盾役機巧を唸らせ城門を潜る。
<我々飛翔部隊はこれより、神殿北西部に展開。そこで中隊各位、今から作戦を伝える>
肩を竦める吐息の後。コトコヴァ少佐が、中隊の取るべき告げる。偵察の情報を頼りに、手薄そうな北西部から多勢で結界の起点を虱潰しに破壊して回る。
<恐らく、大本の一カ所を叩かない限りは結界も維持されたままだろう>
だからこそ、機動力に勝るカルシラたちが戦場を駆け回るべき。彼女はそう結論付けた。
<伏兵の可能性は?>
<関係ない。寧ろ、望むところだろう?>
ムルカが疑問を差し向ければ、中隊長殿は挑発を返す。ふてぶてしい顔が目に浮かぶようだ。
<心配せずとも、次善策は考えてある。ヴォーランデル少尉、ナルキス伍長、シーデーン伍長>
「はい」
<はい?>
<は、はいっ>
中隊長殿はカルシラ、レミア、ヴァネッサを指名。名を呼ばれてカルシラは背筋を伸ばした。
<主力が伏兵を引き受ける。その間に、手薄な起点を叩け>
<え、それって――>
<ああ。交戦は避けろ。見つけたら報告。勝てると思うな。任務を優先しろ>
いきなり責任重大だ。防衛戦の成否が自身の双肩に圧し掛かり、足の裏だけが、じっとり濡れていた。
<いや、でも――>
<自信が無いのか?>
「いいえ、あります!」
カルシラは反射的に答えていた。自分でも驚くほど、真っ直ぐな声で。
足の裏は、汗で湿っている。それでもカルシラは、趾に力を込めて機体を踏み締める。
怖い。けれど、それでいい。恐怖を感じることは恥ではないのだから。
「行こう、二人とも」
武器を構えることで、湧き立つ勇気もある。
テテュスの言葉が脳裏に過ぎると、胸の内側に小さな火が灯った気がした。自然と口角が上がる。初陣だというのに、不思議と恐怖は薄れていた。
背中が、誰かに支えられている気がした。
かくして、命令が下る。
夜気を蹴り、空色を纏う飛翔鎧の群れが魔法で風を起こし、霧の向こうへ躍り出た。




